ランキング投票

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Furries' Books

お買いもの

  • 医学書なら…
  • カップ付キャミソールなら…

ここを訪問してください

  • みんなでつくろう!がん医療のドリームチーム
無料ブログはココログ

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月15日 (日)

ホルモン治療+卵巣摘出の影響

私は、化学療法(抗がん剤)も放射線もしていない。両側乳癌を全摘したとき、乳腺外科主治医D医師は、部分切除も可能な左乳房を全摘すれば、術後の抗がん剤も放射線もしなくてよいと言った。そのときに、別の大きな病院にセカンドオピニオンを求めたが、セカンドオピニオン先の医師は、「部分切除プラス放射線、さらに必要に応じて術後抗がん剤」を提案した。

結果的に私は全摘を選択し、両側乳房の再建手術を受けた。このあたりは、過去エントリーにかなり詳しく書いてあるので、ご参照いただきたく思う。

D医師の指示通り、2009年6月に全摘手術を受けた後は、8月からすぐにホルモン治療に入った。タスオミン服用+リュープリン注射。これを2011年1月まで続け、2011年2月に子宮筋腫による子宮全摘手術のときに両方の卵巣も同時に摘出して以降、タスオミンがアロマシンに変更となり、リュープリンは中止した。アロマシン服用だけのホルモン治療となって、もうすぐ1年である。

ホルモン治療の影響はいろいろな方がブログに書かれているし、私も今まで何度か書いてきているので繰り返すまでもないが、以下の5点が顕著だと思う。
(1) ホットフラッシュ、体の冷え
(2) 関節痛、手足のこわばり、しびれ
(3) 記憶力の低下
(4) 意欲・注意力・判断力の低下
(5) 体力の低下

これらは、私のような年齢(現在53歳)にもなると、更年期障害としてあげられる症状と似ているため、ホルモン治療のせいなのか、ホルモン治療をしていなくても更年期障害として出てくるものなのか、判断は難しいと思う。ただ、いずれの症状も、ホルモン治療を始めてほどなく一斉に始まったところをみると、単に、「更年期障害でしょう」と片づけることができないのは明らかだと思う。

私の場合、薬による治療が始まって1年半後に卵巣を摘出し、そこからさらにホットフラッシュなどの症状は強まった。ホットフラッシュの裏返しの症状としての体の冷えは、この冬、非常に強く感じている。体がかっと熱くなり、それから、手足がぞくぞくと冷える。

また、アロマシンに変更してから、関節痛が強くなった。同じくくりにできるかどうかわからないが、両手の指の関節が太くなり、以前はめられていた指輪がどんどんはめられなくなっていっている。無理をしてはめようとすると痛むし、無理しても入らない。

また、卵巣を摘出する前には、パートナーとの体の関係がうまくいかなくなるのではないか、という不安があった。結論からすると、それは、大丈夫だった。ただ、全体的な「意欲の低下」と連動して、こちらへの意欲についても多少の低下があることは否定できない。ただ、一緒にいることから得られる安心感・満足感に変化はない。

*******************************************

以上、これから手術を受けられる方への情報となれば、幸いです。あらゆる治療に副作用はつきものですが、抗がん剤と放射線をしていないことは大きいことです。左胸を温存していたら放射線は間違いなくしていたし、状況によっては、抗がん剤もしていたと思います。その意味では全摘を選択したために、胸はなくなってしまったけれど、ダメージが少ないのだと思います。温存も可能な左胸の全摘をすすめてくださった乳腺外科主治医D医師に感謝しています。

2012年1月13日 (金)

パートナーの外来診察

一昨日はパートナーの膀胱がん内視鏡検査に同行しました。初発後1年で再発し、再手術。再発してからの3年間は3ヶ月に1回ずつ検査していましたが、3年を過ぎてから半年に1回になりました。現在、再発から4年と少し経ったところです。

