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2010年3月

2010年3月25日 (木)

オンコロジードリームチーム・キックオフ・フォーラムに参加

3月21日(日)、「オンコロジードリームチーム・キックオフ・フォーラム」に参加してきた。

震えるほどに感動した。参加することができて、本当によかった。

基調講演もパネルディスカッションもすばらしく、時間の経つのがあっという間だった。最後の「夢を語る」セッションでは、参加者同士が話し合い、夢を語り合って、心が温かくなった。患者、家族、医療関係者、学生、みなさんとの絆を感じた。あの場所にもっと長くいたかった。

あのフォーラムを企画してくださったすべての方々に感謝。

その夜は、一緒に行ったがん友さんと高揚する気持ちを語り合いながら美味しいお酒を飲んだ。

フォーラムの内容については、少しずつここに書きとめて行きたい。断片的になると思うけれど。自分もしっかり覚えておきたいし、いろいろな方々とシェアしたいことがたくさんある。

2010年3月24日 (水)

仕事ができてありがたい

両側乳がん全摘の手術を受けてから286日。
乳房再建の手術を受けてから36日。
退院してから25日。
職場に戻って14日。

ひとつひとつの数字に意味がある。
重ねていく日々をありがたく思う。
仕事ができることに感謝する。

どうか、このままで。

2010年3月23日 (火)

いろいろなことが一周年

月日の流れのはやいことを実感するこの頃。ちょうど病気がわかってきたのが昨年の今頃だった。(←サイドバーのカテゴリー「乳がんと診断されるまでの経緯」参照)

2009年2月19日 貧血で受診した内科クリニックから紹介されて、レディースクリニックへ。ここで子宮頚がんと体がんの検査を受ける。結果は陰性。
2009年3月18日 地元の自治体の無料乳がん検診。その日には、問題なしと判定された。しかし数日後に違う医師から電話があり、問題があるので再度診療所に来るようにと言われた。
2009年4月2日 診療所へ。左はおそらく浸潤がん、右は石灰化が見られるが、おそらく大丈夫だろうと言われた。これも間違っていたが。ここで現在の病院の乳腺外科へ紹介状を頂いた。
2009年4月13日 乳腺外科初受診。乳がん告知。

本当にあっという間の1年だった。今年もまた、桜の季節がやってくる。昨年の桜の季節は、「私は乳がんかもしれない・いやきっとそうだ・そうであってほしくない・もしそうだったらどうしよう」…そんなことばかり考えていたような気がする。

今こうしてパソコンに向かい、昨年の今頃とはまったく違う心持ちでブログを綴れることを本当に感謝している。桜も今年は違って見えるだろう。病気との闘いはまだまだ続くけれど、落ち着いて取り組んでいきたい。

2010年3月22日 (月)

遊離腹直筋皮弁による再建写真(4)術後1か月

術後1か月を過ぎた。写真では、内出血などの色がほぼ消えて落ち着いたことがわかる。胸の手触りも、少しずつ柔らかさを増してきた。小さい画像をクリックすると別ウィンドウで大きめの画像が出る。気持ち悪い方はスルーして下さい。ご参考までに。

Photo

向かって左側(右乳房)に段差があるのが見える。これは、腕を上げているときにはわからないのだが、写真のように腕を上げるとはっきりとわかる。この段差は、4月末に予定している乳頭再建手術の際に解消の予定。傷を開いて、エキスパンダー挿入時にできていた被膜を除去することになっている。また、左右とも細い葉のような形で残っている腹部の皮膚は、術後の血流確認のために残してあったのだが、これももう必要ではないので、次回の手術のときに取り、傷が1本になる。

さらに、この胸に乳頭が再建される。乳頭の再建の仕方については、また後日アップしたい。

2010年3月21日 (日)

術後1か月(形成外科診察)

2010年3月19日(金)

術後1か月の形成外科外来診療を受けてきた。基本的には順調。数日前から腹痛が頻繁にあったのだが、形成外科主治医Y医師によると、腹筋に問題はないとのこと。また、腹部の傷に炎症の所見はない。しばらく様子見ということになった。

右胸に段差ができているところは、「被膜だね」と言われた。エキスパンダーを入れているときに、その周囲に被膜が形成されるそうだ。これをすべてはがしていないため、それが残って外から触ってわかるような硬さになっているらしい。はがしていない理由は、再建手術直後の胸の血流を確保するため、とY医師は言っていた。これは、乳頭再建の手術のときにはがしましょう、と言ってくれた。

