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子宮筋腫(?)

2012年2月25日 (土)

子宮と両卵巣全摘手術からはやくも1年

2月は2年続けて入院していて、この時期に自宅にいるのは2年ぶり。
2010年2月は乳房再建、2011年2月は子宮筋腫の全摘手術だった。
そのころはちょうどブログをお休みしていたのでリアルタイムでの更新はしていないが、ブログを再開した2011年9月のエントリーにいくつかそのときの様子を思い出して書いた。

私の手術の特徴と言えば、乳房再建で開いた、おへそ下の長い横一文字の傷を1年ぶりに開いて、そこから子宮と卵巣を取りだした、というところ。通常はおへそ下から縦に切るところを、「十文字はいやだ」という私の希望を、形成外科主治医Y医師が、婦人科主治医T医師に伝えてくれ、2人体制での手術が実現した。これも、自家組織で再建している私にとっては、大切なことだった。

子宮と卵巣がなくなったので、「婦人科はこれで卒業だね」と言われて、退院後1回だけ外来診療があったが、それ以降は検診もない。…もう、見るところもないということ。それ以降の乳がん治療の変更や副作用については今まであちこちに書いてきた。

退院間近にひどい蕁麻疹が出て退院が伸びたが、手術後などに蕁麻疹が出ることは珍しいことではないということもそのときに知った。人間のからだは本当に繊細にできていると思う。

形成外科主治医Y医師は、「そうなんですよ。人間のからだがきちんと動いていることは実は奇跡に近いんですよ。誰でも何らかの不具合があってもおかしくないんですよ。」とよく言っていた。

昨年2月21日子宮と卵巣全摘手術。最初の3日間は痛みが強かったが徐々に改善。退院間近の蕁麻疹のために入院が少し長引いたが3月3日の雛祭りの日に退院した。1年経って、穏やかに過ごせていることに感謝の気持ちでいっぱい。

2012年1月15日 (日)

ホルモン治療+卵巣摘出の影響

私は、化学療法(抗がん剤)も放射線もしていない。両側乳癌を全摘したとき、乳腺外科主治医D医師は、部分切除も可能な左乳房を全摘すれば、術後の抗がん剤も放射線もしなくてよいと言った。そのときに、別の大きな病院にセカンドオピニオンを求めたが、セカンドオピニオン先の医師は、「部分切除プラス放射線、さらに必要に応じて術後抗がん剤」を提案した。

結果的に私は全摘を選択し、両側乳房の再建手術を受けた。このあたりは、過去エントリーにかなり詳しく書いてあるので、ご参照いただきたく思う。

D医師の指示通り、2009年6月に全摘手術を受けた後は、8月からすぐにホルモン治療に入った。タスオミン服用+リュープリン注射。これを2011年1月まで続け、2011年2月に子宮筋腫による子宮全摘手術のときに両方の卵巣も同時に摘出して以降、タスオミンがアロマシンに変更となり、リュープリンは中止した。アロマシン服用だけのホルモン治療となって、もうすぐ1年である。

ホルモン治療の影響はいろいろな方がブログに書かれているし、私も今まで何度か書いてきているので繰り返すまでもないが、以下の5点が顕著だと思う。
(1) ホットフラッシュ、体の冷え
(2) 関節痛、手足のこわばり、しびれ
(3) 記憶力の低下
(4) 意欲・注意力・判断力の低下
(5) 体力の低下

これらは、私のような年齢(現在53歳)にもなると、更年期障害としてあげられる症状と似ているため、ホルモン治療のせいなのか、ホルモン治療をしていなくても更年期障害として出てくるものなのか、判断は難しいと思う。ただ、いずれの症状も、ホルモン治療を始めてほどなく一斉に始まったところをみると、単に、「更年期障害でしょう」と片づけることができないのは明らかだと思う。

私の場合、薬による治療が始まって1年半後に卵巣を摘出し、そこからさらにホットフラッシュなどの症状は強まった。ホットフラッシュの裏返しの症状としての体の冷えは、この冬、非常に強く感じている。体がかっと熱くなり、それから、手足がぞくぞくと冷える。

