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2011年9月

2011年9月30日 (金)

叔父の葬儀が終わった

告知後10か月で旅立った叔父の通夜と告別式が終了。

それほど友人の多くなかった彼だが、たくさんの人々が焼香に訪れてくれた。
斎場に飾られた若い頃の写真。
東海道新幹線の車掌だった頃の白黒写真。
白い制服、白い制帽で座席に座り、足を組んで笑っている。
退職後はドライブ、パソコンいじり、社交ダンス、ハイキング。

近所の町医者に何度も行って、「悪いところはない」と言われ、自治体の健康診断もオールAで。ようやく大学病院へ紹介状をもらって受診したときには、余命1年を言い渡された。その1年も過ぎないうちに旅立ってしまった。

場所は違うけれど同じ名前の病気を持つ私。叔父の苦しみが人ごととは思えず。
それまでの叔父に感じていた気持ちとはまた違う気持ちを叔父に対して持ち、
心の中で応援してきた。

残された叔母が、この思いがけない喪失を乗り越えて行けるように祈るばかり。

それにしても・・・。この病気が本当に憎いです。

2011年9月26日 (月)

叔父が亡くなった

この週末に、叔父が膵臓がんで亡くなった。

新幹線の車掌だった。子供ながらに、白い制服に白い制帽の叔父がカッコいいと思った。

退職後はドライブに行ったり、パソコンをいじったりして、楽しげに過ごしていた。その叔父が、「やせちゃって・・・。でも、健康診断ではオールAなんだよね」と言っていたのがつい先日のようだ。

宣告時にすでにステージ4。ろうそくのように、体の中の力をすべて燃やし、ろうそくが消えるように、亡くなった。

明後日がお通夜。「お疲れさまでした」 と言ってくる。おじさん、おじさんが旅立ってから、急に涼しくなりました。もう、痛みはないでしょう。ほんとうに、お疲れさまでした。

2011年9月24日 (土)

太ってはいけないのに・・・

2月末~3月はじめにかけて子宮筋腫摘出のために入院したが、退院間際に激しい蕁麻疹になり、ステロイド服用を始めた。服用は5月に終わったが、その後2か月くらいはいわゆる「ムーンフェイス」状態が続いた。もうひとつの副作用が「食欲増進・体重増加」だった。これは、皮膚科医から忠告されていたことではあった。

ただの副作用ではなく、子宮筋腫の手術が終わり、当面、入院加療の予定がなくなった、という解放感もあったと思う。退院して2週間で東北大震災が起きたが、そのころからとても一生懸命食事を作り始めた。そして食べる量も増えた。

結果、3月はじめに退院したときと比べ、半年で3キロ太ってしまった。先週の形成外科外来で「3キロ太りましたぁ~」と報告すると、形成外科主治医Y医師は、「3キロって、かなりですよね・・・」という反応。

3キロ増えるとベルトの穴が1つ大きくなる、というが、まさにそんな感じ。服のサイズも1サイズ大きい方が楽な感じ。さらに、再建した胸が大きくなってしまった。これも、Y医師から忠告されていたこと。「太ったら、胸が大きくなるよ。お腹の脂肪を移植してあるんだからね」と何度も言われていたのに。

乳がん手術後に「太らないように」と言われていたのに。とても気をつけていたのに。この半年、今まで食べないようにしていたもの(主に肉類や塩分の多いもの)をだんだん自分に解禁するようになってきていた。気持ちの緩みがあったとしか言えない。

ざっくり言って、がんは脂肪をエサとするわけだから、脂肪がつきすぎてはいけない。いまから3キロ落とすのは、なかなか大変そうだ。でも、初心に返らなくては。

・・・そんなわけで、まずできること、と考え、「おうち飲み」をやめました・・・。ガンバリマス。

2011年9月23日 (金)

