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2回目の入院 (2009年6月)

2009年7月18日 (土)

人の視線

仕事復帰して、今までなかったことに気付いた。話している相手に自分の胸を見られているような気がするのである。仕事の話をしていても、雑談をしていても、相手の視線が自分の胸に流れるような気がして、さらに、相手が不審な表情をしているような気がするのだ。電車に立っているときに、腰掛けている人から同じような視線を感じた(と思った)こともある。

昨日は、話の最中に左胸のパッドが脇にずれてしまい、それを相手が見て眉をひそめていると思ってしまった。中座してトイレに行き確認すると、パッドは入れたところから動いておらず、左脇にパッドがはさまっているように感じたものは、腋下の2本の縫い跡の間に脂肪が集まってふっくらした部分を腕で押していたのだとわかった。

左右のパッドの位置が違っているのではないかという心配もいつもある。周りにいる人が自分の胸を見て変に思っているなど、自意識過剰もいいところだが、どうしても気になってしまう。

逆に、道を歩いたり電車に乗ったりしていると、周囲の女性の胸に目が行く。じろじろ見るわけではないが、つい見てしまう。そして「今、最低20人の女性とすれ違ったけれど、彼女達の中に乳がん患者はいただろうか…。今私が見た胸の中に再建したものはあっただろうか…」などと、考えても答えの出ないことを考える。「私の周りを歩いている人たちはみな健康なのだろうか…」、「家族ががんで苦しんでいる人もいるのではないか…」など、とりとめなく考える。

しばらくの間コントロールのしようがない心の動きなのだろう。

2009年7月16日 (木)

下着の悩み

レースがたくさんついたきれいなブラジャーやおそろいのショーツなど、折々に買い求めた下着がたくさんある。ショーツはまだまだ利用するつもりだが、ブラジャーを見るとやはり悲しくなるので、クロゼットの中にしまいこんだ。

現在は右胸にエキスパンダーが入り、左胸は感染のためにエキスパンダーを取り出して真っ平ら。さらにこのあとエキスパンダーを入れて少しずつ膨らませていく計画だが、手術前と同じサイズになるか、あるいは同じサイズを希望するかわからない。同じサイズになっても、ワイヤー入りのブラはやめた方がよいとも聞いている。

いじいじと考えていても仕方がないので、退院の少し前から看護師のアドバイスを求めて、下着について考えることにした。3,4年前のことだが、日本有数の下着メーカーの京都本社を仕事で訪問した。その際に、その下着メーカーが乳がんの女性のためのブランドを持ち、オーダーのサービスまでしていることを知った。今回自分ががん患者という立場でいろいろ調べてみると、乳がんを体験された方が会社を興されたりして、患者のニーズに合った下着をいろいろと考案・販売している。からだに合った下着を身につけることで、女性は気持ちも明るくなるし、積極性も出るに違いない。その意味では、このようなビジネスは私たちにとって本当に大切だと思う。

高価なものでは何枚も購入できないし、かと言って、清潔にしていたいので、毎日取り換えたい。そんなことを考えながらネットで検索していたら、「カップ付パジャマ、キャミソール専門」というネットショップにたどりつき、思いがけない安価で、取り外しのできるカップがつき、パッドを入れることもできるキャミソールを数枚購入することができた。パッドは手持ちのものを何枚も重ねて左胸に入れ、なんとか左右のバランスがとれた。タンクトップも1枚購入したが、かぶって着る形のものは、まだかなりきつい。腋の下の筋が引きつれているので十分に腕をあげることができないし、胸も痛む。キャミソールは足を入れて引き上げるようにして身につけることができるし、ゆるめのデザインなら頑張ればかぶって着ることができる。

職場復帰の日には、白いキャミソールに長袖の白いシャツを重ね、襟を立ててふんわりしたスカーフをたらし、黒いパンツと合わせた。痩せたことは明らかにわかったが、なんとか胸をカバーして形がついた。

乳がん患者をサポートするおしゃれな下着がもっと出てくるといい。デザインも色合いももっとたくさんあるといい。私たちの社会復帰と自信回復に一番役立つもののひとつに違いないから。

2009年7月15日 (水)

看護師のプロフェッショナリズム

今回の25日間の入院で実感したのが、看護師という職業の重要さと大変さ、そして何より、彼らのプロフェッショナリズムだった。

いろいろなところで医療関係者の激務が報じられていたのでそれなりの関心を持ってはいたが、実際に自分がケアを受ける身になってみると、この仕事がいかに大変であるか、実感した。

私が入院したK病院はがんの専門病院で、外来患者も入院患者もすべてがんを持った人々、あるいはがんが疑われる人々である。すべての人々が強い不安や悲しみを持っていると言ってよいだろう。そのような人々に日々接し、励まし、適切なケアを行う、という仕事は、単純な表現だが、本当に「すごい」。