また、アロマシンに変更してから、関節痛が強くなった。同じくくりにできるかどうかわからないが、両手の指の関節が太くなり、以前はめられていた指輪がどんどんはめられなくなっていっている。無理をしてはめようとすると痛むし、無理しても入らない。

また、卵巣を摘出する前には、パートナーとの体の関係がうまくいかなくなるのではないか、という不安があった。結論からすると、それは、大丈夫だった。ただ、全体的な「意欲の低下」と連動して、こちらへの意欲についても多少の低下があることは否定できない。ただ、一緒にいることから得られる安心感・満足感に変化はない。

*******************************************

以上、これから手術を受けられる方への情報となれば、幸いです。あらゆる治療に副作用はつきものですが、抗がん剤と放射線をしていないことは大きいことです。左胸を温存していたら放射線は間違いなくしていたし、状況によっては、抗がん剤もしていたと思います。その意味では全摘を選択したために、胸はなくなってしまったけれど、ダメージが少ないのだと思います。温存も可能な左胸の全摘をすすめてくださった乳腺外科主治医D医師に感謝しています。

2011年9月20日 (火)

乳房再建したあとに子宮筋腫の手術

お腹をどのように切るか、というお話である。

2010年2月に遊離皮弁法で乳房再建をした。おへその下に、体を真横に横切る長い切り傷が残った。

2011年2月に、子宮筋腫と卵巣の全摘出手術を受けた。乳房再建の切り傷を再度開けての手術だった。子宮の手術は通常は縦切りである。婦人科主治医は、はじめは、子宮筋腫の手術をする条件として、再建の傷とは別に、通常の子宮の手術と同様に縦に切ることをあげた。理由は、子宮は体の非常に下の方、恥骨のあたりにあるので、おへその下くらいでは、まったく手が届かない、ということだった。でも、そうするとお腹に十字の切り傷が残る。

「そうですよ。それがだめなら、手術しません」と強気の婦人科主治医T医師を説得してくれたのは、形成外科主治医Y医師だった。形成外科は、科をまたがる手術が多い。傷を無駄に増やさないように気を遣ってくれた。Y医師は、私の前に同様の手術があり、「婦人科のW先生が、やはり、再建のあとの傷を利用して子宮の手術をするから、それに、T先生をお招きして、見てもらうことにしたよ」と言った。同じ婦人科の医者の中にも、横切りの傷を使うのをOKだとする人と、自分で切らないと心配だという人の両方がいるということだ。

T医師は、招かれた手術を見に来て、Y医師が、再建の傷を開いた後、皮膚を下まで広くはがし、子宮手術をするのによく見えるところまで開き、婦人科W医師が子宮を手がけるのを見学したそうだ。そして、「これなら、できるな」と言った、ということを、Y医師があとで私に教えてくれた。「見てくれたから、きっと大丈夫だよ」と言ってくれた。

その後の婦人科の外来で、婦人科主治医T医師は、体の開け方に一切言及しなくなった。そして、形成外科Y医師とのコラボでの手術を受け入れてくれた。そして、手術は無事に終わった。

あとで、婦人科のT医師は、「本当に、形成外科の先生ってさ、傷の治り方とか、本当に神経質だよね~。僕なんて、チャチャっと縫ったらテープはって、それだけだからね。形成外科の先生は、傷を毎日回診で見に来てるんだもんね~」と揶揄するように言っていた。外科と形成外科の違いがよくわかる発言だった。傷が治ることと、傷がきれいに治ることは、私たち患者にとっては大きな違いがある。

今も、私のからだの傷は横の1本だけ。十字架のようにならなくて、本当によかった。医師といろいろと相談し、こちらからの希望もよく伝え、お願いして、納得して手術を受けたいものだ。なんといっても、自分のからだなのだから。

2011年9月18日 (日)

子宮筋腫摘出手術を振り返る(2)