前回は昨年の7月でした。検査は膀胱の内視鏡検査と尿検査(細胞診)です。前回は、内視鏡検査ではきれいです、と言われたのに、細胞診で「クラス3」が出てしまい、再検査を受けました。パートナーもそのときは再再発を半ば覚悟していたようでした。私も今後についていろいろと考えていました。

幸いなことに、再度の尿検査で、クラス3ではなかったことが判明し、2人でホッとしました。それが昨年の7月。半年経って、また同じ検査です。

彼が通っている病院は大きな大学病院。朝8時前から検査の人が並び、おかしな話ですが、活気さえ感じられるほどの混雑です。泌尿器科の待合は年配の男性が多く、乳腺外科とは全く違う雰囲気です。

内視鏡検査が済んでしばらくして呼ばれ、2人で診察室に入りました。内視鏡の結果はきれいです。とのこと。ホッとしました。細胞診の結果はまだわかりません。「前回あんなことがありましたからね。何かあれば電話しますよ」と、爽やかな白衣姿の主治医先生。「今年もよろしくお願いします」と挨拶して、診察室を出ました。

パートナーが「大丈夫」と言われると、自然に頬がゆるみます。大丈夫と信じていても、実際に大丈夫と言われると本当にうれしく思います。

「4年ですねぇ、早くも」と主治医先生。「5年間再発がなければ、そのあとは、検査は1年に1回でいいと思います」とのこと。本当にそうなってほしいです。毎日が激務のパートナーです。ちょうど働き盛りの年代と言えばそれまでですが、体内環境に良くない生活を続けています。心配をしながら見守っていきたいと思っています。お互いに、心配をしながら見守り合っているという状況です。

中年を過ぎてから出会った私たち。たまたま同様の病気を抱えて、支え合って生きていくことができ、本当にありがたく感じています。

2012年1月10日 (火)

パートナーもがんです

今まであまりはっきりとは書きませんでしたが、私の大切なパートナーは膀胱がんです。
「膀胱がん…でした」と書ける日が早く来てほしいです。

明日は彼の内視鏡検査の日です。一緒に病院に行きます。午後からはそれぞれに職場へ。

私より患者としてのキャリアは長く、4年以上経っています。初発と1年後の再発のときの様子は詳しく知りません。お付き合いし始める前のことなのです。初めてお会いしたのは1990年代の終わりころでしたが、ずっとご無沙汰していました。2008年の秋に再会してお付き合いを始め、やっと3年と少し経ったところです。付き合い始めて半年で私が乳がんになり、彼はどう思ったでしょう。心の中はわかりませんが、ずっと支えてくれています。

昨年7月に続き、明日が半年に1回の内視鏡検査&尿検査の日です。パートナーは口が重いので、お医者様にもあまり質問をしません。私が付いていくと少し質問がしやすいようです。

二人揃ってサバイバーになる計画です。二人揃って長生きしたいと思っています。
心からそう願っています。

2012年1月 5日 (木)

2012年最初の外来診察

朝からすがすがしい晴天。9時前に形成外科へ。朝9時の予約だったが、病院内にいることがわかったのか、通信機で8時50分に呼ばれた。もうすでに何時間も病院にいます、という感じのY医師。相変わらず忙しそう。当直だったのかしら。胸とお腹のケロイドが相変わらず良くならないことについては、とりあえず様子見。ただ、両胸に少しずつ感覚が戻ってきていることを報告すると喜んでくれた。ただ、左わきの無感覚については、「もう、それは、手術の時に神経が切れちゃっているからね」ということ。

また、再建手術後、湿疹や、炎症が以前より起きやすくなっていることを報告。現在は、手術のときのドレーンの穴の痕周辺がただれて、非常に痒い。ヒルドイド軟膏を処方していただく。「今年もよろしくお願いします」とあいさつして、今年最初の診察が終わった。

