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乳がんと診断されるまでの経緯

2010年2月 2日 (火)

貧血と子宮筋腫があって、乳がんが見つかった

かなり前のエントリに、「乳がんと診断されるまでの経緯」を詳しく書いた。(←その最初は、「乳がんと診断されるまでの経緯(1)」参照)

しかし、それは、マンモグラフィーを受診したあとのことのみについて書いており、マンモグラフィー受診に至った経緯は書いていない。

今、あらためて考えると、職場の健康診断がいかに大切か、身にしみて感じる。乳がん発覚のきっかけは、2008年秋の職場の健康診断だった。今からもう1年半も前のことになる。この年、初めて健康診断で「F評価(要再検査)」がついた。貧血だった。最寄りの医療機関で受診せよ、とのことだったので、自宅近くの内科クリニックに行き、再度血液検査を受けたところ、「血液が底をついている」と言われるくらいの貧血だった。「まずは、婦人科受診を」と言われ、「大腸がん、子宮がん、乳がんはちゃんと検診を受けておきなさいよ」と、内科医師にポンと膝を叩かれた。

その日のうちに、内科で紹介を受けた婦人科クリニックに出向いた。内診とエコーの結果、すぐさま子宮筋腫と診断された。「赤ちゃんの頭くらいあるよ。よくここまで放って置いたね」と言われ、確かに、ずっと生理が重かったことに思い当った。

50歳という年齢もあり、おそらく近いうちに閉経し、筋腫もだんだんと小さくなっていくだろうから、とりあえず鉄剤を飲みながら様子を見なさい、と言われ、フェロミアを処方された。同時に、子宮がんの検査を受け、子宮頚がん、体がんともに、陰性という結果を得た。

子宮がんは陰性だったものの、子宮筋腫という病名をつけられ、「私でも病気になるんだ」と初めて自覚した。それまで本当に病気らしい病気をしたこともなかったし、けがや入院の経験もなかった。

ちょうどその時に、地元の自治体が50歳の女性に無料の乳がん検診(マンモグラフィー)を行う、という知らせがあり、さっそく申し込んだ。これが、明けて2009年1月のことである。マンモグラフィーの実施は、3月なので、しばらく待つように、と言われ、3月中旬までのん気に待っていた。その後の怒涛のような状況は、「乳がんと診断されるまでの経緯」に詳しく書いたとおりである。

現在は乳がんの治療が生活の中心であり、子宮筋腫のことをじっくりと考えることはほとんどなくなった。でも、依然として下腹部を触ると硬いゴムまりのようなものが指に触れるし、筋腫が尿道を圧迫するので、トイレは近い。でも、以前ほど気にしなくなってしまった。乳がんをどうするのか、が中心課題となってしまったから。現在は、乳がんの予防治療のためのホルモン療法が、子宮筋腫にも好影響を及ぼしていることを願っている。

乳がんが発覚してから一度だけ、婦人科クリニックに戻り、事情を説明した。婦人科クリニックの医師は「あぁ、そう。あぁ、そう。」と、繰り返し、あまり感想めいたことは口にしなかった。ただ、「以前は、ホルモン療法と同様の結果を期待して、卵巣を全摘出するという治療法もあったのだが、最近はどうしているのか、乳腺の先生に聞いてごらんなさい」と言ってくれた。後日乳腺外科主治医D医師にこのことを話すと、「現在ある器官を、そのような目的で摘出する、ということは、僕は考えません」と一蹴された。ホルモンは卵巣以外の場所からも出ており、ホルモン療法は、そういった、卵巣以外の場所から出ているホルモンもブロックすることを目的としていることを思い出した。

いずれにしても、職場の健康診断で貧血が見つかったことが、乳がんの発見につながった。からだの内部でいろいろな機能が影響し合っているのだろうが、私の場合、子宮筋腫が乳がんを教えてくれたのかなぁと思う。今年はパスしてしまったが、定期的な健康診断を大切にして、少しでも健康的に…あるいは、これ以上不健康な場所を増やさないように、過ごしていきたい。