乳腺外科病棟には何人もの看護師がいたが、ほとんど例外なくみな明るく、てきぱきとしていて、本当に頼りがいがあった。そのうちの何人かは、夜勤についている姿を見るだけで、自分が守られている気持ちになった。そのくらい、彼らの存在感は強かった。もちろん、「私、忙しいの、話しかけないでね」というオーラをまき散らしている看護師も1,2人はいたが…。

エキスパンダーが感染して再手術を受けた日の夜勤は、私の「担当看護師」だった。彼女はベッドサイドに座って、麻酔もまだ醒めきらない私が変なことを口走ったり、涙を流したりするのにずっと付き合ってくれ、手を握っていてくれた。あの一番辛かったときに彼女が冷静に、しかし暖かく対応してくれたことは本当にありがたく、今思い出しても涙が出てくるほどだ。

退院する時に彼女にお礼を言うと、彼女は、「いえいえ、あの日、私が夜勤でよかったです。ちょっと担当看護師らしいことができましたかね」と微笑んで言ってくれた。

体力・気力・知力が不可欠、コミュニケーション能力も必要で、さらに、患者と医師との間の調整能力も必要。ひとつ間違えば命にかかわるという緊張感が常にある。その上で患者の気持ちを引き立てる明るさや優しさが求められる。なんて大変な、でも、なんてすばらしい職業だろう。

医療関係者が安心して仕事が続けられるような社会システムが整備されていくことを祈るばかりだ。

形成外科外来…胸の痛みについて

7月14日(火)

出勤前の朝一に、形成外科のY医師が外来で診てくださった。

胸の強い引きつれ感と痛みについて…両側全摘の患者にしばしばみられる、とのこと。さらに、左胸の傷口の下で、傷でもないのにどんどん皮膚がろっ骨の下に引っ張られるように入って行ってしまっている状態について…これは、胸の皮膚でも、下に筋肉がついている皮膚とついていない皮膚があって、ついていない皮膚は、手術のときに筋肉をはがしてしまっているのだが、この境目がちょうどろっ骨の骨と骨の間のすきまにあたってしまい、筋肉の収縮によって皮膚が引っ張られるようにろっ骨のすきまに入って行ってしまっている状態…とのこと。

これは、我慢するしかない、あるいは、痛みに慣れていく、痛みが薄れていくのを待つしかない…と言われた。

私としては、この状態がとても辛いけれども、私に限ってのケースとか、応急治療が必要な状況ではないということがわかり、それだけでもありがたかった。

それにして、先輩の両側全摘患者の方々が、こんなに辛い思いをされていたのか…驚くばかりである。私はひとりでこんなに騒いでいるのに。

2009年7月11日 (土)

再手術から退院まで(入院16日目~25日目)

6月19日(金)に左側のエキスパンダーを取り出す手術を受けてから、縛られるような胸の痛みを除いては、体調は目に見えて改善していった。右側のエキスパンダーは順調だったので、左右それぞれに2本ずつ出ていたドレインも、まず右が両方抜け、その後左も1本になった。

しかし、感染を一度起こすと、その後はきちんと抗生剤で叩いておかなければいけない、中途半端で叩いて、またあとでぶりかえすのが最も良くないと言われ、1日3回の抗生剤の点滴が1週間近く続いた。最初の手術のあと、発熱があったのに3日で抗生剤点滴を切り上げたのが良くなかったのではないかと今になって思うが、最初から術後の点滴は3日間、と言われていたのでマニュアル通りだったのだろう。

この間に行われたのが、左側のドレインの穴からシリコンの管を入れ、大きな注射器で水を出し入れして行う洗浄作業であった。これが朝夕の2回行われ、排液の透明度が問題とされた。形成外科医にとってはごく当たり前の作業だったようだが、私にとっては圧迫感があり、楽しいものではなかった。注射器で左右の腋の下に溜まった体液を吸い取る作業も何度かあった。

再手術のあとは医師団も非常に慎重になり、結局29日(月)にようやく退院となった。乳腺外科の主治医は「予定より、入院期間がだいぶ長くなりまして…」と言葉を濁したが、全摘手術はそれより20日も前に無事に終了しているわけで、感染は彼にとっても想定外の出来事だったろう。

入院最後の数日間に自分に言い聞かせたことは、治療に対して後ろ向きにならず、積極的に取り組む姿勢を崩さないことだった。相当遠回りをしてしまった感はあるが、がん治療と再建の両方に意欲を保ち続けることが大切なことだ。29日(月)午前、少しふくらんだ右胸と、胸骨に貼りつくような左胸と、長い2本の傷跡、そして絶え間のない痛みを持って、ようやく自宅に戻った。