左胸が右より小さくなったことについては、脂肪が吸収されたとのこと。これは、修正が難しいらしい。お腹の脂肪を吸引して遠心分離し、胸に注入しても、直後は大きくなるが、2,3か月すると約9割が体内に吸収されてしまい、残るのは1割程度、と言われた。そうでなければ最近話題の「脂肪幹細胞」を用いた注入、ということになるが、そこまでする気持ちには今はなれない。またこの治療は私が通っている病院では行っておらず、さらにとても高額であるということで、しばらくは考えないことにした。

診療の終り近くなって、「乳頭の再建の日程を決めましょう」と言われ、ぎょっとした。まだ術後1か月。私としては夏ころになるのかな、などと思っていたのだ。「ゴールデンウィーク頃なら、胸の状態も安定しているし、乳頭の場所を決めるのになんの問題もない」とのこと。そう言えば、今回の再建手術で入院したときも、病棟の看護師さんが、「次は乳頭ね。ゴールデンウィーク頃かしらね」などと言っていた。Y医師と私、それぞれの手帳を確認し、とりあえず、4月30日を目標にスケジュール調整することになった。この日に手術すれば、2,3日で退院でき、仕事復帰前が連休となり、からだを休めることができる。右胸の被膜をはがす際にドレインを入れた方がよいので、その分が1泊くらい増えるようだ。

乳頭再建のあと、さらに1ヶ月半ほどおいて、乳頭乳輪の刺青となる。

自分の乳房再建が後半戦に入ってきたことを実感する。考えてみると乳がんの発覚からもうすぐ1年。早いものだ。

2010年3月12日 (金)

遊離腹直筋皮弁による再建写真(3)

前回のような記事(下着を買いに行く)を書きつつ、再建写真のアップデートをするのは少し時間が前後してしまうような気がするが、ドレインが抜けた直後から、ごく最近(3月9日)までの写真を並べてみたいと思う。ちなみに、下着を買いに行ったのは、3月10日なので、このような胸の状態で、行ってしまったことになる。私はせっかちである。胸ができたのですぐにブラがほしくなった。さらに、3月10日は、久しぶりに電車に乗り、どきどきしながら職場に復帰した日なのである。階段が結構つらく、職場についてちょっと酸欠気味になってしまった。その帰りに下着を買いに行くのだから、ますますたちが悪い。少し舞い上がっていたと思う。

さて、小さい画像をクリックすると大きめの画像が出るが、気持ちが悪い方はスルーしてください。ご参考まで。

【2010年2月23日(火)撮影】
術後8日目。まだ抜糸が終わっていない。ドレインが抜けている。皮膚の色はまだ良くない。打ち身のように紫や黄色になっているところがあちこちにあり、内出血もある。
2010_2_23

【2010年2月24日(水)撮影】
術後9日め。抜糸が終了。
2010_2_24

【2010年2月28日(日)撮影】
術後13日目。退院後初めて自宅で撮影。縫合あとの赤みがだいぶなくなってきたように思える。
2010_2_28

【2010年3月3日(水)撮影】
術後16日目。浸出物もほとんど出なくなった。
2010_3_3

【2010年3月6日(土)撮影】
術後19日目。左乳房(向かって右側)の方が小さいと感じる。後になってからエキスパンダーを入れた方なので、皮膚の伸び具合が違うのだろうか。浸出物はない。
2010_3_6

【2010年3月9日(火)撮影】
術後22日目。ようやく3週間経過。皮膚の色もだいぶ落ち着いてきた。浸出物はまったくない。ただ、この2日間、アンダーバストの部分が非常に痛む。また、左右とも、外側にすこし凹みがある。これは、次回の外来で忘れずに質問したい。
2010_3_9

2010年3月11日 (木)

ノンワイヤーでもかわいいブラがしたい!

乳がんが発覚してから、初めて下着ショップに行った。

試着できるから下着、特にブラは店頭で選ぶといいと思うが、何せ両胸を横切る大きな傷を持った身なので、ずっとためらわれていた。手術前のブラはすべてサイズがまったく合わず、使い物にならない。形成外科主治医Y医師からは「ノンワイヤーならつけていいよ」と言われ、ネットショップを検索しては何度か注文したが、からだに合わない。やはりブラは試着しないと難しい。でも、「おサイズはどのくらい?」とメジャーを持って近寄ってくる店員や、試着室に入ってきてブラの合わせ方を伝授する店員など、下着売り場にはプライバシーがないイメージがあって、ためらわれていた。でも、ネット注文で失敗が続くので、お金が無駄になると考え、思い切って店舗へ行ってみた。