ついに遠近両用コンタクトレンズ

年齢的にも老眼がやってくるのは時間の問題だったとは思うが、ホルモン療法が始まってから極端に視力の衰えを感じるようになった。

もう1年半以上前に眼科できいてみたところ、ホルモン療法には視力の変動が伴うことがよくあると言われた(←昨年のエントリ「ホルモン療法と視力低下」参照ください)。

そのあとは、運転をするときには視力の良く出るコンタクトレンズ(しかし、近くはきびしい)、普段の生活では手元が見えるコンタクトレンズ(しかし、遠くはきびしい)を使い分けてきたが、手元が見えるはずのコンタクトレンズでも小さい辞書の字が読めなくなってきていた。肩こりや頭痛の原因にもなっていたと思う。これは、薬がタスオミンからアロマシンに変更になってから特に強く感じていた。

折も折、遠近両用コンタクトレンズを使っている方に出会い、「いいわよ~、ただし、個人差があるみたいだけれど」と言われ、先週眼科に行ってきた。すんなりと「では、試着してみましょうか」ということで、今までの1日使い捨てタイプより一回り大きく、レンズの端にある小さな点が外側になるように装着してみると、違和感は全くなく、遠近の境目なども全く感じられず、とても快適だった。遠くは1.2の視力が出た。手元はやや危うい。

とりあえず3か月使ってみることにして、2週間使い捨てタイプのソフトレンズを購入した。しかし、手元は100%はっきりというわけではないので、このレンズの上からかける、リーディンググラスのようなものを作った。

いよいよ、老眼ケアの時期に入ってしまった。年齢とホルモン療法の副作用の両方によるものだとは思うが、副作用を嘆いていても仕方がないので、少しでも快適に過ごせるように工夫していきたいと思う。でも、リーディンググラス用をペンダントのように胸にぶらさげておく「眼鏡チェーン」は、もうしばらくやめておこうと思っている。・・・悪あがきですね。

2011年9月20日 (火)

乳房再建したあとに子宮筋腫の手術

お腹をどのように切るか、というお話である。

2010年2月に遊離皮弁法で乳房再建をした。おへその下に、体を真横に横切る長い切り傷が残った。

2011年2月に、子宮筋腫と卵巣の全摘出手術を受けた。乳房再建の切り傷を再度開けての手術だった。子宮の手術は通常は縦切りである。婦人科主治医は、はじめは、子宮筋腫の手術をする条件として、再建の傷とは別に、通常の子宮の手術と同様に縦に切ることをあげた。理由は、子宮は体の非常に下の方、恥骨のあたりにあるので、おへその下くらいでは、まったく手が届かない、ということだった。でも、そうするとお腹に十字の切り傷が残る。

「そうですよ。それがだめなら、手術しません」と強気の婦人科主治医T医師を説得してくれたのは、形成外科主治医Y医師だった。形成外科は、科をまたがる手術が多い。傷を無駄に増やさないように気を遣ってくれた。Y医師は、私の前に同様の手術があり、「婦人科のW先生が、やはり、再建のあとの傷を利用して子宮の手術をするから、それに、T先生をお招きして、見てもらうことにしたよ」と言った。同じ婦人科の医者の中にも、横切りの傷を使うのをOKだとする人と、自分で切らないと心配だという人の両方がいるということだ。

T医師は、招かれた手術を見に来て、Y医師が、再建の傷を開いた後、皮膚を下まで広くはがし、子宮手術をするのによく見えるところまで開き、婦人科W医師が子宮を手がけるのを見学したそうだ。そして、「これなら、できるな」と言った、ということを、Y医師があとで私に教えてくれた。「見てくれたから、きっと大丈夫だよ」と言ってくれた。

その後の婦人科の外来で、婦人科主治医T医師は、体の開け方に一切言及しなくなった。そして、形成外科Y医師とのコラボでの手術を受け入れてくれた。そして、手術は無事に終わった。

あとで、婦人科のT医師は、「本当に、形成外科の先生ってさ、傷の治り方とか、本当に神経質だよね~。僕なんて、チャチャっと縫ったらテープはって、それだけだからね。形成外科の先生は、傷を毎日回診で見に来てるんだもんね~」と揶揄するように言っていた。外科と形成外科の違いがよくわかる発言だった。傷が治ることと、傷がきれいに治ることは、私たち患者にとっては大きな違いがある。