2009年5月14日 (木)

意志確認

5月14日(木)

午前中仕事をして、午後からK病院のアポに向かう。この病院に来るのが初めての母とロビーで待ち合わせ、外科の前の待合室で呼ばれるのを待つ。

珍しく1時間以上待ったあとで、D医師と会う。母は床につくほど頭を下げている。G病院のセカンドオピニオンの手紙を手渡すと、D医師は几帳面にハサミで封を開け、さらさらと読み、こちらを向いて私の意志を確認した。

「月曜日にいろいろ考えた結果、パートナーと全摘しようと決めました。もうぶれません。」と報告。

D医師からは、来週の金曜日にセンチネルリンパ生検ができるように入院希望を出しているが、まだ割り当てが決まっていないとの説明を受ける。

私はセンチネルリンパ生検でリンパ節転移があった場合の対応について尋ねる。術前の抗がん剤でも術後の抗がん剤でも効果は変わらないとされている(これは、G病院の医師と同じ)が、術前の抗がん剤でがんが小さくなる人が85%くらいいるとされているので、その結果部分切除(乳房温存)を考える可能性があるのなら、術前に抗がん剤。全摘の意志が固いなら、どちらでもかまわない、とのことだった。私は「たぶんもう気持ちが変わることはないと思います」と言った。温存と全摘の間で揺れ続けた私の左側乳房。そろそろ心配から解き放ってあげたいと思う。最後の日まで慈しみ、そのあとは安心して私の体から送り出してあげよう。

D医師は、「リンパ節転移がある可能性は低いと思っていますが、こればかりは保証はできません」とのことで、実際に見てみないとわからないことを強調した。これからの何週間か、リンパ節転移がないことを祈って過ごすことになる。

母にも病院を見てもらい、ホッとした気持ちで病院を出た。まだまだ気が抜けない日が続くが、ひとつひとつ、だんだん固まって行く。

2009年5月12日 (火)

マイクロサージャリーによる再建

5月12日(火)

昨夜遅くまでT氏と話し合っていたせいでとても眠いが、今日のK病院形成外科Y医師とのアポにきちんと結論を持っていけることがうれしかった。11日(月)午後の厳しいセカンドオピニオン、夜のT氏との話し合い、そして12日(火)の形成外科アポと、20時間ほどの間、波にもまれ続けた。

4月21日(火)に初めてお会いし、乳房再建と言う新しい言葉を知り、それから手探りで情報を探し求めた。書籍、ネット上のがん関連ホームページ、ブログなどから少しずつ情報を仕入れ、3週間前とは比較にならないほど知識が増えた。

今日、Y医師と合意したこと:

(1)G病院では、治療方針についてのセカンドオピニオンとして、右側全摘、左側温存を勧められたが、パートナーT氏との話し合いの結果、私たちは両側全摘、再建をすることを希望する。

(2)前回のアポでは、主に、シリコンを使っての再建について説明を受けたが、お腹の脂肪と血管を胸に移植し、血管をつなぎあわせる新しい技術を使っての手術(マイクロサージャリー)を希望する。

(3)お腹の脂肪を、皮膚ごと胸に移植すると、パッチワーク状の縫い目が残る。しかし、第一期再建のとき(乳がん手術の直後)に、シリコンを入れるのと同様にエキスパンダー(水風船)を入れていったん閉じ、胸の皮膚を伸ばしてから、後日エキスパンダーを取り出し、お腹の脂肪を、今度は皮膚からはがして胸に移植すると、シリコンの時と同様に、横1本の縫い目しか残らない。お腹の皮膚を移植しないのでお腹の皮膚のパッチワーク模様が出ない。私はこれを希望する。このためには、2度の全身麻酔の手術が必要となり、また、二期再建手術は7,8時間はかかるという。(同時再建のときに皮膚ごと移植すると、乳がん手術と同時にできるので1回の全身麻酔ですむ)。私は2度になったとしても、これを希望する。