下着売り場は本当に華やかだが、ノンワイヤーのブラはほとんど扱っておらず、あったとしてもみなベージュや薄いピンクでおしゃれな感じがほとんどない、実用一点張り。なんとなく悲しくなってしまう。店員さんも「ワイヤー入りでも楽なのがありますよ」と勧めてくれるのだが、「乳がんの術後なので」とは言いたくもなく、理屈をつけて断ってしまった。

やはり、無駄足だったかな、今日はもう探すのをやめようと思ったのだが、3店舗めで、 「いくつか取り揃えてございます」と言われ、見せてもらったブラが、それまで探してきたものと段違いに美しかった。「ノンワイヤーで楽で、おまけにきちんと整えてくれるおしゃれなブラがやっと出た、という感じですね」と店員さんも誇らしげ。

ひとりで試着したい、というお願いも問題なく聞いてくれ、同じデザインでいくつかのサイズを試させてもらえた。乳がん発覚前と比較すると何サイズも小さくなってしまったが、それでも再建したばかりの胸がある。そこへ春らしい色のブラを当ててみると、傷は隠しきれないものの、新しいふくらみは両方のカップにそれぞれコンパクトにおさまった。私の再建胸は左の方がやや小さく、左カップがほんの少し余ってしまう感じではあるが、右はちょうどいい。アンダーの締め付け感もない。上からセーターを着てみると、やはりパット付きのキャミソールを着ているときとは全く違うメリハリができる。うれしい。

昨年の秋冬物から展開が始まったという、このノンワイヤーブラ、私たちのような術後の女性にとって、気持ちが明るくなる商品だと思った。春らしいピンクと目の覚めるようなイエローの2色を買い求めた。なんだかうれしくて、胸がじーんとしてしまった。

2010年3月 9日 (火)

遊離腹直筋皮弁による再建写真(2)

再建手術後5日目の胸部写真。小さな写真をクリックすると大きめの写真をご覧頂ける。気持ちの悪い方はスルーして下さい。ご参考まで。

傷の左右に入っていたドレインのうち、内側の2か所のドレインがはずれたところ。外側の2か所、2本ずつはまだ残っている。ここからかなりの量の浸出物がまだあった。
2010_2_20
それぞれの傷口に細く木の葉のように残っているのは、腹部の皮膚。ここに腹部の皮膚を残すことにより、術後すぐの皮弁に血流が確保されているかどうかを確認することができる。ガーゼ交換に来てくれる看護師も必ず指でこの部分を軽く押し、色がさっと変わるのを確認し、「大丈夫ね」と言ってくれた。この腹部の皮膚は、数ヶ月後に再建した乳房が安定し、乳頭乳輪を再建する際に取り除き、傷が1本になるようにするそうだ。

まだまだ内出血も多く、傷も生々しいが、この前日に初めてシャワーが許可になった。初日は写真を撮るなどということに頭は回らなかったが、この日はシャワーの前に自分で撮影した。ドレインが入ったままでシャワーが許可されたので驚いた。ドレインに外から水が入る心配はしなくてよい、それより、体液が体表に残るとそれが感染の原因になるので、刺激のない石鹸を柔らかいタオルで泡立て、強くこすらないようにしてきれいに洗い、シャワーでよく流すように、と言われた。

温かいお湯を体いっぱいに浴びて感激したが、体力が落ちていて、浴室の床に座り込んでしまった。

【2010年2月20日(土)撮影】

2010年3月 8日 (月)

遊離腹直筋皮弁による再建写真(1)

今回は、手術前日に形成外科主治医Y医師が行ったマーキングの写真をアップする。写真は2枚。小さい画像をクリックすると大きめの画像が出るが、気持が悪い方はスルーして下さい。ご参考まで。

胸部は向かって左(右乳房)のエキスパンダーが下がってしまっているため、アンダーバストをもう少し上げて向かって右(左乳房)と釣り合うようにマーキングしている。この写真の膨らみはエキスパンダーのものであり、手術の際に、上部の2か所の傷(乳房全摘手術時、エキスパンダー挿入時)を開いて、そこから皮弁を入れることになる。
2010_2_142

下腹部はおへそを中心に、これだけの広範囲にわたって切開し、皮弁を採取した。私は両側再建であるため、向かって左側の部分を右乳房に、向って右側の部分を左乳房に使用した模様。
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胸部についてはイメージが十分にわいていたが、その膨らみの「中身」となる皮弁を取る下腹部がこれほど大きく切られることについては、実際にマーカーで体に書き入れられてみると、さすがに少々怖気づいた。手術前日であるから、あとは、覚悟を持って臨むのみ…。その夜はそれまで頑張ってきてくれたエキスパンダーに感謝しながら眠った。ちょうど3週間前のことである。

【2010年2月14日(日)撮影】

2010年3月 6日 (土)