今も、私のからだの傷は横の1本だけ。十字架のようにならなくて、本当によかった。医師といろいろと相談し、こちらからの希望もよく伝え、お願いして、納得して手術を受けたいものだ。なんといっても、自分のからだなのだから。

2011年9月18日 (日)

子宮筋腫摘出手術を振り返る(2)

週末を入れるとジャスト2週間、実質的には11日の入院だったが、婦人科、形成外科、乳腺外科の先生方が見に来てくれて、明るい気持ちで過ごすことができた。希望していた個室がなかなかとれず、結局4人部屋で過ごすことが多かったが、他の患者さんはみな子宮がんで、多少申し訳ない思いがあった。「すみません、子宮筋腫なんですよ。でも、もともとは乳がんです」と、自己紹介が長くなっていた。

ステロイドはその後も服用しつづけ、皮膚科の外来に最初は1週間おき、次は2週間おき、次は1か月おきに通い、本当に少しずつ、少しずつ減らしていった。最後の外来はゴールデンウィークが終わった頃だったと思う。

そして、「ムーンフェース」!!!これがすごかった。顔がまん丸に。「服用が終わってから2か月後には治るはず」と言われていたが、本当にそのくらいかかった。4月末に友人の結婚式があったのだが、むくんだ顔で出席した。ローラーをつかってマッサージしてみたり、むくみとりの化粧品を試してみたりしたが、全く効き目はなかった。

皮膚科医によると、「手術のストレス」による蕁麻疹は、あまり珍しいことではないそうだ。友人の妹さんも、かなり大きな心臓手術のあと、激しい蕁麻疹が出たということだった。「体質が変わってしまったのでしょうか」と皮膚科医に聞いてみたが、「体質はそんな簡単には変わりません」と一蹴された。

いずれにしても、ステロイド、魔法の薬。あんなにひどかった蕁麻疹があっという間に良くなった。その後のムーンフェースも含めて、いろいろな経験をさせてもらった入院だった。

2011年9月17日 (土)

子宮筋腫摘出手術を振り返る(1)

時間が前後してしまうが、2011年2月の子宮筋腫手術をごく簡単に振り返っておきたい。

2月18日(金)入院 術前の決まり事(麻酔医の説明などなど)、終了後に外泊

     19日(土)外泊から病院に戻る。2泊3日は許可されなかったため。

     21日(月)手術。まず、形成外科主治医Y医師が、自家組織による再建手術でできた 
横切りの傷を開き、恥骨近くまで広く開けてから、婦人科主治医T医師にバトンタッチ。T医師が子宮と両方の卵巣の摘出を終了後、再度形成外科主治医Y医師にバトンタッチ。Y医師が、傷の両側にあるドッグイヤーを少し整えてから、縫合。手術後の2日間は、おなかがとても痛んだ。点滴から痛み止めを何度か入れてもらった。硬膜外麻酔のモルヒネで吐き気がひどく、風船に入った麻酔薬を使い切るまえにはずしてもらった。

     25-26日(金-土)ころから、まず左手の甲にポツっと赤い斑点ができ、それが非常にかゆいのでなんとなくポリポリとかいていたら、あっという間に赤い斑点が手の全体に広がり、それがだんだんと両手、両腕、両足、ふくらはぎ、ふとももなどに飛び火して、赤い部分が盛り上がり、体中が世界地図のようになってしまった。耐えきれないほどかゆい。ついつい機嫌が悪くなり、仕事を抜け出して見舞いにきてくれたパートナーT氏にも不機嫌に当たってしまう。

     28日(月)子宮がんではないということで、私に関してはとても「軽い」ノリで診てくれていた婦人科主治医T医師も「あれ~」という感じになってきて、それを聞きつけて、乳腺外科主治医D医師も「蕁麻疹出ちゃったんですって~」と見に来てくれた。T医師の判断で、皮膚科外来受診。皮膚科医は、不機嫌そうに、「ここは皮膚がんしか診ませんから」と決めのひとことを言った上で、アレルギー全般の治療薬「アレロック」を処方してくれた。