続いて、乳腺外科。こちらは、9時半の予約だったが、珍しく10時ころに呼ばれた。30分待ちは短い。昨年11月の浮腫クリニック受診の報告。明らかなリンパ浮腫でなかったことは、よかったですね、と喜んでくれた。また、「リンパ浮腫治療のマッサージは非常に奥が深いらしく、僕たちが習おうと思って、簡単に習えることではないらしいんですよね」とのこと。それゆえに、専門とするクリニックを紹介しているということだった。両胸、わき、鎖骨廻りなどを触診して、「はい、結構です。順調ですね。」とD医師。今回は触診のみで、検査はない。次回は4月半ばに血液検査と診察。4月というと、告知まる3年となるころだ。

関節痛がひどいことを訴えるが、「それは、薬の副作用の可能性が高いですね」と、しごく科学的な答え方。彼は、漢方などは処方してくれない。「漢方に詳しい先生なら処方されるのかもしれませんが、僕は…ですね」と、効果に疑問を持っている様子。この程度の関節痛は頑張って耐えないと…ということか。このおかげで、がん細胞が増えることが抑えられているのだから。

たくさんの外来患者が待っている待ち合いを抜けて、会計へ。ボランティアさんのテーブルの前を通る。私もいつか、この病院でボランティアをしたいと思っている。現在の仕事の忙しさではそれは難しい。週に1日はまるまる空けなくてはできないことだから。でも、本当に、いつか、ここで、エプロンをして、「ボランティアです」というバッチをつけて、この病院に来る患者さんたちのお手伝いをしたいと思う。

本日はアロマシン90日分とヒルドイド軟膏2本で、約17000円。今年も、この病院にお世話になりながら少しずつ体力をつけて、健康に近づいていきたい。

2012年1月 4日 (水)

2012年の初め。乳がんになって3回目のお正月

2008年秋の職場の健康診断で貧血がわかり、受診した内科でマンモを勧められ、数か月待って、2009年3月末に自治体のマンモ検査を受けたらなんと乳がん発覚。

2009年6月に両側乳がん全摘。8月からホルモン療法開始。

2010年2月に乳房再建手術(遊離皮弁)。9月に急性腎盂腎炎で入院。

2011年2月に子宮筋腫および両卵巣全摘手術。

気がつくと3回目のお正月を迎えていた。その間に同じ病気の友人を送り、新しく同じ病気の友人ができた。時間が確実に過ぎている。多くの方が書いていらっしゃるが、年末に片野あかりさんが亡くなったのはとても大きなショックだった。左側の図書欄でも紹介させていただいているが、彼女の生き方には学ぶことが多かった。今、彼女の姿はいなくなったが、彼女が残したものはたくさんの人々の胸のなかであかあかと燃えていると思う。お名前通りの輝きを私たちに残してくださったと思う。ありがとうございます。

さて、明日は新年最初の外来受診。形成外科と乳腺外科。年初めということもあり、きっと混雑しているのだろうな。また今年も新しいがん患者が次々とあの病院を訪れるのだろうな。参加している「ブログ村」も、新しい方がとても増え、登録しているブログも、私が参加したころのちょうど2倍の数になった。みなさんそれぞれにがんの顔つきは違うのだが、それぞれに考えながら一生懸命生きていらっしゃる。私も前向きに生きていきたい。

がんは大変な病気だが、大変な病気はほかにもたくさんある。「いのち」について一生懸命考えながら生きている人々と連帯する気持ちを持ちたいと思う。

そろって「がん」をかかえている、大切なパートナーも今年初めての受診がひかえている。仕事をなんとか抜け出して付き添いたいと思っている。今年も、「お互いに健康になっていきたいね」と気持ちを確認しあった。

パートナーは大みそかから元旦にかけて出張。遠くの地から、初詣に行ってきたよというメールがきた。私もいつもの天祖神社に初詣。「私たちを守ってください」と強くお願いしてきた。理解しあい、支えあう、人生の同行者として、彼を大切にしていきたいと思っている。

今年も不定期ですが、細々とこのブログを続けていきたいと思っています。思い出したら訪問していただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »