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2010年2月

2010年2月25日 (木)

明日退院します

2010年2月25日(木)

胸と下腹部の傷、ともに、かなり乾いてきた。まだ浸出物は少しあるが、数枚重ねたガーゼを数時間おきに換えることで対応できる程度。胸の傷口はほとんど傷まないが、以前からの「胸に木箱が入ったような、金属かごが入ったような痛み」は変わらずある。慣れているので驚かない。

下腹部の傷は、乾いてきたが、新しいおへそからの浸出物がまだ少しある。また、傷口にガーゼが触れてこすれた感じにひりひりと痛む。しかし、これらもたいしたことはない。新しいおへそとは、おへそ部分を含む広範囲を皮弁として採取したので、傷口より上部の皮膚に穴をあけて本来のおへそが顔を出すようにしたもの。この穴をあける場所が多少ずれておへそが体の中心より左右にわずかにずれることがあると聞いていたが私のおへそはちゃんともとの場所に再現されている。はじめは周囲をぐるりと縫合されていたが、今は抜糸も済んで、すっかりおへそらしくなってきた。

かんじんの乳房だが、本当にきれいに、丸く、重みを持って、再建された。両側再建なので左右のバランスも良く、アンダーの位置もきちんと決まっている。エキスパンダーで膨らませたので、傷口は乳房全摘のときのものをそのまま使うことができ、傷は増えていない。お腹にあった脂肪が、今は胸の皮膚の下に丸くまとめられ、ぴんと張って、新しい乳房の装いをしている。

昨日は、乳腺外科主治医D医師が病室に来てくれた。彼が担当した両側乳がん全摘の患者で、遊離皮弁で再建したのは私が初めてだそうだ。再建された乳房を見て、「思ったより大きくできていますね」と感心していた。今後D医師が担当する両側乳がんの患者さんにも参考にしてもらえるといいと思う。

昨夜もお見舞いに来てくれたパートナーT氏は両手で新しい乳房に触れ、「水風船が入っていたときとは全然違う手触り」と言い、にこにこしていた。自家組織で再建して、本当によかったと思った。

術後3日間は体がとてもきつく、自分で決めたことなのだから弱音を吐いてはいけないと自分を励ましていた。10日経った現在は目に見えて状況が改善しており、やはり、再建してよかったと心から思う。

退院しても、周りの人に見せて歩くわけでもない。とてもパーソナルなところにある乳房。…だからこそ、時間をかけ、よく考え、意欲を持続して今に至ることができたことを、本当にうれしく思う。

2010年2月24日 (水)

術後9日目…お腹の傷と皮下脂肪

2010年2月24日(水)

前々回のエントリに書いた、「下腹部が茄子型になっている」ことについて、Y医師に聞いてみた。彼によると、これは、腹部から皮弁を取ったあと、傷口を縫い合わせたときに、傷の下方部にはまだ脂肪があるため、そこがふっくらとふくらんで見えるのだそうだ。筋肉がゆるんでいるということではないそう。要するに、私にはまだ下腹部にたくさん皮下脂肪があるということだ。

この茄子型体形を退院後エクササイズで少しずつ鍛えていかなくては。

今朝の回診で、両胸も抜糸。いよいよ退院が見えてきた。最短で明後日。午後になると発熱するパターンは今日も続いている。主治医は退院してよい、と言ってくれるので、思い切って退院してしまおうか?

2010年2月23日 (火)

術後8日目です。

2010年2月23日(火)

今週に入り、順調に推移して、昨日はお腹の抜糸があり、お腹の傷の両端のドレインが抜けた。シャワーも浴び、気分よく過ごしていたのだが、夜の検温で37.8度あり、びっくり。考えてみると、6〜8時間おきに飲んでいたロキソプロフェンを、痛みが和らいだのを理由にやめていた。看護師と相談して、すぐに服用。そのあと、ロキソプロフェンの服用時間に合わせて熱が上下している感じ。

私には昨年6月の両側乳がん全摘手術のときに術後10日近くたってからエキスパンダー感染・取り出しという辛い記憶があるので、今回もすぐにそれを思い出した。

もちろん形成外科主治医Y医師もそれをよく覚えていて、抜糸後のお腹の傷、胸の傷などを丁寧に診て、「感染の所見はない」と言ってくれた。さすがにほっとしたが、私は感染しやすい体質のようなので、しばらくは感染させないよう、しっかり体調をもとに戻すよう、こころがけていきたい。

発熱の問題はあるものの、昨日に引き続き、今日は両側の腋の下のドレインも抜け、両胸の抜糸を待つだけになった。お腹の傷の痛みもだいぶ改善し、点滴台に頼らなくても、売店に行って週刊誌を買い、歩いて戻ってくることができるようになった。背中の丸まった「おばあさん歩き」ではあるが、先週末は腰痛がひどく1分と立っていられなかったことを考えると大きな進歩。

退院はいつ頃?まだまだ痛みも、分泌物も、発熱もあるけれど、待ち遠しい気持ちになってきた。

2010年2月22日 (月)

術後1週間です。

2010年2月22日(月)

