ウォーキングですれちがうおじさん
自宅から最寄りの駅までゆっくり歩くと15分くらいです。乳がん全摘のあと、乳房再建のあと、子宮全摘のあと、それぞれ、退院して自宅療養に入ってから、家から駅まで歩いて、また帰ってくるのをリハビリの一環にしていました。ゆっくり歩くと15分の道のりも、当時ですからもっとかかります。からだをかばいながら、ゆっくり歩くと、通勤のときとは違うものが見えてきます。
そのおじさんもそうでした。きっと脳梗塞の後遺症なのでしょう。左半身がマヒしていて速く歩けずに、でも一生懸命ウォーキングしていました。そのおじさんと、毎朝(といっても午前10時ころ)いつもすれちがうか、私が追い越すか、いずれかでしたが、出会いました。私もそのおじさんも駅に向かって左側の歩道を歩いていました。術後とはいえ、私のほうが歩くのが少し速かったので、「おじさん、がんばって」と心の中で声をかけて追い抜いたりしていました。
駅にたどりつくとひとつ楽しみがありました。それは、駅前のドトールでコーヒーを1杯飲むことでした。ちょっと一息つきたいサラリーマンや近くの公園に来た奥さんグループなどで込み合うドトールで、1杯飲んで、「早くリハビリして、職場復帰しよう」と思いながら同じ道を引き返すのでした。そんなある日、そのおじさんがドトールに座ってコーヒーを飲んでいることに気づきました。年齢も病気も違うけれど、あのおじさんもがんばって毎日歩いて、ここでコーヒーを1杯飲んで、また歩く練習をしているんだわ、と思い、なんだかうれしくなったことを覚えています。その後もそのおじさんを何度もドトールで見かけました。そのうち、私は自宅療養期間を終えて職場復帰し、その時間にドトールに行くこともなくなりました。
あれからまる1年。胸の疼痛や左腕の浮腫の不安などはあるものの、今では黄色信号を走って渡ったりできますし、歩くことに不安を感じることはありません。
つい先日。お昼までに出勤すればよい日だったので、駅に向かってゆっくり歩いていました。そうしたら、あのおじさんがこちらに向かって歩いてくるのです。まだまだ左腕も左足も不自由です。でも一生懸命歩いています。あのころ毎日見かけたおじさんだと、すぐにわかりました。今日も歩いているんだ、と思い、なんだか胸がいっぱいになりました。「おじさん、がんばってください。応援しています」と心の中で声をかけてすれちがいました。
毎日すれちがっていたけど、あのおじさんには私はわからなかったでしょう。それとも、「おう、あの頃はつらそうに歩いていたけど、今はずいぶんと元気そうじゃないか」と思ってくれたでしょうか。