週末を入れるとジャスト2週間、実質的には11日の入院だったが、婦人科、形成外科、乳腺外科の先生方が見に来てくれて、明るい気持ちで過ごすことができた。希望していた個室がなかなかとれず、結局4人部屋で過ごすことが多かったが、他の患者さんはみな子宮がんで、多少申し訳ない思いがあった。「すみません、子宮筋腫なんですよ。でも、もともとは乳がんです」と、自己紹介が長くなっていた。

ステロイドはその後も服用しつづけ、皮膚科の外来に最初は1週間おき、次は2週間おき、次は1か月おきに通い、本当に少しずつ、少しずつ減らしていった。最後の外来はゴールデンウィークが終わった頃だったと思う。

そして、「ムーンフェース」!!!これがすごかった。顔がまん丸に。「服用が終わってから2か月後には治るはず」と言われていたが、本当にそのくらいかかった。4月末に友人の結婚式があったのだが、むくんだ顔で出席した。ローラーをつかってマッサージしてみたり、むくみとりの化粧品を試してみたりしたが、全く効き目はなかった。

皮膚科医によると、「手術のストレス」による蕁麻疹は、あまり珍しいことではないそうだ。友人の妹さんも、かなり大きな心臓手術のあと、激しい蕁麻疹が出たということだった。「体質が変わってしまったのでしょうか」と皮膚科医に聞いてみたが、「体質はそんな簡単には変わりません」と一蹴された。

いずれにしても、ステロイド、魔法の薬。あんなにひどかった蕁麻疹があっという間に良くなった。その後のムーンフェースも含めて、いろいろな経験をさせてもらった入院だった。

2011年9月16日 (金)

子宮筋腫と卵巣摘出の影響

私の子宮筋腫はかなり前から(10年以上前から)あった。乳がん発覚のはるか前からである。最近の状況をたどってみると、2008年秋の職場の健康診断で貧血→内科検診→勧められて婦人科検診→子宮筋腫発覚→勧められて乳がん検診受診→乳がん発覚、という順番である。(このあたりは、以前の記事を読んで頂けると詳しく書いてあります。)

私の子宮筋腫は大きくて不快(生理の量が多く、貧血になる、子宮が尿道を圧迫して頻尿になる)ではあったが、癒着などは認められないので、基本的には手術は適応にならないとされていたが、乳がんの手術を受けた病院で院内紹介を受けた婦人科で、全摘をしていただいた。それでも緊急の方(子宮がんの方)が優先だったので、そうとう待機して、今年(2011年)の2月末に手術を受けることができた。

そのときに、乳がん治療を一歩進めることができる、という乳腺外科主治医のことばが決めてとなって、両方の卵巣も摘出していただいたのは、前の記事に書いたとおりである。この年齢になると子宮筋腫で子宮を全摘している人はかなり多く、友人だけでも片手では足りないくらいだ。彼女たちに卵巣も取ったかどうか聞くと、これがまちまちである。医師が「病気でもない臓器を摘出するのは絶対だめ」という状況から、「片方だけ」の方もいれば、「両方取った」という人もいる。

私は自分がすでに乳がんに罹患したという経歴から、今後子宮がんと卵巣がんのリスクを考えなくてもよいという意味でもぜひ卵巣を取ってもらいたかった。しかし、心配していたのはその後の生活である。

結論から言うと、ほとんど何の変化もない。腹痛なし、腰痛なし、お腹の違和感なし、お肌の状況変化なし。更年期障害の症状は術前と同様にあり、ホットフラッシュは強くなったが、これは事前了解済み。事前にほとんど情報が得られずに心配だったのは、パートナーとのおつきあいのことだったが、これも大きな問題はなかった。子宮全摘の場合、膣が少し短くなり(子宮をとって結紮するため)、また、その傷がなかなか治りにくいそうで、退院後2週間はお風呂につからないように言われた。また、術後2か月は性生活を行わないように、という指示だった。きちんと守りました♪

