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2010年4月

2010年4月30日 (金)

乳頭乳輪手術が終了

本日午後、無事に乳頭乳輪の再建手術と、お腹の傷の修正手術が終了しました。

局所麻酔でしたので、3時間の手術の間の先生方のやりとりもはっきり聞こえました。看護師の方も声をかけて下さり、安心して手術を受けることができました。

手術そのものはかなり痛いと感じました。お腹は痛いよ、と事前に言われていましたがその通り。麻酔注射から電気メスまで、ビリビリ、チクチクと痛みました。でも我慢できないほどではありません。

胸は、引きつれの原因となっている内部の膜を切り、腹部皮弁を除去して傷口を縫い直し、乳頭を再建。除去した皮膚を移植して乳輪を作りました。

術後、麻酔が切れるとともに腹部も胸もじわじわと痛くなってきました。ロキソプロフェン投入。
Y医師によれば「ばっちりできましたよ」とのことなので、早く鏡で見てみたいです。

今夜はぐっすり眠れそうです。

2010年4月29日 (木)

乳頭乳輪再建手術前日の胸

風邪は少しずつではあるが回復してきた。鼻声ではあるが、声も出てきた。結膜炎は、薬が効いているようだ。充血が少しずつ減って来た。…ということは、ウィルス性の急性結膜炎ではなかったということ。とにかく感染のリスクを少しでも下げて、手術に臨みたい。

今日は、乳頭乳輪のない、最後の胸の写真をアップする。下の小さい写真をクリックすると別ウィンドウで大きめの写真が開く。気持ち悪い方はスルーしてください。ご参考まで。

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手術から2か月半であるが、内出血の跡もなくなり、乳房の色も体の他の部分の皮膚の色と変わらなくなってきた。またいくつも開いたドレインの傷跡もだいぶ癒えてきた。脂肪が柔らかくなってきた。感覚も少しずつ戻ってきている。

写真でわかるとおり、乳房再建のときに血流確認の役割を果たした腹部の皮弁が残っているので、それが両乳房の上部に細い葉のような形になっている。明日は、この部分を取り除いて、傷を縫いなおす。そして、取り除いた皮弁を乳輪として乳頭周囲に皮膚移植する。自分でデジカメを使っているので左右のバランスが悪く見えるが、実際はもう少しバランスがとれている。ただし、大きさは左(この写真では向かって右側)の方がやや小さく、傷の縫い目も細いケロイド状になっている。右の乳房(この写真では向かって左側)の方が柔らかく、大きめで、傷もケロイドになっていない。全摘手術のときから、左の乳房は問題含みだった。エキスパンダーで感染し、9月に再度挿入手術をしたときも長く化膿が残った。形成外科主治医Y医師も先日の外来で「左はどうも、具合が悪いね」と言っていた。傷の位置も関係があるかも、とY医師は言っていた。

さて、今回、乳頭乳輪再建を行うに当たって、1つだけY医師に確認したのは、「もし、将来的に脂肪幹細胞による再生医療を受けたいという気持ちになったとき、今、乳頭乳輪を形成してしまうことが問題とはならないか」ということだった。今ある乳房の位置関係で場所を決めた後、脂肪注入を行って乳頭の位置がずれたりする可能性があるかもしれないと考えたからである。Y医師に聞くと、「全く問題がない」ということであった。私は今すぐに脂肪注入による修正を行う気持ちはないが、将来、もしその気持ちになったとしたら、その時に対応できるかどうか、ということを確認したかった。これで、今回乳頭乳輪再建手術を受ける気持ちがはっきりと固まった。

この両乳房にどのような乳頭乳輪ができるのか、わくわくしている。たとえ感覚はなくても、乳頭がつくことで、さらに自然な乳房になるだろう。楽しみだ。

2010年4月28日 (水)