手術から早くも1週間を経過した。現在の状況は、

(1) 胸の傷口(体の外側)に外側に向けてドレインが2本。左右で計4本。
(2) お腹の傷口左右両端に外側に向けてドレインが1本ずつ。計2本。

ドレインは柔らかいストローのようなもので、バッグはついていない。そのため、厚くガーゼ(初めのうちはさらに紙おむつ)をあて、その上から防水紙でくるみ、さらに胸帯と腹帯でおさえている。分泌物が減るにつれ、ガーゼ交換も2時間おきから4時間おき、8時間おきへと間隔が広くなってきた。

飲んでいる薬は6時間おきにロキソプロフェン(鎮痛剤)、セルベックス(胃薬)、ミオナール(筋弛緩剤)。各食後にマグミット(便を柔らかくする)。そして毎朝のタスオミン(乳がんのホルモン治療剤)。

両胸は順調。術後すぐに脂肪がゴツゴツして丸みが足りないと思った右胸も、日が経つにつれてうまく丸みを帯びてきた。まだまだ内出血などであちこちが黒、黄色、紫色になっているが、これは時間とともによくなるはず。

これだけの膨らみを2つ作るだけの脂肪を供給してくれたお腹は、長い傷口をはさんでピチピチに張っている。傷口の下部は皮膚は張り詰めているが、その下にぼこぼこしたくぼみを感じ、形成外科主治医Y医師に聞いてみると、「取り残した脂肪が波打っているのかな」ということだった。回復後のエクササイズが大切と言われた。傷口の上下とも感覚はとても鈍い。500グラム余りの脂肪をとったはずなのに、鏡に写してみると、下腹部は茄子のように膨らんでいる。退院後少しずつエクササイズをして筋肉を鍛えていくことが必要なのだろう。

待ちに待った再建手術から1週間。最初の3日間は本当に苦しかったが、ようやく落ち着いてきた。今は、Y医師から預かったアンケート用紙に悩んでいる。「あなたはなぜ再建したのか」という質問はなかなか難しい。ベッドの中でゆっくり考えたい。

2010年2月20日 (土)

術後5日目です。

2010年2月20日(土)

月曜日の手術から早くも5日目。頭痛がひどく、携帯からの更新はなかなか難しい…。

*この5日間…*
15日(月)手術。夜になり、左側出血のため、患部を開き夜中から朝まで緊急処置。血流確保。いったん手術室行きを決めたが回避。1時間おきの処置で形成外科主治医Y医師不眠の夜。
16日(火)左側事なきを得る。夕方縫合。めまい、吐き気、嘔吐。研修医A医師不眠の夜。
17日(水)術後初めて、水を飲んでも吐かなかった。しかし、引き続きめまい、吐き気、頭痛。
○15日〜17日はベッド上安静。この3日間はつらかった。
18日(木)朝、導尿とドレイン1本が外れ、3日ぶりに歩行。体が「くの字」になり、直立しない。激しい頭痛。食欲が少しずつ戻る。
19日(金)点滴終了。ドレイン2本外れ、シャワー許可。激しい腰痛と頭痛。

昨日(19日)シャワー許可が出て、術後の汗、体液、血液を流すことができた。血液が体表に残っていると感染の大きな原因になるとのこと。まだ残っているストローのようなドレインにひっかけないように丁寧に洗う。

裸の体を初めて鏡で見る。丸い、2つの乳房。まだ縫い目ははっきりしているし、血流を確認するために残した腹部の皮膚が細長いパッチワークになっている。しかし、それでも、手に触れた乳房は、本物に感じられた。想像していたよりはるかに、本物。

下腹部の傷は本当に長い。体を横断している。「両側なので、がっちりとっちゃってますから」と、看護師。新しいおへそもできている。前のおへそが新しい穴から顔を出して、周囲が縫われている。

ストローのようなドレインが腹部からも胸部からも何本か出て、鮮やかな色の体液を吐き出し、白いバスタオルがたちまち染まる。でもこの色は心配ないそうだ。

今日は、昨日少し良くなったと思った頭痛が復活し、割れるよう。ロキソプロフェンと筋弛緩剤を処方されているが、あまり効果を感じていない。

新しい乳房と対面したうれしさと、術後のつらさがまだ半分半分。でもこれは自分で選択したこと。

頑張ります。

2010年2月17日 (水)

術後2日目です。

2010年2月17日(水)

妹に代筆してもらっています。

15〜16日にかけては左胸出血のため患部を開き血管を圧迫していた血液を抜き取りました。深夜から朝まで1時間おきの処置でした。

16日夕方、患部の再縫合を行いました。最も恐れていた血管の詰まりは回避されたようです。16日夜から今朝にかけては2時間おきの処置でした。

今朝、2日ぶりに水が飲めました。めまいと吐き気は続いています。硬膜外麻酔を外したので痛みが強くなってきていますが、ロキソプロフェンで対応することになりました。

まだまだ安静が続いていますが、新しい胸と早く対面できるよう頑張ります。

2010年2月16日 (火)

手術が終わりました。

2010年2月16日(火)

妹に打ってもらっています。

九時間余りの手術が終わりました。昨夜は11時頃から左胸の出血が激しく、縫ったところを開いて血液を吸い出しました。傷の中で血液が吻合した血管を圧迫していたからです。

なかなか一筋縄ではいかないものですね。

現在は麻酔による吐き気ど、発熱と、痛みと戦っています。

ベッドの上で全く動けない状態です。頑張ります。

2010年2月15日 (月)

これから手術室へ…。

2010年2月15日(月)