3月1日(火)「皮膚がんしか診ないと言われました~」と婦人科主治医T医師に訴えると、「アレルギーも診る先生が、今日は外来にいるから、もう一度診てもらおう」と言ってくれて、別の皮膚科医師に外来で診てもらう。結論は、「わからない。」原因は、手術のストレスなどが考えられる。皮膚科の発疹は、それに対処する薬はあるけれども、原因がわからないことがほとんどだという。ステロイド剤「プレドニン」とアレルギー治療薬「アレロック」の併用が始まった。

    2日(水)当初はこの日が退院予定日だったが、「もう1日いようね」と言われ、退院延期。しかし、ステロイド服用のおかげか、これほどひどかった蕁麻疹がどんどん消えていく。婦人科の内診でも、「治り方はまあまあかな」ということ。

    3日(木)まだまだかゆいところはたくさんあるが、めどがついたということで、めでたく退院。退院前に担当の看護師が来てくれ、今後のパートナーとの過ごし方について、きちんと教えてくれ、「潤滑ゼリー」の見本を何本かいただく。おそらく今後必要になるだろうということで。これは、本当にありがたかった(でも、まだ、必要にはなっていない・・・ありがたいことに。でも、そのうちに試してみようとは思っている)。よくあるQ&Aをプリントしたものもいただき、これもまた本当にありがたかった。機会があれば、ここで紹介したいと思う。

・・・・・・続きます。

2011年9月16日 (金)

子宮筋腫と卵巣摘出の影響

私の子宮筋腫はかなり前から(10年以上前から)あった。乳がん発覚のはるか前からである。最近の状況をたどってみると、2008年秋の職場の健康診断で貧血→内科検診→勧められて婦人科検診→子宮筋腫発覚→勧められて乳がん検診受診→乳がん発覚、という順番である。(このあたりは、以前の記事を読んで頂けると詳しく書いてあります。)

私の子宮筋腫は大きくて不快(生理の量が多く、貧血になる、子宮が尿道を圧迫して頻尿になる)ではあったが、癒着などは認められないので、基本的には手術は適応にならないとされていたが、乳がんの手術を受けた病院で院内紹介を受けた婦人科で、全摘をしていただいた。それでも緊急の方(子宮がんの方)が優先だったので、そうとう待機して、今年(2011年)の2月末に手術を受けることができた。

そのときに、乳がん治療を一歩進めることができる、という乳腺外科主治医のことばが決めてとなって、両方の卵巣も摘出していただいたのは、前の記事に書いたとおりである。この年齢になると子宮筋腫で子宮を全摘している人はかなり多く、友人だけでも片手では足りないくらいだ。彼女たちに卵巣も取ったかどうか聞くと、これがまちまちである。医師が「病気でもない臓器を摘出するのは絶対だめ」という状況から、「片方だけ」の方もいれば、「両方取った」という人もいる。

私は自分がすでに乳がんに罹患したという経歴から、今後子宮がんと卵巣がんのリスクを考えなくてもよいという意味でもぜひ卵巣を取ってもらいたかった。しかし、心配していたのはその後の生活である。

結論から言うと、ほとんど何の変化もない。腹痛なし、腰痛なし、お腹の違和感なし、お肌の状況変化なし。更年期障害の症状は術前と同様にあり、ホットフラッシュは強くなったが、これは事前了解済み。事前にほとんど情報が得られずに心配だったのは、パートナーとのおつきあいのことだったが、これも大きな問題はなかった。子宮全摘の場合、膣が少し短くなり(子宮をとって結紮するため)、また、その傷がなかなか治りにくいそうで、退院後2週間はお風呂につからないように言われた。また、術後2か月は性生活を行わないように、という指示だった。きちんと守りました♪