ギターが抱えられた

もう1年近くレッスンを休んでいるギター。今夜、思い切って楽器を出してきて、抱えてみた。

抱えられる。胸に当たっていたポートはもうない。ぎゅっとギターをハグする。どこも痛くない。涙が出る。

大好きなギタリストのDVDをかける。物悲しい響きに合わせて自分もたどたどしくコードを押さえる。

ああ、本当によかった。限りなく、涙が出る。

2010年3月 4日 (木)

20人に1人です。

2010年3月4日(木)

いま、日本の女性の20人に1人が乳がんに罹患すると言われている。早くわかればそれに越したことはない。それもよくわかっている。でも、実際のところ、みんながみんな、転移の心配のない、ごく早期の非浸潤がんですむわけではない。

「早くわかれば治るのに」、というのは、本当に、本当に、無責任な発言だ。

乳がんのこと、わからない人たちには、とりあえず、黙っていてもらいたい。

2010年3月 3日 (水)

退院して5日目です。

2010年3月3日(水)

2月26日(金)、術後11日目に退院することができた。退院後の経過は順調。だんだんとからだの可動域が広がっているようでもある。現在は職場に戻る前の自宅療養・リハビリの期間として静養につとめると同時に、からだを慣らすためにウォーキングなどをしている。
3月2日(火)、退院後初めての外来で、形成外科主治医Y医師の診察を受けた。「順調ですよ」とのことで、Y医師の表情も明るかった。

からだは、胸の2本の傷と下腹部の1本の長い傷のドレインが入っていた部分からの浸出物がまだあり、退院前に看護師に指導されたように、薄いパンティライナーを傷口に当てて、テープで止めている。ドレインが入っていた部分は縫合しないので、まだ口をあけている。腹帯は24時間着用。まだ当分の間はずせないらしい。胸帯は今週に入ってからやめ、ブラジャーとぴったりしたキャミソールを着ている。シャワーを浴び、刺激の少ない石けんでよく洗って、体液が体表に残らないように、これが最も大きな感染の原因だから、と言われ、可能なときは1日2回シャワーを浴びている。昨日の外来では、「もう、お風呂に入っていいよ」と言われた。ただし、お風呂のお湯は清潔に。

傷の痛みは、胸は手術前とほとんど変化なし。両胸の下部、アンダーバストにあたる部分が少し痛む。また、左胸の下部にえくぼのようなひきつれが1か所あるのでそれについても尋ねると、両方とも時間とともになくなっていくとのことだった。特に、左胸下部のえくぼは「しつけ糸で止めてあるところだから、そのうちなくなるよ」とのこと。笑ってしまった。腕の上げ下げはまだかなり不自由がある。ばんざいをするとかなりの引きつれと痛みを感じる。Y医師によると、どんどんからだを動かして、今の可動域のままで固まらないように、ということなので、少々の痛みはがまんして、肩回しなどの運動をしている。

下腹部の痛みは、腹筋の痛みではなく、傷そのものがひりひりと痛む感じ。腹筋の不具合はほとんど全く感じない。昨日の外来でも、ベッドに横になったまま、「足を上げてみて」と言われたので、片足を上げると、「いや、両足を一緒に上げてみて」と言われ、思い切って上げてみると、問題なく両足があがり、お腹に触れていたY医師が「腹筋には何の問題もないね」とにこにこしていた。就寝時も、術前と同じように、ころんとベッドに横たわることも、起き上がることもできる。くしゃみや咳をしてもほとんど痛まない。

ただし、下腹部の皮膚を広範囲に取って残った部分を縫い合わせているので、体が強く前に引っ張られる感じがしている。そのため、歩くときには首を前に突き出して腰が引けるような「おばあさん歩き」のようになってしまっている。これを少しずつでも、真っ直ぐに伸ばすようにしていかなければならない。

痛みについては、現在は1日2回、ロキソプロフェン(解熱鎮痛薬)とセルベックス(胃の薬)を服用している。これも、痛みの感じ方により、少しずつ自分なりにコントロールしていけるといいと思う。

胸の見栄えだが、形はきれいにできているものの、まだまだ、内出血のような、あざのようなものがあり、黄色、紫、黒の斑点があちこちにある。下腹部の傷あとも含めて、落ち着くまでにはかなりの時間がかかりそうだ。胸については、もう少し落ち着いたら、写真をアップしたいと思っている。下腹部は見た方のショックが大きいと思うので、当分は公開しないつもり。

思い返してみると、マンモグラフィーを受けてから、もうすぐ1年だ。本当にいろいろなことが押し寄せた1年だった。パソコンの前に座り、こうしてブログを更新できることを本当にありがたく思う。

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