Y医師から説明されたリスクは、縫い合わせた血管がつまること。血管がつまると移植した組織は腐ってしまうので、取り出すしかない。K病院でこの方法で今までに行った手術で血管がつまる確率は約5%。しかし、これは、乳がん以外の部位での手術、高齢者で血管がもろくなっている人の手術などを含んでの5%なので、私の場合のリスクは非常に低いと考えてよいだろうということ。さらに、血管がつまるとするとほとんどが術後24時間以内、どんなに遅くても3日以内。それを過ぎると良好な結果が期待できる。

シリコンで再建した乳房はほぼ全く動かないと言ってよいが、自分の脂肪で再建した乳房は少し動くらしい。また、手で触った感触も自然に近いらしい。しかし、乳頭乳輪はシリコンの場合でも自分の脂肪の場合でも、同じように、皮膚から作るので、こちらの感覚は変わらないようだ。また、どちらで再建したばあいでも、上下から包み込むように神経が伸びてくるので、熱い冷たいなどの感覚は1年~2年で多くの人に戻ってくるようだ。

Y医師は終始にこやかで、シリコンは「こんなに体に負担が少なくて手軽にできる」という意味で大変よい。(実は彼の「手軽」という言葉に私はかなりの引っ掛かりを感じたのだが。)しかし、上記(1)~(3)で説明した方法が「手間も体力も必要だが、あなたには一番いいと思います」と言った。

「乳がんの手術までの期間に、ここまで先のことを考えて判断できる人はそれほどいないんですよ」と言われた。私は「この3週間という時間の中で、いろいろ考えることができました」と答えた。

「本来の目的とは違うのですが、このCT写真を見るとね…」と言いながら、お腹周りの断面写真を動かしながら「だいたいあなたの場合、平均して2センチくらい脂肪がついているんですよね。これを、両側乳房再建に使うと、そうだなあ、だいたい片方240ccくらい取れるかなぁ。」と言う。私は自分の脂肪層の厚さに赤面しながらも、これのおかげで両方の乳房が作れるのかもしれない、と思う。なにより、脂肪層が厚いことをとてもポジティブに言われた経験は初めてだった。

それから、「ちょっと、胸見せてくれる?」と言われたのでポロシャツを上げてブラをはずすと、指先でちょんちょんと、お腹の脂肪層に触れ、胸を10秒ほど見て、「うん、これとまったく同じくらいの大きさまではできないかもしれませんけどね、でも、片方240ccというのは、けっこう大きいんですよ。」と言いながら、机の引き出しからシリコンインプラントの250ccのものを取り出して、見せてくれる。「こうやって見ると、けっこう小さいけど、実際に入れてみるとけっこう大きいんですよ。」

私が「私のパートナーは、私の胸が大きいから好きになったのではなくて、好きになった私の胸がたまたま大きかっただけ、と言ってくれてますので、大丈夫です。」と答えると、Y医師は愉快そうに、あはは、と笑った。

「じゃあ、頑張りましょうね」とおだやかに言われ、私も「これから、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げて、20分余りで診察室を出た。

本当に前日、セカンドオピニオンに行っておいてよかった。もし、全摘してしまってから前日のような意見を聞いたら、おそらく相当動揺していただろう。セカンドオピニオンが、主治医であるD医師、形成外科のY医師とかなり異なっていたために、精神的にはきつかったが、逆にしっかり考え抜くことができた。そして、やはり全摘だ、という、気持ちをきちんと再確認することができた。

明後日14日(木)は、D医師の診察。初めて母を連れて行く。

追記:5月15日(金)、誤解を招く可能性があると判断した文章を3か所ほど修正した。

決断

5月12日(火)

昨日はセカンドオピニオンのあと、夜、T氏の仕事が終わってから会ってもらい、セカンドオピニオンのテープ起こしを読みながら、二人で話し合った。数時間かかって出た結論は、やはり、両側全摘だった。