あと1時間足らずで手術室へ。浣腸も済み(あまり出なかったが…)、弾性ストッキングもはき、落ち着いた気持ちでベッドの上にいる。

明け方に目が覚め、今までのことを考えながらiPodでモーツァルトを聴いた。今朝は、気持ちを前向きにしようと、フラメンコギターのソロを聴いている。お腹の中から膨れ上がってくるようなエネルギーを、手術室まで持っていこう。

今日はこの10か月間のがん治療のひとまずの集大成。この日を迎えることができて本当に幸せだ。感謝の気持ちでいっぱい。

手術の成功を心から祈ります。新しい胸が、2つとも無事に私のからだに来ますように。頑張ってきます。応援してください。

2010年2月14日 (日)

明日、新しい胸が…

2010年2月14日(日)

午後6時から、形成外科主治医Y医師により、胸のデザインとマーキング。青いペンで両乳房と皮弁をとる腹部に何本もの線が。携帯からは写真がアップできないので、パソコンが使えるようになったら、アップしたい。

明朝は、9時に手術室へ。麻酔開始。「手術時間は少し長めに考えて、8時間を予定しています」とY医師。「よろしくお願いします」と頭を下げると、「がんばります」と言ってくださった。

昨年4月に乳がんが発覚して以来、3回入院して4回手術室に行った。たくさん泣いてたくさん笑った。家族、パートナーT氏、同僚、友人、そして医療スタッフのおかげで、ようやく再建までたどり着くことができた。今は感謝の気持ちでいっぱいだ。明日はこのからだをY医師に預けて、新しいからだを、新しい私を、つくってもらう。

本当に、とうとう、この日が来ます。感謝して、迎えたいと思っています。

手術直前の胸(エキスパンダー最終日)

2010年2月14日(日)

手術前の最後の胸部写真。左右のエキスパンダーに、それぞれ330ミリの生理食塩水が入っている。前回写真をアップした時は左右240ミリずつだったので、左右とも90ミリずつ増えていることになる。(←昨日もご紹介したが、エントリ「11月末の再建胸…エキスパンダー拡張中」を参照ください。) 生活している中でそれほど感じることはないが、このようにして写真で比較して見るとやはり大きく膨らんでいる。

2010_2

あまり見よい写真ではないが、ご参考まで。(小さい写真をクリックすると、拡大写真が表示されます。)

このエキスパンダーとも明日の朝でお別れ。右は8か月、左は5か月、私のからだの中で頑張ってくれた。胸がなくなってしまったあと、言葉にできないくらいの安心感を与えてくれたと思う。

ありがとう、お疲れさま、と言って送り出します。

手術まであと2日…

2010年2月13日(土)

午前中、形成外科医Y医師が研修医を引きつれて回診。「これから外泊だね。リラックスしてきてください」と上機嫌。最近お通じがあまりよくないので、マグミットを処方していただく。術後ベッドから降りられない日が2,3日あるようなので、その間に便意があるのはできれば避けたい。

看護師さんがやってきて、術前に預けるものを確認する。T字帯。腹帯、胸帯、大きなバスタオル、そこまではよかった。次はおむつ5枚。私が差し出したおむつをみて、「あら~」と彼女。「このおむつは、お尻にするのではなくて、胸の浸出液を吸い取るために胸に巻くのよ。だから平おむつって書いてあるでしょ」とのこと!「平おむつと言ってドラッグストアで買ってきたのですが…」「いえいえ、違いますよ」と言って、処置室から何枚かの平おむつを持ってきて、見せてくれた。なーんだ。大きな生理用ナプキンみたい。「では、これを売店で買ってきます。よろしければ、この間違えたおむつは病棟で使ってください」と言うと、「ま~、それは悪いわね。じゃ、物々交換しましょう。あなたの持ってきたのの方がずっと高いものだから」といって、もう一度処置室に取って返し、袋一杯の「平おむつ」と交換してくれた。よかった。これで一安心。

それにして、おむつにもいろいろな用途があるのだった…。私は、安静の時期に自分がおむつをあてるのかと思ってドキドキしていたのだった。(←エントリ「形成外科手術のために必要なもの」参照)妹が看護師と私のやりとりを見ていて、「そういえば、私も手術のときに、傷口に生理用のナプキンをあてたことがある」と言いだした。なるほど…モノには使いようが…。

明日、日曜日は午後5時までに病院に戻る。午後6時ころから、いよいよ術部のマーキング。エキスパンダーの胸が少し下がり気味なので、左右とも少し上げ気味に、そして、右(全摘手術と同時にエキスパンダーを入れた側)は外に流れてしまっているので、これをなるべく内側に、というのが、Y医師の計画。(←胸部写真はエントリ「11月末の再建胸…エキスパンダー拡張中」参照)シリコンインプラントと比べて、自家組織の場合はからだの上部までアプローチする(脂肪を移植する)ことが可能だそうだ。

「傷がもう少し下にあればよかったのにね」とY医師。以前から思っていたが私からは口には出せなかったことを言ってもらった。左の傷が上がっているので、少し深めのVネックなどを着ると、屈んだときに見えてしまうのだ。これは、全摘をした乳腺外科主治医D医師の判断だから、仕方がないだろう。