卵巣の摘出についてこれらのことを心配されている方々には、術後半年の現在においては、「私にとっては問題がなかった」とお答えできると思う。ただ、個人差があることなので、すべての人にとって何の問題も起きないということではないだろう。年代、他の病気など、個人の状況は異なるので、それぞれの状況に合った治療方法を選んでいくことが大切だと思う。患者側から医療者に積極的に話しかけていくことが重要なのだろう。なかなか耳を貸してくれない医者も多いけれど。(私の場合もそうでしたが、粘りました・・・。)

また、次の2点については、また別の機会に振り返ってみたい。

(1)退院間際にひどい蕁麻疹になり、そこから皮膚科治療が始まった。ステロイド治療について。
(2)私は乳房再建のときの大きな傷(横切り)がお腹にあるので、その傷を利用して子宮筋腫の手術をしてもらった。通常子宮筋腫の手術は縦切りである。そのあたりの事情について。

2011年9月15日 (木)

アロマシンの副作用

アロマシンは顕著な副作用として関節痛があるそうだ。私にもやってきた。アロマシンを服用し始めて半年。感じていることをいくつか。

(1)私の場合特に両手の関節、特に中指、薬指、小指が痛む。毎朝、目覚めると両手が固まってしびれた感じになっているのでゆっくりと動かしてほぐす。手を握ると痛む。手が全体的に硬くなっている感じがする。パソコンのキーボード操作ではけっこう打ち間違いが多い。ゆっくり打てば大丈夫(今のところ)。

(2)指の関節が太くなる。夏になると指がむくむのは、健康な方でもよくあることだが、指がむくむというよりは、関節が太くなる。今まで入っていた指輪が入りにくくなったのはショック。

(3)足の裏がひびいて痛む。うまく説明できないが、いつも底の薄い靴をはいているような気がする。とびきりコンフォート仕様の、底に厚いクッションの入った靴をはいた方がいい。最近はコンフォート仕様でもオフィスにはいていけるものがたくさんある。アシックスの「ワラッジ」などは定番のブランドだが、もう少しお安くて気軽にはけるものを見つけた。通販でも買える Fizz Reen というお靴、結構よろしいです。おすすめ。

また、アロマシンでは、骨粗鬆症も心配される(ホルモン剤全般だが)。心がけて小魚などを食べた方がよいと思う。

さらに、イライラする、集中できない、やる気が出ない、このあたりはよく言われていることだが、ホルモン剤と直接の関係があるのか、ホルモン剤をやめれば「シャキーン」とやる気が戻るのか、そのあたりは実際のところはっきりしないと思う。私は2年前にタスオミンを飲み始めて以来、仕事でのモチベーションの維持には本当に苦労している。でも、それは、乳がんという病気を経験して、人生で大切なことを考え直し始めたからかもしれないなぁとひそかに思っている。

2011年9月14日 (水)

今年の夏は暑かった

9月14日(水)

暑さ寒さも彼岸まで、とは言うが、今年の夏はまだまだ暑い。ホルモン治療を始めてから始まったホットフラッシュも、今年はことのほか辛かった。

2月末に子宮筋腫で子宮を全摘したときに、乳腺外科、婦人科の主治医と相談して、両方の卵巣も摘出した。「卵巣がなくなることは閉経と同じだから、今まで行ってきた閉経前のホルモン治療から閉経後のホルモン治療に移行できる」という乳腺外科主治医の話が決め手となり、婦人科主治医に卵巣も摘出してくれるように頼んだ。「取ってほしいなら取ってあげるけど、更年期障害の症状は今より強く出るよ」と言われた。それでも、卵巣がんのリスクを回避し、また、ホルモン治療を次のステップへと進めることのできる全摘をお願いした。ホルモン剤は、タスオミンからアロマシンへ。リュープリンは中止となった。

結果は主治医の言う通りだった。ホットフラッシュとそのあとの多汗がひどく、とくに顔の汗は半端ではなかった。節電で冷房を弱くしている電車に乗っていると、ぼたぼたと床に汗が落ちた。服の汗じみが心配で、真っ白か、真っ黒か、濃紺か、汗じみのめだたない色の服しか着なかった。はっきり言って、とても恥ずかしかった。