この結論にたどり着くまで、本当にいろいろな話をした。話の中でも心が揺れることはあったが、最終的には二人で納得した。二人で決めた。これが大事。

迷い

5月11日(月)

G病院にてセカンドオピニオン。乳腺科の部長先生ということだったが、本当に真剣に、目を見て話してくださった。おだやかで、話し方がゆっくりで、でも、重要なことをきちんとポイントを押さえて話してくださり、心からありがたかった。録音も快く許可してくださった。(あとでこの録音をテープ起こししたところ、A4で7枚になっていた。)後ろには若い医師が、速記者のようにパソコンを打ち、もうひとつのパソコンには私がK病院から持参した資料の写真が映っていた。

しかし、話の内容はとてもシビアで、心の底から揺さぶられてしまった。セカンドオピニオンであるから、主治医が話すことよりもう少し広げた話になるのだろう。予後のこと、遠隔転移の意味、局所再発と他のところからの再発の違いなど、D医師から聞いていなかったことも出てきて、この病気の大変さがはっきりと感じられた。

治療方針については、今まで考えて考えて両側全摘と思っていた。しかし、G病院の先生は、右は全摘、左は温存&放射線治療、という選択肢を出された。左のがんの状態、大きさなどから、温存は可能という判断である。D医師ももしがんが左だけであれば、温存という選択になるだろうと言っていた。しかし、両側ということは、私の乳房(乳腺)はがんになりやすい傾向がある、と言えるらしい。そのことを考えて、リスクを減らす意味も含め、両側全摘という選択をしていた。

G病院の先生は、残せるものは残す、という立場。そのあとの再発のリスク、パーセンテージなどをおっしゃったうえで、なお、残せるものは残す、という立場。

しかし、最終的には、「情報を集めて、パートナーや家族と話し合って、決めたらいいと思いますよ。」 それは、もちろんそうなのだが・・・

難しい。あまりにも難しくて、帰りの電車では涙が出てしまった。かなりつらい。でも、やはり、セカンドオピニオンを頂きに行って、よかった。それだけは確かだ。

30分を超えてしまい、42,000円もかかってしまったが。

2009年5月10日 (日)

セカンドオピニオン

5月10日(日)

明日は、G病院のセカンドオピニオン外来に行く。もうすでにD医師の治療方針に納得している私であるが、その方針を裏打ちしてくれるセカンドオピニオンが頂ければ、心強い。

しかし、質問としては、「本当に切らなければならないのか」という根本的なところから尋ねてみようと考えている。全摘することが最善の治療法であるのか、そこを確認したい。そこから尋ねることが、自分自身を納得させる最も良い方法だと感じている。

また、D医師は術前化学療法はおそらく不要、全摘後の放射線治療もおそらく不要、という考えだが、提出した資料を見て、G病院の医師がどのように判断されるのか、それも知りたい。

知りたいことばかりだと、逆に何を聞いたらよいのかわからなくなる。明日お会いするG病院の医師が、D医師のようにきちんと説明してくれる人であることを願うばかりだ。小型のレコーダーを持参して、許可を受けた上で録音して来ようと思っている。あとで聞き直すことはしないような気がするが。

それにしても左胸のしこりが痛む。時々は引きつれる感じがする。本当にリンパ節転移はないのだろうか。今思い悩んでも仕方ないのだが、頭から離れることがない。

2009年5月 8日 (金)

乳がんと診断されるまでの経緯 (9)

5月7日(木)

午後2時からD医師の診察。今日は、1日の骨シンチとCTの結果を聞くのが主な目的である。以下、D医師の所見。

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骨シンチの所見では、骨への転移は見当たらない。CTの所見では、肺、肝臓への転移は見当たらない。リンパ節に関しては、いくつかのリンパと思われる小さな影があるが、これは、造影剤の影と思われる。したがって、現在の段階では、明らかなリンパ節への転移は見当たらない。