夕方、いつもお世話になっている整骨院へ。院長によれば、「最初の手術のときと全然違って、からだはいい感じだね。やはり、気持ちの持ちようでここまで違うものなんだね」とのこと。「昨年6月のときは乳がん全摘の手術だったし、今回は待ちに待った再建ですから。『攻め』の入院ですからね」と言うと、「なるほどなぁ、攻めか~」といって笑っていた。院長には、術後、腹部の傷あとの皮膚を伸ばし、癒着を防ぐ方法を考えてもらうことになっている。

手術まであと2日。もう、すぐそこ。

2010年2月13日 (土)

入院しました

2010年2月12日(金)

午前中に入院。採血、検温、血圧測定。午後から形成外科主治医Y医師の外来に呼ばれ、手術の概要について詳しく説明を聞く。妹が同席。

1 遊離腹直筋皮弁で行う。胸の血管は、肋骨の間からとるつもり。しかし、血管が、乳がん手術の影響で細くなってしまっているときには、腋の下の血管を使う。

2 もし、上記の2か所とも血管が良くないときは、その場で有茎腹直筋皮弁に切り替える。

3 遊離皮弁で行うときに最も困るのが、吻合した血管に血栓が生じること。移植組織に血行障害がおこり組織が壊死状態になり生着しない。その場合はそのままにしておくと腐るだけなので切除し、その後、インプラントや広背筋皮弁などの方法を考えることになる。

Y医師は私と妹の顔を交互に見ながらしっかり説明してくれた。最後に、「水入れましょう!」との思いがけない一言。左右に50ccずつ入れてさらに膨らませた。こんなに大きく再建はできないが、皮膚が伸びているほうが、手術しやすくなるそうだ。左右ともに330ccずつとなった。胸が張って少し痛むが、「あと2、3日だから頑張って!」と励まされた。Y医師は先日局所再発が疑われたときの細胞診結果が良かったことを喜んでくれ、「ドキッとしちゃうよね。でも良かったね」と。今回の再建手術で、膿疱の残った部分を「きれいにしますからね」と言ってくれた。

夕食後に麻酔医が2人で病室に来て、麻酔の説明。「全身麻酔」に加え、腹部の麻酔のための「硬膜外麻酔」をするとのこと。背中から脊椎に入れ、2日間腹部の痛みを和らげる。私にとっては初めての経験。

明日は朝食後、自宅へ。丸一日の猶予のあと、日曜の夕方に病院に戻る。Y医師が、翌日の手術に備えてマーキングをしてくれることになっている。

いよいよ再建手術への最終助走に入った。気持ちは落ち着いている。健康管理に気を付けて月曜日にベストの状態で手術に臨めるようにしたい。

2010年2月12日 (金)

入院当日…

2010年2月12日(金)

パートナーT氏に傷のない最後のお腹を見てもらった。彼は肌の感触を確かめるように、大きな温かい手で何度も私のお腹をさすってくれた。

リスクのある何時間もかかる手術で、からだに傷をつけて、それでも新しい胸に自家組織を使うことを選んだ私。「あなたがハッピーになれる方法が、僕にとってもハッピーだから」と言って私の選択をサポートしてくれたT氏。自分のためにも、彼のためにも、そして家族のためにも、良い結果が出るように、祈るような気持ち。

いよいよ、これから入院。術前検査と主治医からの説明がある。明日土曜日は外泊して日曜日に病院に帰る。月曜日、朝から手術。

では、行ってきます。

2010年2月11日 (木)

胸が痛い

入院まであと2日。急ぎの仕事を片付けるために書類や資料をたくさんかばんに入れて通勤している。今日はとても胸が痛い。形成外科主治医Y医師から、床に置いてある重い荷物をぐっと持ち上げるような動作はなるべくしないように、と言われていたが、最近はずいぶん重いかばんも持っていた。

今日のかばんは特別重く、腕が震えた。「筋肉が落ちたな~」と思いながらも、何とか持ちこたえたが、帰りの車内で、みぞおちのあたりがぐっと押されるような痛み。やはり、荷物が重すぎたのか。こんな大事な時に無理をしてはいけないなぁ。

本当なら2,3日前から休みを取って、手術のことだけ考えていたかった。乳がん全摘手術のときには待ったなしの緊急感があったが、今回は自分を繰り返し納得させたうえでの手術であるだけに、心を平静に保ちたいと臨んでいる。でも、なかなかそうは行かない。まだまだ片付ける仕事がたくさん残っていて、腕が震え、胸が痛む。

入院前の大切な時間を穏やかに過ごせないことが残念だ。いらだちを感じてしまう。そんな自分に、がっかりする。悪循環。

2010年2月10日 (水)

胸を揺らせて踊りたい

友人の踊りのライブに行った。

小さなスペインレストランの片隅に板を敷き、そこが即席のステージ。2本のギターと、2人の踊り手と、1人のパーカッションがすべて。

この踊りでは、女性がその女性らしさをすべてさらけ出して私たちに迫ってくる。髪も、足も、手も、目も、そして胸も、すべてが女性であることを主張する。

私の目は、2人の美しい踊り手のからだに、そのしなやかさに、その激しさに、釘付けになった。なんてきれいなんだろう。なんて女らしいのだろう。うらやましい。ただ、うらやましい。

ライブが終わって、彼らのテーブルに呼ばれ、一緒にお酒を飲む。「すてきだった!きれいだった!惚れぼれしましたよ~」と言うと、「あはは。私、チャッカマンなんです。すぐ、火がついちゃうから」と屈託なく笑う彼女。「私も習ってみたいな~」と言ってみると、「ちょうどいいじゃないですか、ギター習ってるから。踊りも習うと、リズムがよくわかるようになりますよ」と前向きなアドバイス。