卵巣の摘出についてこれらのことを心配されている方々には、術後半年の現在においては、「私にとっては問題がなかった」とお答えできると思う。ただ、個人差があることなので、すべての人にとって何の問題も起きないということではないだろう。年代、他の病気など、個人の状況は異なるので、それぞれの状況に合った治療方法を選んでいくことが大切だと思う。患者側から医療者に積極的に話しかけていくことが重要なのだろう。なかなか耳を貸してくれない医者も多いけれど。(私の場合もそうでしたが、粘りました・・・。)

また、次の2点については、また別の機会に振り返ってみたい。

(1)退院間際にひどい蕁麻疹になり、そこから皮膚科治療が始まった。ステロイド治療について。
(2)私は乳房再建のときの大きな傷(横切り)がお腹にあるので、その傷を利用して子宮筋腫の手術をしてもらった。通常子宮筋腫の手術は縦切りである。そのあたりの事情について。

2010年9月16日 (木)

骨盤内MRI検査

今週は病院ウィーク。3回病院へ。月曜日に骨盤内MRI、火曜日に形成外科、木曜日(本日)婦人科。

婦人科では、MRIの写真を確認し、また、エコーで大きさも見た。幅12センチ、奥行き13センチ、高さ9センチという筋腫。「新生児の頭よりちょっと小さいくらいかな。」ただ、癒着はしていない。また、子宮がんの所見もない。

婦人科主治医のスタンスは7月の外来と変わらず、「あと6か月くらい様子をみたらどうか、手術はいますぐする必要はない」というものだった。私が、突き出したお腹を見せて、便秘、頻尿、腰痛などを訴えても、子宮全摘をしてもそれらが解決する可能性は3割程度と。「癒着してたら常に圧迫するけど、あなたのは動くから」と言われた。

しかし、主治医は今日はとても落ち着いて、顔を見てよく話してくれた。「取りたいの?それなら、取ってあげる。でも待たないとだめだよ。ここはがんの病院だから。」私は、「すみません、お待ちします。」

来年2月をめどに子宮全摘予定。その際に卵巣も一緒に切除するかどうかを考える。卵巣をとるメリットは「卵巣がんにならない。卵巣がんは検診がないので、70%は進行がんで見つかる」と主治医先生。「ただ、更年期障害の症状は強く出るよ。」何事にもメリットとデメリットが。ゆっくり考えよう。

とりあえず、近いうちに子宮筋腫とお別れできそうだ。そうなると、胸のことを一所懸命考えられる。

2010年8月22日 (日)

子宮筋腫手術は見送り

子宮頸がんと体がんの細胞診の結果を聞きに、7月29日(木)に、婦人科外来に。結果は、ともに陰性ということで、とりあえずホッとした。

そうなると子宮筋腫をどうするかだが、「手術は見送ります」と婦人科主治医T医師。私の意見は聞いて頂けず、先生がお決めになった。「だって、いま、苦労してるようには見えないからね。適応になりません。」「だって、がんじゃないでしょ。」

しかし、今後、大きくなっていくかどうか経過観察をするということにはなった。3か月か半年に1回ずつ様子をみるそうだ。まず、9月半ばに骨盤内のMRIをとる。「エコーは、誤差が2,3センチほども出ることがあるので、正確な筋腫の大きさを測るにはMRIです」とのこと。

この病院に来て、乳腺外科のD医師、形成外科のY医師、ともにとても気持ちをわかってくれる先生に巡り合って幸せだと感じていたが、この婦人科のT医師は、どうしても「合わない!」と感じる。仕方ない。この病院で診て頂くためには、私が上手に合わせていくしかない。タスオミンを飲んでいる限りは筋腫は大きくなる可能性があると言われているし、タスオミンを飲み始めてまだ1年しか経っていないし…。大人になろう。せっかく電子カルテが共有できるのだから、病院は1か所にしたいと思っている。

この「合わない」T医師にお願いして、1週間前の血液検査の結果を電子カルテで検索していただいた。腫瘍マーカーの結果を知りたかった。乳腺外科の次の外来は10月。そんなに待てない。T医師はとても嫌そうに、でも、カルテを見てくれた。