CTの写真とMRIの写真は、左右乳房内のがんの位置について、所見が一致した。

左右全摘手術という手段をとるとすると、術前化学療法はおそらく必要ない。また、術後化学療法も不要となる可能性がある。ホルモン治療のみでまかなえる可能性がある。

今後は、センチネルリンパ生検により、リンパ節への転移があるかどうかをより詳しく調べる必要がある。

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このあと、来週月曜日にセカンドオピニオンのために訪れるG病院に持参する追加の資料を作成していただき、センチネルリンパ生検のための入院日程などをお話しいただいて、今日も約1時間のアポを終えた。

センチネルリンパ生検は手術室でなければできない検査、「手術ですけど」とD医師。高度先進医療に区分されるため、保険診療ではない。現在、日本乳がん学会等は、この検査を保険診療にするよう、厚生労働省に働きかけており、そのためのデータベース作成を、病院の枠組みを超えて行っていることを聞いた。私もそのデータベースの一部となるのである。そのために、各医師は入院患者ひとりひとりに説明を行い、同意書をもらっているということであった。センチネルリンパ生検を効果的に用いることにより、リンパ節転移がないことがわかれば、乳がん手術とセットで考えられていたリンパ節郭清(腋の下のリンパ節をまとめて切除すること)が不要となり、手術後の浮腫や痛みが激減するそうだ。どの病院で治療を受ける乳がん患者もこのような恩恵を受けられる日が早く来なければいけないと思う。

私のセンチネルリンパ生検は5月18日に始まる週のどこかで2泊3日、局所麻酔で行うこととなった。左右で約1時間かかるとのことである。私は両側乳がんなので、何でも乳房2つ分の時間がかかる。入院日は2日前~前日にならないと連絡が来ないということで、準備しておくように、ということだった。

手術前の検査として必須の肺のレントゲン写真、心電図、呼吸機能検査を行い、入院予約の手続きを行って、今日の診療は終わった。

いずれにしても、骨、肺、肝臓への転移は今のところ見られないということを聞き、本当にありがたく、ホッとする思いであった。ただ、浸潤がんは、浸潤となった時点で体には回っていることを前提としなければならず、これで、両側乳房を全摘したことで完治する、と考えるのは気が早い。それでも、明らかな転移は見当たりません、と言われると、肩の力が抜けて、思わず、D医師にニッコリと微笑んでしまった。

来週月曜日はセカンドオピニオンのためにG病院へ。「あなたが考えていることをしっかり説明し、治療方針についてG病院がどう考えるかをしっかり聞いてきてください」と言われた。セカンドオピニオン外来には保険がきかず、自由診療となる。「せっかく高いお金を払っていくのだから、時間を有効に使って、しっかり聞いていらっしゃい」とD医師。そう、30分で3万円なのである。D医師によると、セカンドオピニオンには2種類がある。ひとつは、自分が今かかっている病院に信頼感を持ってその治療方針に従おうと思っているのだが、それが適切であることを確認するというもの。もうひとつは、今かかっている病院の診断や治療方針に疑問があるので、他機関の意見を聞いて判断の材料にしようというもの。私は明らかに前者であるが、やはり、権威ある他機関の意見がD医師の見立てと同じであれば、一層の信頼感を持ってD医師に命を預けることができるだろうと思う。

入院予約窓口では、「高額医療費の限度額適用認定証」について聞いた。他の方のブログでも拝見していたが、入院のときにかかる費用が一定額を超えると戻ってくるのだが、それをあらかじめ差し引いて支払うことができる、という大変ありがたい、新しい制度で、職場に入院前にその認定証を申請しなければならない。私も早速申請しなければ、と思った。

http://profile.allabout.co.jp/pf/fp-hadano/column/detail/10679

診療を終え、早速T氏、妹、親友に携帯メールを打つ。「骨転移なし!肺転移なし!肝臓転移なし!リンパ節、現時点での明らかな転移なし!」 全員から喜びの返信が携帯に戻ってきて、自分も胸がいっぱいになる。