再建が終わって、自分の胸ができて、少し激しい運動もできるようになったら、本当に習ってみようか。自分の気持ち、苦しさ、楽しさ、いろいろ込めた踊りができるようになるだろうか。胸を揺らせて、汗を飛ばして、踊れるようになる日が来るだろうか。

「次回のライブのときは入院してるんですよね。その次のライブ、3月にするから、また見に来てくださいね」と、私の病名を知らない彼女は明るく誘ってくれた。元気になりたい。元気になりたい。からだが動かせるようになりたい。お腹の底からそう思った夜だった。

2010年2月 9日 (火)

30,000のアクセスを頂いて…

2010年2月7日(日)、気付かないうちにアクセスカウンターが30,000を超えていました。この1か月の間に10,000のアクセス、ありがとうございました。

何度も繰り返して申し訳ありませんが、このつたないブログに、いつも、恐る恐る記事をアップしています。書いたものをすぐに公開する勇気がないので、最近は前日に書いて、翌朝7時に公開するという設定にしています。そして書いたあと、また読み返して直したり、おろおろしています。皆さまのコメントを頂きたい気持ちも強いのですが、きちんとコメントをお返しする力(時間と気力と体力)はないし、結局ご迷惑をおかけすることになるのではないかと思い、ずっとコメント欄を閉じています。

今後の予定ですが、乳房再建手術の経験については、なるべく頻繁に更新し、再建を考えていらっしゃる皆さまのお役に少しでも立てればと思っております。その後は乳頭乳輪の再建など、新たな展開があったときや、ご報告したいことがあったときに随時更新させて頂きたいと思っています。

また、携帯電話から読んで下さっている方はお気づきかもしれませんが、携帯電話のブログ画面から不愉快な広告を消すために有料のサービスにしました。この結果、携帯電話からのアクセス数がわかるようになりました。すると、ブログを再開した昨年11月以降、携帯電話からは16,000を超えるアクセスを頂いていることがわかり、本当にありがたく、感激しています。乳がんと闘い、再建を前向きに考えている方がたくさんいらっしゃるのだろうと思い、私も勇気づけられる思いです。

皆さまからのアクセスを力として頂き、少し怖い手術に取り組みます。きっとうまく行くと信じています。

本当に、いつもありがとうございます。

2010年2月 8日 (月)

再建手術まであと1週間

再建手術まであと1週間。手術の考え方や手順については、だいたい調べ、自分が受ける遊離腹直筋皮弁術についても納得した。(←エントリ「Free TRAM flap 手術と DIEP flap 手術の違いについて(私見)」および、「再建手術…聞けそうで聞けなかった質問」を参照ください)

乳がんが発覚してから10か月。この間、全摘、エキスパンダー感染、再発の不安などを経験しながらも、再建への意欲を失うことなく前向きに持ち続けることができたことに感謝している。

ここに来て望むことは、腹部の皮弁が予定通り胸に生着すること。それだけ。日本人女性の20人に1人(5%)が罹患するという乳がんにかかり、3%の確率と言われたエキスパンダー感染を経験し、今度は5%の確率で血管が詰まるかもしれない手術に取り組む。確率が何も意味しないことは、この10か月の経験で十分にわかっているつもりだが、再建が無事に終わることを心から願っている。

再建が無事に終了すると、その後に乳頭乳輪の再建などはあるが、ひとまず一連の乳がん治療に区切りがつけられる気がする。形成外科主治医Y医師によると、術後1か月もすると「揉めるくらいになるよ」とのこと。それが本当だとすると、

(1) うつ伏せになれるかも。
(2) スポーツクラブに再入会して、水中ウォーキングが再開できるかも。
(3) ギターをかかえても痛くならず、練習が再開できるかも。
(4) 下着売り場にブラジャーを買いに行けるかも。
そして何より、
(5) パートナーT氏に心配なく触れてもらえるかも。
そして最後に、これは間違いなく、
(6) これからの治療に前向きに取り組めるようになるだろう。

胸に木箱あるいは金属製のカゴが入っているような、前から全力で押しつけられているような胸の痛みは絶え間なくあり、今回の再建手術でエキスパンダーを取り出し脂肪組織を移植したとしても、引きつれや傷がある以上痛みから解放されることはないのだろう。

それでも、悲喜こもごもに過ごしてきたこの10か月間の最後に乳房再建を迎えることのできる幸せを噛み締めている。胸の痛みは、再建した乳房と一緒に乗り越えて行きたい。

入院が近づき、少し緊張してきました。頑張ります。

2010年2月 7日 (日)

他人の痛みのわかる人に…

同じ病院で乳がんの治療を受けている「がん友」さんと食事した。私の入院へ向けての「壮行会」と、彼女の「乳房再建1周年記念」を兼ねて。

同じ病気を持ち、年齢も近く、同じ病棟に入院した経験もあり、主治医が同じで(乳腺の主治医は違うが、形成の主治医は同じ)、美味しいものが好きな彼女。知り合ってからまだ日は浅いが、会うたびにより深くわかりあえる気がする。