入院前に風邪&結膜炎

明後日に入院と乳頭再建手術を控えているというのに、風邪と結膜炎にやられてしまった。

先週金曜日、職場のラウンジで向かい側に座った方が激しく咳をしていた。もしこれが電車の中だったら、私はすぐに立ちあがって席を替わるのだが、場所が職場のラウンジで、おまけにせき込んでいるご本人と話をしていたので、露骨に席を替わることもできず、「まずいなぁ~」と内心思っていた。その日の夜から喉の違和感が始まり、「これはまずい」と思っていたが、週末には外部の仕事があり、休むことができなかった。タンとセキがひどく、昨日から声がほとんど出ない。

さらに、月曜の夜から何となく左のコンタクトレンズが曇るような気がして、涙目になることがあり、火曜日の朝には目ヤニで左目が開かなくなっていた。鏡で見ると血管の1本1本がわかるくらいに充血している。

「感染」という2文字が頭を駆け巡る。感染で苦しんだ乳がん手術。どんなところから何が起きるかわからないことをいやというほど思い知った。術後安定しているはずの時期にエキスパンダーが感染して取り出す手術を受けた。あのときのことが思い出されてしまう。考えてみると、昨年4月の乳がん告知以後、一度も風邪を引かずに乗り切ってきた。それが、よりによってこの時期に…。風邪だって「感染」だし、「結膜炎」は読んで字のごとく立派な感染だ。怖い、怖い。

明後日入院、手術ということがあったので、今日は思い切って仕事を休んで朝から眼科を受診した。流行性結膜炎(いわゆるはやり目。強い伝染力を持つ)か、通常の結膜炎(伝染力は弱い)か現時点では判断できないということだった。ステロイドの点眼薬と消炎作用のある点眼薬を処方され、手術については、医師の判断に従いなさい、ということだった。

通常の状況で風邪と結膜炎にかかれば、うがいと手洗いをきちんとして、家族とタオルは共用せず、あてがわれた薬を使用して静かにして過ぎ去るのを待つだけだが、今回は明後日の手術がある。

乳がん手術で思い知ったことは、人間のからだには感染源がたくさんあり、そのときの抵抗力により、意外と簡単に感染がおこるということだった。

両側乳がん全摘手術から10か月。新年度の初め、忙しく仕事をして、自分の力がかなり戻ってきているという手ごたえを感じていたが、実は、体力が落ちて、免疫力も落ちていたのかな、と思う。少し、飛ばし過ぎたかな。ブログの更新も忘れるくらい、仕事をいっぱいいっぱい入れてしまっていた。

乳房再建の最後を締めくくる乳頭乳輪再建。うさぎのような真っ赤な目で入院しなければならない。ほとんど声が出ないのだけど、これで、局所麻酔の手術を受けて、「痛いです!」と言えなかったらどうしよう…。なんとか予定通りに進んでほしいという気持ちでいっぱいである。

2010年4月26日 (月)

乳頭と乳輪の再建手術

4月30日(金)に、乳頭と乳輪の再建手術を受けることになった。

両側乳がん告知から1年、全摘から10カ月、遊離皮弁による自家組織再建から2カ月。いよいよ、再建の最終段階が近づいてきた。乳頭の再建は、両側のため、胸部の皮膚を切って挙上して縫い合わせる方法。乳輪は皮膚移植を行う。移植する皮膚は、現在まだ胸に残っている腹部の皮弁を除去して用いる。また、現在少し段差になっている腹部の傷あとの修正を兼ねて少々皮膚を切り取り、それを用いることにもなりそうだ。

乳頭の再建の仕方にはずいぶん何通りもあるが、とりあえずのイメージは、このサイトでおわかりいただけるかもしれない。このサイトに載っているのは「スケートフラップ」というものである。これ以外に「スターフラップ(星の形に切る)」や「CVフラップ(アルファベットのCとVの字の形に切る)」などがある。私の主治医はもう少し違う形に切るので、これらのどれでもない。