乳がんになってしまったことはもう否定のしようもなく、全摘をしなければならないのなら、それはそれで仕方がなく、そのあとの予後をどうしていくか、私の関心はすでにそちらに移っている。いつか転移するかもしれない。乳がんは再発率の高いがんらしい。でも、また、そのときはそのときに対応しよう。先回りの悲しみはやめて、今を大事にしていこう。

2009年5月 7日 (木)

乳がんと診断されるまでの経緯 (8)

5月6日(水)

他のエントリーと時間が前後するが、4月30日(木)の診察と5月1日(金)の検査についてまとめておきたい。

4月30日(木)午後3時にアポ。T氏が仕事を抜けて同行してくれる。診察室に入ってT氏を紹介し、T氏があいさつすると、D医師は軽く立ち上がって、よろしくお願いします、とあいさつを返してくださった。つくづく、いい人だと思う。

細胞診結果とMRI写真に基づいて説明を聞く。以下、D医師の所見。

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右側乳房:非浸潤、5センチ。非浸潤のため、グレードはつかない。かなり広い。乳頭のすぐ下側まで来ており、ほとんど乳房の上半分に広がっている。広いので、これは、全摘が必要と思われる。全摘のあと、放射線治療はまず必要ないと思われる。

左側乳房:浸潤、2センチ。浸潤のため、転移を起こす可能性がある。しかし、がん細胞の悪性度はグレードI。おとなしそうな「顔つき」をしている。それほどたちが悪そうには見えない。がん細胞は女性ホルモンの影響で成長するタイプであり、また、正常でない遺伝子(HER2遺伝子)は持っていない。大きさから見て、温存する場合には、5センチ程度をくり抜く形で取らなければならず、その後放射線治療の必要がある。もし全摘をするなら、放射線治療はしなくても大丈夫そうな感じである。

リンパ節への転移:センチネルリンパ生検をしないとはっきりとはわからず、現時点では予想でしかないが、予想では、リンパ転移はないように見える。

左側乳房については、もし、右側にがんがないのであれば、部分切除を考えるが、右側の状態を考えると、左側も全摘をすることを勧める。温存の場合、数は少ないが、再発のリスクはゼロではない。また、両側を全摘して、再建手術をすることにより、外見への影響も少なく抑えられる。

セカンドオピニオンについて:セカンドオピニオンは大変良いシステムであるので、希望するのであれば、ぜひ受けるとよい。推薦できる病院はG病院とS病院である。この2か所であれば、安心してセカンドオピニオンを受けることができるだろう。また、そこで受けたセカンドオピニオンにしたがって病院を変え、治療を変更したいというのであれば、それはそれで、安心して送り出せる。しかし、もし、そうでないところに行って、全く異なるセカンドオピニオンを受け、また、それについて迷うようなことがあると、逆に大変心配である。セカンドオピニオンを受ける日が決まったら必ず知らせるように。また、データをすぐに用意し、紹介状も今からすぐに書いてあげましょう。

治療の日程について:もし、5月第3週にセカンドオピニオンを得て、治療方針への気持ちが固まれば、5月下旬にセンチネルリンパ生検のために2泊3日の入院(局部麻酔の場合)、あるいは3泊4日~4泊5日の入院(全身麻酔の場合)。その後、6月中旬から乳がんの治療のための入院となるであろう。

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この間、約1時間20分。私は大きな子宮筋腫も持っているので、それと乳がん手術との関連などについてもD医師は詳しく話してくださった。セカンドオピニオンの資料を用意するので待つように、と言われ、待合室のソファに腰かけたとたん、「ものすごくいい人だね。あり得ない。」とT氏。

セカンドオピニオンの資料を受け取り、支払いを済ませた後、D医師の見立てを速記のように書きとめてくれたT氏のノートを近くのコンビニでコピーさせてもらい、さらに喫茶店で内容をおさらいした。がんが確認されたという意味では残念な結果ではあるが、D医師の見立ては、初日から全く変わらず、彼の最初の診断を検査結果が裏打ちしている形となった。

5月1日(金)