出身地も、職業も、50年近い人生の経験も何もかも違うが、同じ病院で同じ病気を治療している、このことをきっかけとして親しくなり、まだ二人だけで会うのは3回目だというのに、まるで何十年来の知り合いであるかのような親近感で話ができる。「シンパシー」は「同情」ではない。お互いの幸運も不運も受け止めたうえで「共感」することを言う。私たちは小さなイタリアンレストランの片隅で、同じ皿から食べ物を取り、同じ瓶からワインを飲み、手を叩いて笑い、ぽろぽろこぼれる涙を拭き、人生のうちの4時間を共有した。

1日の仕事のあとで午後8時近くなってからの夕食。ときには小さなあくびを隠さず、語り合った。そして2人で確認し合ったことが、「他人の痛みのわかる人…これが、人間の基本でしょう!」ということだった。

自分は病気でなくても、病気の人の気持ちがわかること。もちろん、病気でない人が病気の人の気持ちを100%理解できるとは思えないが、なんといっても「想像力」。これを使うことで、暖かい人になれるはず。お互いの職場での経験などを話し合い、わかってくれる人とわかってくれない人がどんな職場にもいるよね、と合意し、「他人の痛みがわかるように、私たちもなりたいね」と。辛い思いをしている人の立場に自分を置き換え、想像し、自分にどんな支え方ができるか考える。これは、同じ病気を持つ彼女と私の間にもそのままあてはまる。私も、彼女の痛みのわかる人になりたい。

「入院したらお見舞いに来てね!」とわがままを言う私。「最初の3日間は辛くて誰とも会いたくないと思うから、落ち着いたと思った頃に行くよ!」と再建手術の経験者らしい彼女。「絶対うまく行くよね、祈っててね!」とお願いし、「絶対大丈夫!」と太鼓判を押してもらい、深夜の駅前で何度もハグして別れた。

こんなすてきな友人に支えられて、手術の日がまた一日近づく。

2010年2月 6日 (土)

形成外科手術のために必要なもの

昨日の細胞診の結果がシロだったため、気持ちが一挙に再建手術へと加速した。今朝は気持ちがずいぶんと晴れ晴れしているのを実感した。朝起きると青空がきれいだと感じる。通勤電車を乗り継ぐためにホームに降りると、周囲が普段より明るく感じる。空気が暖かく、春がもうすぐだと感じる。視野が広がっていく感じ。昨日までの圧迫感から解放されている。ありがたい。

今日から少しずつ手術に必要なものをそろえ、大きな紙袋にでも入れておこう。
(1)浴衣式の寝巻き…この時期に浴衣は悲しいし、前がはだけるのがいやなので、ネットで、前が全開になる木綿のネグリジェを購入しよう。夏の入院のときも感じたが、かわいいデザインの寝巻きは、かぶって着るタイプのものが多く、ネットの通販サイトでも、全開のネグリジェは本当に少ない。お腹を横に大きく切るのだから、パジャマはしばらく無理なのだろう。下着も着られないのか?
(2)T字帯…前回(2009年9月)の入院のときは、事前に指示がなく、手術の直前に「T字帯持ってますか〜?」と言われ、あわてた。結局、手術衣の下に何も身につけずに手術室に入ることになってしまった。今回はそんな恥ずかしいことは避けたい。でも、T字帯も考えてみると、ちょっと恥ずかしい。
(3)胸帯…とても使いにくいものだが、乳がん手術には必需品。私も全摘手術のときに本当にお世話になった。3枚か4枚持っている。マジックテープの部分でかぶれてしまい、体に大判のガーゼタオルを巻いてから使用していた。胸帯にはいろいろな種類があるようだが、それぞれの病院で指定のものがあるのだろうか。もう少し使いやすくてしっかり押さえられるものはないのだろうか。
(4)腹帯…私は出産したことがないので、昨日ドラッグストアで初めて購入し、何とも不思議な形に驚いた。日本ではさらしだが、海外ではどのようなものを使うのだろうか。たとえば、形成外科手術先進国の欧米では?
(5)紙おむつ…これは衝撃だった。自分がおむつを当てる?ちょっと、早い…。乳房再建手術を受けた知人が、「3日間動けないわよ」と言っていた。小さい方は、導尿を行ったそうだが、「大きい方はどうしたの?」と聞いてみると、「3日間、出なかった」と言っていた。私も3日間、便秘したい。前日、絶食したほうがいいだろうか?おむつを求めにドラッグストアに行ってみると、今はパンツ式のものが多く、それに、尿取りパッドのようなものを重ねて使用するそうだ。私は「平おむつ」と指示されていたので、店員さんに相談すると、いわゆるおむつ(赤ちゃんが使用するようなもの)は2種類しか置いていなかった。お尻回りの大きさで3種類、男女共用。将来、親の介護で、このようなものを使うようになるのだろうか。いろいろ考えてしまう。

実際にこれらの道具を使ってみて、感想を術後に報告したいと思う。

さぁ、入院まであと1週間。通常通りの仕事をしながらも、入院のこと、再建胸のことなど、いろいろ考えてしまう。この1週間で済ませておかなければならないことがたくさんあるのが煩わしいが、漏れのないようにしないと。「あの人、胸の再建で入院しているのよ」などと言われたくない。胸の再建が私にとってどんなに大きな意味を持っているか、胸のついている人にもわかってほしいが、それはおそらく難しいのだろうから。

早く、来い!新しい胸!