発熱と再手術(入院11日目~15日目)

6月9日(火)に全摘手術を受け、14日(日)までは自分でも順調に回復していると感じていた。術後3日で、抗生剤の点滴も終わった。胸の痛みは続いていたが、両側全摘の手術痕の長さ、エキスパンダー挿入時に動かないように筋肉を縫っていることなどが原因であり、これは慣れていくしかないと説明されていた(これは、現在まで続いている)。しかし、微熱は続いていた。

15日(月)以降、午後になると熱が38度になり、食欲も落ちて行った。さらに、下痢、嘔吐があり、トイレで動けなくなり、ナースコールをしてしまうことがあった。それでも乳腺外科の主治医は「風邪気味かもしれない」と言っていた。私自身は何かあるのではないかという漠然とした不安感は持っていたが、このような手術は当然初めてであるし、術後がこのように辛いのも仕方のないことなのかもしれないと思っていた。

18日(木)に、看護師が左胸の熱感がひどいと言い、さらに左腋下にぷっくりとできていた「こぶとりじいさん」のほっぺたのようなふくらみにもかなりの熱感があることに気づいてくれた。私もこのふくらみには気づいていて「こぶとりじいさんのほっぺた」と医師には訴えていたが、あまりとりあってはもらえなかった。しかし、この看護師がこれを乳腺外科の主治医に伝えてくれ、その後事態が急展開することになった。

19日(金)早朝、血液検査があり、白血球と炎症マーカーの上昇が認められたため、抗生剤の点滴を再開すると、乳腺外科の主治医から言われ、そのつもりでいると、お昼前に今度は形成外科の主治医がやってきて、「心配なので今日の午後、傷口を開いてエキスパンダーを確認します」と言われた。

この緊急手術が25日間の入院で最も辛いものだった。局所麻酔で、傷口を開き、エキスパンダーを洗浄する、エキスパンダーの取り換えは行わない予定、という説明だったが、実際に開けてみたら感染の状態が悪く、エキスパンダーを取り出さざるを得なかったそうだ。急な手術だったので家族とT氏にも携帯メールをするのが精一杯だった。T氏が手術直前に来てくれ、手を握って励ましてくれた。入れ替わりに妹が仕事を早退して来てくれ、面会終了時刻まで世話してくれた。

あとで、「あれは痛かったでしょう」とある医師に言われた。私は手術室で痛みを訴えて相当騒いだらしい。きつい局所麻酔の覚め際の吐き気がひどく、病室に戻ってからも相当取り乱していた。翌20日(土)のお昼まではなかなか気持ちを切り替えることができず、落ち込んでいた。

乳がんになったとき、「流れ弾に当たった」と感じたが、エキスパンダーが感染していたと聞いたとき「どんなに低い確率でも起こるときは起こるものだ」と思った。確率論は何の慰めにもならない。

全摘手術とその後(入院5日目~10日目)

6月9日(火)に両側乳房全摘手術を受けた。

私の場合、全摘手術後に乳房再建のためのエキスパンダー挿入があるため、前日に麻酔医、乳腺外科主治医、形成外科主治医の3人から説明を受け、説明書にサインした。

当日は午前9時に手術室へ。午後2時ころ手術終了(記憶にない)。

妹が仕事を休んで付き添ってくれたことと、冷たいタオルで顔、唇、歯をぬぐってくれたこと(これが本当に気持ちよかった)、そして夜になってT氏が仕事を抜けて駆けつけてくれ、面会終了時刻まで手を握ってくれたことを覚えている。

両側手術のため、点滴が左足首から入っていた。そのため全く体が動かせず、眠ることもほとんどできなかった。腰と両足が鉛のようにだるく、重く、体が熱かった。縄で縛られているように胸が痛み、腕が動かなかった。

翌日には導尿もはずされ、とにかく起きあがる、ベッドに座る、立ち上がる、歩いてトイレに行くことを義務付けられた。今になると「大変だった」のひとことで済むが、そのときは本当に歯を食いしばる思いだった。

それでも毎日少しずつ回復して行き、その週末にはドレインの袋を2つぶらさげて(これで両側全摘だということが一目瞭然である)、見舞いに来てくれた友人と談話室まで歩いて行き、ゆっくり話す余裕もあった。

エキスパンダーを入れた胸は、右側は皮膚の変色もなく順調で、ドレインの量も少なかったが、左側ははじめから赤みを帯びていて、ドレインの量が右に比べて格段に多かった。毎日乳腺外科と形成外科の医師が朝夕の回診以外にも機会があるたびに診に来てくれたが、その頃は順調です、としか言われていなかった。その頃にはまだ許容範囲だったのだろう。