CEA ⇒2.4 (基準値5以下)
CA15-3 ⇒7.2 (基準値30以下)

とりあえず、よかった。看護師からMRIの説明を受けるために診察室の外に出て待っていると、私の次の患者さんがT医師の診察室に入って行った。お嬢さんが車椅子を押して、その車いすが診察室のドアに引っかかって難儀している。まだ車椅子が診察室に入りきらないうちに「すごいよ、これ、腹水たくさんたまってるよ。これは苦しいよ」とT医師の大きな声。

デリカシーのない医者はいやだ。患者を何百人と診ているとだんだん感覚が鈍ってくるのだろうなと思う。

2010年7月25日 (日)

子宮筋腫と乳がん治療(乳腺外科受診)

7月22日は、婦人科受診ののち、乳腺外科に回り、3か月ぶりに主治医D医師の診療を受けた。

私は両側全摘しているので、マンモグラフィをする余地はなく、触診のみ。胸回り、脇、リンパなどを丁寧に触診して、「はい、いいですよ。」再建の終わった乳房を見て、「乳頭乳輪ができると、ぐっと、印象が変わりますね」と言ってくれた。

今後の治療計画について:D医師は私を「低リスク」と考えているので、今から先は、CTも骨シンチも「必須」ではない。「どうしてもしたい、ということであれば、しますけど、どうしますか」と言われ、「励みにもなるので、大きな周期でして頂きたいです」とお願いした。「なるほどね」とD医師。次回の外来10月のときにCT、今後、とりあえず、1年に1回のCT、骨シンチは2年に1回くらいで…ということにした。乳がんの転移は肺、肝臓、骨が3大部位だが、骨シンチは骨しかわからないので、CTの方が情報が多いと、D医師。それなら、CTを先にしてもらおうか。でも、初めからD医師はCTも骨シンチも今は不要と考えているようだった。そもそも、再発転移を早く発見することにそれほど重要性を見出していないようだ。それはそれで頭では理解できる気がするが、感情の上ではなかなか難しい。

電子カルテを見て、私が婦人科も受診したことをチェックしながら、「もし、卵巣もとるようなら、治療計画変更ですね」とD医師。あまり気の乗らないような様子。このままリュープリンとタスオミンでの治療の方がよいと考えているのか、よくわからない。怖くて聞けない。

リュープリンの注射。今回はおへその右側。私の卵巣の働きを止める、大切な薬。化学療法室の抗がん剤治療をしている方々のベッドの先にある小部屋で、看護師が手早く注射してくれる。乳房再建のためにお腹を切ってから、初めてお腹への注射。看護師は大きな傷に触れながら、「この傷のちょっと下のこの辺なら、下着が当たらなくていいですよね」とテキパキと進めてくれる。

「帰りに血液検査をして行ってください」とD医師。今までは乳房再建の関連で形成外科Y医師が血液検査をしていたので、電子カルテでそれを閲覧するとだいたいのことはわかるのでそれでよかったそうだが、これからは、「腫瘍マーカー」を見ていくとのことだった。会計をすませて明細書を見ると、CEAとCA15-3というマーカーだった。よく名前を聞くマーカーではあるが、これから、私の健康状態を教えてくれる大切な目安となる。

この日は、婦人科、乳腺外科、リュープリンの注射、投薬、すべてを含め40,000円を超える医療費となった。

2010年7月24日 (土)

子宮筋腫と乳がん治療(婦人科受診)

3週間近くも更新が滞ってしまい、このブログを読んでくれている数少ない友人から「どうかしたの?」とメールをもらってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱい。

7月22日(木)婦人科→乳腺外科→形成外科、3科連続受診。

婦人科:私の子宮筋腫は2009年10月の別のクリニックでの診断とあまり変わらず、新生児の頭くらいの大きさ。初めてお会いした婦人科医師は、さばさばした感じの男性で、「あなたはこの筋腫でとても苦しんでいるようには見えず、僕が子宮を取るのは、筋腫でとてもつらい症状が出ている人だけ」というのが基本的なスタンスらしい。「でも、どうしても取ってほしいというのなら、取ってあげる」と言われた。そのときに、いろいろなリスクも考えなければならず、「手術をちょっと甘く見てるんじゃない?」とも言われた。私は始めから「子宮を取ってください」と言っていたわけではないのだが…。