2010年2月 5日 (金)

「腫瘍細胞を認めない」診断

本日は、乳腺外科D医師の外来。目的は2つ。

(1)先週金曜日の、左胸しこりの細胞診の結果を聞く。
(2)ホルモン治療の継続。

(1)細胞診の結果、左胸に認められたものは、「のう胞」らしい。抽出されたものの中にあったものは、『○○(記憶不確か)」と『赤血球』であり、『腫瘍細胞は認められない』ということだった。D医師の前にあるコンピュータスクリーン上の電子カルテにあかあかと光る文字を、私もまじまじと見てしまった。よかった。今回は、免れた。

いつもポーカーフェイスのD医師も、今日は何となく明るい表情をしているように感じる。「これで、予定通り、再建ですね」と笑って言ってくれ、「僕も、ほっとしました」と言っていただけた。

「形成外科のY先生は連絡をとろうとすると手術中などで、まだお話しできていないのですが、僕から、大丈夫だったということを説明しておきますから」ということだった。本当に、ありがたい。

(2)3か月に1回のリュープリンの注射。1回目はからだの前、おへその左側。2回目は、右お尻。今回は3回目。看護師さんがD医師と相談してくれ、「(リンパ節をいくつか取っている)腕はなるべく使わないように」というD医師の指示で、今回は左のお尻となった。

D医師の再来プラス注射1本で26000円余り。タスオミン90日分で、7000円あまり。本日は大出費。

いずれにしても、これで、いよいよ、再建にまっしぐら。形成外科看護師の指示により、病院の帰りに、ドラッグストアで「腹帯」と「紙おむつ」を購入。「胸帯」と「T字帯」はすでにある。手術後、3日間絶対安静らしいので、その間に使用する(かもしれない)紙おむつというものを生まれて初めて購入した。

帰宅して、パートナーT氏、妹、病棟で知り合った何人かの「がん友さん」に報告。本当に喜んでくれた。

目の前が少しずつ開けてくる感触。再建へ。(まだない)胸が躍るような気がする。


2010年2月 4日 (木)

職場での違和感とこの病気

この病気になってからはっきりと自分の中に起きた変化を感じることができる。それは、人生で何が大切かをよく考えるようになったということ。

乳がん手術後に職場復帰し、もう半年を過ぎたが、病気になる前に持っていた仕事への気持ちと明らかに違うものを感じている。仕事に意欲がなくなったということではない。仕事の何に意欲を感じるか、ということだ。

自分の部署にいる人たち、ひとりひとりを大切にして、伸びて行ってもらいたいと思う。その人たちに力の差はあるけれど、力の足りない人も、力の余っている人も、協力して、仕事をしてもらいたい。職場をひとつの社会ととらえ、皆が助け合って共存していける場所であればいいと願う。

甘い考えなのかもしれない。でも、仕事も、人生も、ひとつのものさしでは測れない。お互いにいろいろなところを見なくては。評価しなくては。一刀両断はいけない。そんな考えが強くなっている。だから、成果第一主義の人たちに疎んじられるようになってきたと感じる。

この病気はいろいろなことを考えさせる。人生観も変えさせる。人生観が変わった私を使い続ける上司、人生観が変わった私と仕事する同僚、違和感を感じることもあるのだろうな、と思う。

なにより、私も大変だ。「大切なことはもっと他にあるのに…」と思ってしまうことが多くて。

2010年2月 3日 (水)

ホットフラッシュと体温調節

ホットフラッシュについては何度もこのブログに書いており、いろいろ大変ではあるけれども時間がたつとともにだんだん軽減するのではないかと期待している。でも、ホルモン治療を始めてまだ半年足らず。体温調節ができずに、身の置きどころがない状況になることも多い。

・寝不足でホットフラッシュ:これは非常にきつい。寝不足でぼ~っとしているところへ追い討ちをかけるようにホットフラッシュ。どうしたらいいかわからなくなる。イライラ感がつのるような感じになることもあり、職場でこのような状況になったときは、対人関係に十分配慮して行動することが大事のようだ。体が疲れているときも同様。

・会議中にホットフラッシュ:暖房がききすぎているのか、私だけが暑がっているのか、判断に困ることが多い。「暑いですか?暖房、調整しましょうか?」と聞けるような会議なら、思い切って聞いてしまうが、緊張感の漂う会議では、我慢するしかない。緊張感が増すと、ホットフラッシュも悪化するので、これはかなりつらい。

・睡眠中にホットフラッシュ:2時間おきのホットフラッシュは依然として続いており、羽毛ふとんは効き目はあるとは思うが、両肘の内側や首回りにびっしょりと汗をかいて目覚める(←エントリ「ホットフラッシュには羽毛ふとんが良いのでは…?」参照)。今は冬の時期なので、ふとんから体を出し、冷えるのを待つ。しばらくすると逆に寒くなってしまい、ふとんをかぶって体が温まるのを待つ。この繰り返し。からだに悪いなぁと感じる。さらに、汗を何度もかいて目覚めるので、翌朝出勤前のシャワーと洗髪が不可欠。

そんなホットフラッシュだが、「ホルモン療法(タスオミン+リュープリン)が仕事をしている」と信じて続けていくしかない。明日は、左胸のしこりの病理結果を聞くと同時に、リュープリンの注射日でもある。

再建のための入院まで、あと10日。ここへきて、時間が経つのが速く、入院中の仕事の手配にあっぷあっぷしている。

2010年2月 2日 (火)