できあがった乳頭は、乳腺が中にないため、沈んでしまいがちである。形成外科医によっては、沈むのを防ぐために、人工骨や耳の軟骨を切り取ったものを入れて皮弁で包み込むようにして縫い合わせる方もいらっしゃるようだが、私の主治医Y医師は「僕はしません」とのことだった。陥没を少しでも防ぐために、根元を少し小さく、上に行くに従って大きく作るということである。それにしても、必ず多少は沈むから、とは言われている。

自然の乳輪は、胸部の他の部分とは色合いも肌理も異なるが、その立体感を少しでも表現するために、乳輪部分のみに他から皮膚を移植してくるそうだ。そけい部の皮膚を少し切り取って用いることもあると聞いていたが、私の主治医Y医師は「僕はしません」とのことだった。

色合いは再建が落ち着いてから刺青で入れることになる。これはまだ先のこと。

保護材がとれて抜糸に至るまでにはしばらくかかりそうだが、楽しみになってきた。30日午前中に入院し、午後、局所麻酔による手術を受ける。2,3時間はかかるようだ。体調を整えて臨みたい。

2010年4月13日 (火)

告知から1年

2010年4月13日(火)

両側乳がん告知からちょうど1年が経った。1年前の今日、仕事を休んで乳腺外科外来を受診した。診療所からの紹介状とマンモグラフィの写真を持ち、4時間待って主治医となるD医師に対面した。細胞診による確定的な告知はさらに後日であったが、改めて受けたマンモグラフィとエコーの写真を見ながらのD医師の確信に満ちた宣告のあったこの日を、私は自分の乳がん生活の初日と考えている。

あれから1年。パートナーT氏は、「『まさか』と思ったことを日常のこととして受け入れて生活するようになったのだね。それだけ、頑張ったということだね」と言ってくれた。

そうだ。「まさか」と思った出来事から逃げず、投げ出さず、受け入れて、病気と丁寧に向き合って暮らしている。両方の乳房を犠牲にして乳がんをからだから送り出したが、乳がんは今でも私のからだの一部であり、私の生活の大きな一部である。

1年後の今、私は昨年と同じ職場にいて、疲れやすくはなったがなんとか同じ仕事ができている。外見も数キロ痩せた以外何の変化もない。

でも、私自身は、自分が1年前と全く違う人間になったことを感じている。これからの人生、がんという病気と共存し、がんが再び勢いを盛り返すかもしれないという恐怖感と共存し、がんという病気を知る人とも知らない人とも共存していく。1年前には想像だにしなかった自分の姿を受け入れ、前向きに生きていく。同じ病気の人たちと共感し、輪を広げていく。病気の人の悩みや辛さに共感できるようになった私は、1年前とは別の人間。

病気にかからずにそういう人間になれればよかった。
でも、おそらく病気にならなければわからなかった。

この1年間、よく頑張った。それでも、時々くじける。落ち込む。萎えそうになる。仕方がない。ゆっくりと進んで行こう。

今日から私は乳がん患者2年生。
進級、おめでとう。

2010年4月 2日 (金)

40,000アクセスありがとうございます

お礼申し上げます。

年度末のばたばたと新年度のごたごたに忙殺されて更新が滞っている間に、40,000アクセスを超えておりました。いつも本当にありがとうございます。

もうすぐ告知1年です(昨年の4月13日でした)。早いものだと思います。1年ぶりの桜を見ながらあのときの気持ちを思い出すと、胸が苦しくなります。この1年に4回入院し、今は、全摘した両方の胸に小さいながらも柔らかい再建乳房があります。なんという1年間!

病気は幸いにして今のところ順調に推移していると解釈しています。治療は毎朝のタスオミン服用と3か月に1度のリュープリン注射だけです。副作用は相変わらず大変ですが、最初の頃に比べると、慣れてきたように感じます。

告知1年の感慨は別記事にしようと思っているのでそのときまで大切にとっておきます。それにしても、言葉足らずのこのブログにいつも多くの方にご訪問頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

4月30日に乳頭再建の手術を受けます。その状況もお伝えしたいので、このブログももう少し続けたいと思っています。お付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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