現在のホルモン治療(リュープリンとタスオミン)では、子宮筋腫は大きくなる可能性があるそうだ。それは知らなかった。勉強不足か。リュープリンだけなら小さくなる可能性の方が高いが、そこにタスオミンをのせると、大きくなる人もいる、タスオミンを飲んでいる限りは、大きくなる可能性がある、ということだった。タスオミンをやめると、そのあと数年かけて少しずつ筋腫が小さくなることが期待される、ということだった。

私がこのメロンの入ったような子宮をいま取ってもらえるなら、(1)圧迫感、頻尿が改善されるかもしれない、(2)ホルモン治療によりリスクが高まるという子宮体がんにかかる可能性がなくなる、(3)子宮と一緒に卵巣も摘出すれば、ホルモン治療が軽減されるのでは…?などと考えている。

2009年2月に子宮体がん、頸がんの細胞診を受けて、ともに陰性という診断を受けているが、今回、あらためて細胞診を受けた。「この検査でアウトだったら、切るよ」と婦人科医師。それは、そうだ。

来週、細胞診の結果が出る。その結果に基づいて、(1)体がん、頸がんが陽性の場合→治療、(2)体がん、頸がんが陰性の場合→子宮筋腫の治療について選択する、ということになる。

いま、51歳。これからまだまだ乳がんのホルモン治療は続く。そのときに、子宮筋腫の不快感、子宮体がんのリスクと共存していくことと、手術そのもののリスクを了解しつつも思い切って摘出してしまうこと、どちらが私のQOLに良いのか、よく考えて選択しなければならない。

2010年7月 6日 (火)

私のお腹はメロンかスイカか

乳がんが発覚するきっかけは、職場の健康診断でわかった貧血だった。内科に行き、「血が底をついているから婦人科を受診するように。それから、大腸がん検診と乳がん検診は必ず受けるんだよ」と言われ、紹介されて行った婦人科クリニックで「赤ちゃんの頭くらいもある」子宮筋腫の存在がわかった。(←エントリ「貧血と子宮筋腫があって乳がんが見つかった」を参照ください)

その後内科医の指示に従って受けた乳がん検診で乳がんが発覚し、子宮筋腫どころではなくなった。乳がん術後のホルモン療法では、乳腺外科主治医K医師に、子宮筋腫にも良い影響(小さくなること)があるかもしれない、と言われた。

ホルモン治療を始めてもうすぐ11か月。どう考えても私のお腹は以前よりさらに大きくなっている感じがする。メロンかスイカが入っているかのようだ。おへそのすぐ下からぽっこりと膨れ上がり、とても硬く、ぱんぱんに張っている。食べすぎで下腹が出ているときなどは、息をすうっと吸い込んで腹筋に力を入れると少しでもお腹を引っ込めることができるが、私の今のお腹は何をしてもまったく引っ込まない。

形成外科主治医Y医師に相談したところ、同じ病院の中の婦人科に予約を取ってくれた。万が一手術ということになったときにはY医師が開腹と術後の縫合をしてくれるそうだ。通常の子宮筋腫の手術はおへその下を縦に切るが、私はすでに乳房再建手術で、皮弁を取るためにお腹を横に長く切っているので、その傷を利用して、Y医師いわく「十文字にならないようにね」ということである。

スカートをはいてもパンツをはいても、下腹が本当にぽっこりと突き出して、我ながらぎょっとする。

友人で、2,3か月の間に子宮筋腫が急速に大きくなり、緊急手術をした人がいたが、私のはどうなのだろう。

子宮頚がんと体がんは昨年の1月に子宮筋腫がみつかった婦人科クリニックで検査を受け、いずれも陰性となっていたが、もう1年半も前のことである。

いろいろなことを考えてしまう。婦人科の初診は22日。