骨(こつ)シンチおよびCT検査。それぞれ、骨とその他の場所への転移の有無を調べる検査。骨シンチは、放射性同位元素を注射して2時間あまり経ったところで横になった体の上を、金属板がなぞるように動き、検査技師の言葉を借りれば「頭の先から爪の先まで骨の写真を撮ります」とのこと。私のガイコツ写真が撮れるのだろう。CTは造影剤を入れながらの撮影。短時間で終わった。この2つの検査のために午前10時半から午後2時くらいまでかかったが(待ち時間を含めて)、大したことをしたわけではないのに、とても疲れた。

2009年4月29日 (水)

乳がんと診断されるまでの経緯 (7)

4月29日(水)

3月第3週の自治体無料マンモグラフィーから今日でちょうど6週間。42日目である。6回に分けて、この間の経緯を思い出してみた。これで、このブログの最初のエントリー(←「バイオプシー」参照)に戻ることになる。これから先は、ほぼリアルタイムで更新していけると思う。

この6週間、ここに書き出したこと以外にも色々なことがあった。それらは、また機会を見て、別のカテゴリーを設定して書いてみたいと思う。

いよいよ、明日、D医師の診察を2週間ぶりに受ける。午前中仕事をして、それから病院に向かう。T氏が仕事を抜けて同行してくれる。昨夜は私の親友と3人で食事し、その後2人でバーに行った。カップルやグループが楽しそうに飲んでいる姿は、本当にいいものだ。彼はバーボン、私はスコッチを美味しく飲みながら、D医師に尋ねる質問をおさらいした。私が両側の乳房を失うことについては彼にも動揺がある。それはそれでうれしい。でも、私たちは、「どこをどう削ってでも、私がT氏より長生きする」ことを約束している。私はこの約束をとことん守り抜きたい。

明日は、血液検査、細胞診、MRI、これらすべての結果がわかる。検査の予約の都合上、骨シンチとCTは明後日となっているが、これまでの検査の結果で、がんの状態も、転移の状況もある程度わかるはずだ。何とか、転移だけは免れたい。転移が起きていないことを祈りたい。それだけを、それだけを、祈りたい。

乳がんと診断されるまでの経緯 (6)

4月第4週

形成外科の先生にお話をうかがった翌日と翌々日、2日に分けて、右と左の乳房のMRIを受けた。50年も生きてきて、今まで一度も重い病気になったこともないし、けがをしたこともない。すべての検査が初体験である。

MRIは写真で見た通りのかまぼこのような機械だった。私の場合は患部が乳房なので、うつぶせに寝ると、胸の当たる部分が空洞になっていてそこにだらんと垂れ下がるようになっている。顔が当たる部分はちょうどマッサージを受けるときの枕のように顔がつぶれないようになっている。音がするので、遮音のためのヘッドホンを当ててくれる。

検査技師の方が親切すぎて、「がんばってね、無理しないでね、つらくなったら遠慮しないで手を振ってください。」と繰り返すので逆に複雑な感じがするが、始まってしまうと、一時ずいぶん前衛音楽も聞いていた私は、面白く感じてしまい、音のシャワーに疲れながらも少し楽しむ余裕もあった。Magnetic Resonance Imaging というそうだが、こんなシステムを考えた人はすごい!と現代技術の進歩に感動してしまう。途中でいちどかまぼこから前にスライドされ、今度は造影剤を点滴されながらの撮影となる。「針が太いですよ。」と、いらない情報も与えられたが、たいした痛みもなく終了した。

K病院は先生だけでなく、看護師や職員の方々も親切だ。なんだかラッキーな病院選択をした気がする。3つの病院の中から今すぐ選べ、と言われ、自宅に一番近い公立病院、というだけで選んだのだが(←「乳がんと診断されるまでの経緯 (1)」参照)。ただ建物は古く、トイレは臭い。

MRIの2日目には、検査を待つソファのところにお線香の匂いがはっきりと漂ってきた。あ、霊安室が近いのだ、とわかった。