術後1か月…ブログ再開

7月11日(土)

6月9日(火)手術(両側乳房全摘、エキスパンダー挿入)                           

6月19日(金)左側エキスパンダー感染再手術、エキスパンダー取り出し             

6月29日(月)退院、自宅療養                           

7月10日(金)職場復帰

この1か月間は、ある程度予測はしていたものの、感染という想定外の事態もあり、非常に辛い時間であった。ブログも、携帯からの更新を計画していたが、体力も気力も足りなかった。

6月9日の手術後、5,6日間は順調に回復していたが、左側のドレインからの排液がいっこうに減らず、その後発熱も始まった。しかし、術前にエキスパンダー感染の確率は非常に低いと聞かされており、担当医も直前まで感染は考えていなかったようである。今回の入院で最も辛かったのがこの感染による「再手術→エキスパンダー取り出し」だった。こんなことがあるのか…という思いである。

ブログ再開にあたり、入院中にあったことを時系列で記述してもあまり意味がないように感じている。いくつかのテーマを決めて、それについて少しずつ書いていきたい。

とりあえず現状を報告すると、現在私が最も苦しんでいるのが胸の痛みである。体表は感覚がないので、からだの中の痛みである。細い針金で胸をきりきりと締めあげられているような、あるいは、木箱が胸の中に埋め込まれているような、鉛の板が体の前側に貼り付けられているような、何とも形容しがたいものである。これが24時間ある。この針金を切ってしまえば、木箱を取り出してしまえば、楽になると思うのだが、何せからだの中で起きていることなので、衣服を脱いでも何も変わらない。衣服を脱いでも何かがからだを締めあげていて息苦しい。からだが前中心に向かって引っ張られている感じなので常に猫背になり、胸を広げようとすると激しい突っ張り感と痛みがある。この姿勢のために、強い肩こりと頭痛がある。

とても辛いときには頓服で処方されたロキソプロフェン錠を服用し、就寝時には睡眠導入剤のアモバン錠を服用している。

術前にいろいろな方のブログを拝見していたが、この違和感と痛みについてはこれほど大変なものとはわからなかった。退院後は気力が減退し、ネット検索する元気もしばらく出なかった。最近ようやく少しずつ調べているが、それでもよくわからない。

摘出した乳房の病理検査はまだ終わっていない。23日(木)に外来で主治医から説明がある予定。その際に今後の治療方針を話し合うことになっている。ホルモン治療の他に抗がん剤治療を行うかどうかが気がかりだ。

不安なことばかりだが、基本は前向き。あせらず、ゆっくり。時々涙は出るけれど、パニックしないこと。なるべく笑って免疫力アップ。でも再手術後1か月も経っていないことは忘れずに。

1か月ぶりにブログ再開できました。ありがとうございます。

                           

2009年6月 8日 (月)

入院4日目(全摘手術前夜)

6月8日(月)

午後、T氏から携帯にメールが来た。

「あなたの胸の姿は、この眼を通してしっかりと脳裏に焼き付けました。重みは掌が覚えています。唇が肌触りを忘れることはないでしょう。」

これを読んでさすがに涙が出たが、吹っ切れた気持ちになった。吹っ切れたと思っては、また、迷う。これを何度繰り返したか、思い出せないほどだが、もうこれで終わりにする。

これからの私の仕事は、心安らかに明日を迎え、すべてを任せ、結果をありのままに受け入れてパニックしないこと。

長かった、ここまで。よく頑張ってきた、と、とりあえず今夜は自分をほめよう。
人生、これからだ。

2009年6月 7日 (日)

入院2~3日目(外泊)

6月7日(日)

昨日6月6日(土)と本日7日(日)は外泊許可を頂いて、家に戻っていた。この間に母、妹、私にT氏も加わって、母の誕生祝をすることができた。高齢になってから病気の娘を抱えることになってしまった母、その母を支えなければならない妹には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、家族の絆は以前より深まっていると感じる。

T氏とは入院前最後の週末を一緒に過ごし、私の乳房の最後の姿をしっかりと見てもらい、その感触を指に覚えてもらった。私も彼に触れてもらった時の皮膚感覚をしっかりと記憶に焼きつけた。記憶は薄れていくものだが、想像力を働かせて、彼と一緒に乗りきっていきたい。

これから病院に戻る。明日は検査、形成外科の一次再建手術(ティッシュエキスパンダー挿入)のためのマーク付けなどがあるらしい。未知の世界が待っているが、がんを体から送り出す作業に、積極的な気持ちで明るくチャレンジしていきたい。このブログもできる限り、携帯から更新していきたい。

行ってきます。頑張ってきます。

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