貧血と子宮筋腫があって、乳がんが見つかった

かなり前のエントリに、「乳がんと診断されるまでの経緯」を詳しく書いた。(←その最初は、「乳がんと診断されるまでの経緯(1)」参照)

しかし、それは、マンモグラフィーを受診したあとのことのみについて書いており、マンモグラフィー受診に至った経緯は書いていない。

今、あらためて考えると、職場の健康診断がいかに大切か、身にしみて感じる。乳がん発覚のきっかけは、2008年秋の職場の健康診断だった。今からもう1年半も前のことになる。この年、初めて健康診断で「F評価(要再検査)」がついた。貧血だった。最寄りの医療機関で受診せよ、とのことだったので、自宅近くの内科クリニックに行き、再度血液検査を受けたところ、「血液が底をついている」と言われるくらいの貧血だった。「まずは、婦人科受診を」と言われ、「大腸がん、子宮がん、乳がんはちゃんと検診を受けておきなさいよ」と、内科医師にポンと膝を叩かれた。

その日のうちに、内科で紹介を受けた婦人科クリニックに出向いた。内診とエコーの結果、すぐさま子宮筋腫と診断された。「赤ちゃんの頭くらいあるよ。よくここまで放って置いたね」と言われ、確かに、ずっと生理が重かったことに思い当った。

50歳という年齢もあり、おそらく近いうちに閉経し、筋腫もだんだんと小さくなっていくだろうから、とりあえず鉄剤を飲みながら様子を見なさい、と言われ、フェロミアを処方された。同時に、子宮がんの検査を受け、子宮頚がん、体がんともに、陰性という結果を得た。

子宮がんは陰性だったものの、子宮筋腫という病名をつけられ、「私でも病気になるんだ」と初めて自覚した。それまで本当に病気らしい病気をしたこともなかったし、けがや入院の経験もなかった。

ちょうどその時に、地元の自治体が50歳の女性に無料の乳がん検診(マンモグラフィー)を行う、という知らせがあり、さっそく申し込んだ。これが、明けて2009年1月のことである。マンモグラフィーの実施は、3月なので、しばらく待つように、と言われ、3月中旬までのん気に待っていた。その後の怒涛のような状況は、「乳がんと診断されるまでの経緯」に詳しく書いたとおりである。

現在は乳がんの治療が生活の中心であり、子宮筋腫のことをじっくりと考えることはほとんどなくなった。でも、依然として下腹部を触ると硬いゴムまりのようなものが指に触れるし、筋腫が尿道を圧迫するので、トイレは近い。でも、以前ほど気にしなくなってしまった。乳がんをどうするのか、が中心課題となってしまったから。現在は、乳がんの予防治療のためのホルモン療法が、子宮筋腫にも好影響を及ぼしていることを願っている。

乳がんが発覚してから一度だけ、婦人科クリニックに戻り、事情を説明した。婦人科クリニックの医師は「あぁ、そう。あぁ、そう。」と、繰り返し、あまり感想めいたことは口にしなかった。ただ、「以前は、ホルモン療法と同様の結果を期待して、卵巣を全摘出するという治療法もあったのだが、最近はどうしているのか、乳腺の先生に聞いてごらんなさい」と言ってくれた。後日乳腺外科主治医D医師にこのことを話すと、「現在ある器官を、そのような目的で摘出する、ということは、僕は考えません」と一蹴された。ホルモンは卵巣以外の場所からも出ており、ホルモン療法は、そういった、卵巣以外の場所から出ているホルモンもブロックすることを目的としていることを思い出した。

いずれにしても、職場の健康診断で貧血が見つかったことが、乳がんの発見につながった。からだの内部でいろいろな機能が影響し合っているのだろうが、私の場合、子宮筋腫が乳がんを教えてくれたのかなぁと思う。今年はパスしてしまったが、定期的な健康診断を大切にして、少しでも健康的に…あるいは、これ以上不健康な場所を増やさないように、過ごしていきたい。

2010年2月 1日 (月)

良いことも悪いことも受け入れて…

両側乳がんになってしまったとき、その「バッドニュース」を受け入れることが必要だった。今回、局所再発かもしれないと疑われたとき、もう一度受け入れる準備をしなければならなかった。

人間は忘れる動物だから、最初の「バッドニュース」をどうやって受け入れたか、どのくらい泣いたか、どのくらい悩んだか、かなり忘れてしまってはいたが、それでも、苦しい思い出はたくさん覚えていた。だから、もういちど受け入れる準備をしなければならないと思ったとき、こころの支度をすることがとても難しかった。

今回は、たまたま、2度目の「バッドニュース」ではなく、「グッドニュース」だったようだ。でも、再発を恐れる気持ちとはこのようなものなのか、ということが少しわかったと思う。

乳がんは再発や転移の多いがんだと言われている。実際、私の身の回りにも再発や転移と一所懸命闘っていらっしゃるかたがたくさんいる。

今回はたまたま「グッドニュース」を頂くことができるようだが、私もまた、再発の不安を感じるときが必ず来るだろう。そのときに少しでも今回の経験が生かされるといいと思う。今回の件で、自分が弱い人間であるということがわかったが、それでも、良いことも悪いことも、受け入れ、そこからスタートする、ということを学びたい。とても難しいだろうということは、わかるけれど。

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