汗取りの下着を工夫したり、風の良く起こる扇子をさがしたりした。下着にスプレーすると冷やっとする清涼剤を使ってみたり、冷えピタを背中に貼ってみたりもした。ま、ほとんど役に立ちませんでしたよ。

この汗といつまでつきあっていくのかなぁ。おそらく冬も続くと思われる、このホットフラッシュ。薬で強制的に閉経させて、次には卵巣を取ってしまって、さらに閉経後のホルモン剤でとどめの攻撃。からだがあっぷあっぷしている。アロマシンの典型的な副作用とされる、関節痛も、両手と足でかなり強く感じている。次回の乳腺外科外来では、漢方薬について相談してみようと思っている。

でも、これほど不快な症状を抱えてはいるのですが、卵巣を全摘したことを全く後悔していません。

2011年9月13日 (火)

10か月ぶりの更新です

2011年9月13日(火)

前回更新が昨年(2010年)の11月30日なので、もうすぐ10か月になる。体調が比較的順調に推移しているため、病気に関連すること以外は書かないと決めたこのブログには「書くこと」が激減した、ということだった。

しかし、やはり、いろいろなことがあり、書きたいな、でも、ずいぶん間があいてしまったし・・・と躊躇していた。しかし、「ブログ村」は頻繁に訪問し、いろいろな方のブログを拝見しては、ポチをしていた。

調子が良いといっても、1日に目覚めている時間の大半は、病気のことを考えている。仕事などで忙しくしている時を除いては、ふっと我に返ると病気のことを考えている。

最近になって、力をたくさん頂いていた方々のブログが次々とご家族によって更新され、悲しい報告を読むことになった。一度もお会いしたことのない方々なのに、本当に身近に感じられ、悲しく、気持ちが沈んだ。そのような方々のブログはいまでも上位にランクされ、私たちにエールを送って下さっているようだ。

私の治療は幸運なことに今のところ順調に進んでおり、術後2年と3か月を迎えた。最近、私のように治療がうまくいっている患者もブログを更新した方がいいのかな、と思えてきた。つらいときはたくさん書いて、調子が良くなってきたらすっかり忘れてしまったかのように更新をやめるのもどんなもんかな、と思い始めた。

そこで、10か月ぶりという恥ずかしさだが、更新してみることにした。この10か月の間に、いろいろな経験もあった。それらを思い起こしながら少しずつ更新していきたい。

********過去1年間のおもな出来事********

2010年8月末~9月はじめ→術後初めての海外出張。無事に帰国
2010年9月末        →急性腎盂腎炎で緊急入院。1週間
2010年11月なかば    →術後初めての国内出張。久しぶりの東海道新幹線
2011年スタート       →術後2回目のお正月を迎える
2011年2月はじめ      →最初の入院のときに同室でお世話になった方が亡くなる
                 大きなショックを受ける
2011年2月末~3月はじめ→入院。子宮筋腫で子宮と両卵巣を全摘
                 退院間際に激しい蕁麻疹を発症し、ステロイド治療始まる
2011年3月11日       →東日本大震災
2011年3月末        →ホルモン治療、タスオミンからアロマシンへ変更
                 リュープリンをやめる
2011年5月はじめ     →東北新幹線が復旧し、被災地の友人を見舞う
2011年7月はじめ     →夜に激しい胸の痛みを経験。内科受診
2011年8月末~9月はじめ→比較的長期の国内出張。無事に乗り切る
2011年9月はじめ     →1週間で2回、安静時に激しい胸の痛み。
                 内科再受診。狭心症疑いの可能性があるかもしれないと
                 言われる(←本日)
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もう時間がたってしまっているできごともあるのだが、同病の方に参考にしていただけるところは少し振り返って書いてみたいと思う。

・・・ということで、ブログに戻ってきました。不定期な更新となりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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