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2010年1月

2010年1月31日 (日)

局所再発の恐れと予防療法の意味

左胸のしこりは何だったのだろう。来週の外来のときに病理の結果を聞くことができる。

乳腺外科主治医D医師の説明だと、彼が良性だと考える理由は、
(1)引いたものが液体だった。がんの場合、内部に粘液が入っているものもあるが、それは珍しい形であり、私の場合はそのようには考えられない。
(2)吸い取ったあとのしこりがほとんど形がわからないくらいに小さくなった。「がんであれば、吸い取ってもしこりは小さくはなりませんから」とのこと。

D医師が考えるこのしこりの正体は、
左胸のエキスパンダーが感染して取り出したあと(←過去のエントリ「エキスパンダー再挿入手術」参照)、皮下が化膿し、癒着が起きた。そして、癒着している部分と癒着していない部分ができ、その間に体液が入って、包まれるようになり、しこりのような形になった。

今後の対応は、
(1)もし、病理の結果がD医師の見立て通り良性であれば、予定通り再建の入院をする。
(2)もし、病理の結果が万が一悪性であれば、D医師が、形成外科主治医Y医師と連絡を取って、今後のことを話し合っておく。

当然、病理の結果を聞かないと100%の喜び方はできないわけだが、今までにD医師が最初の見立てを覆したことはないので、これも、おそらく最終的なものと考えてよいのではないかと思う。そこで、私は、「これは、タスオミン(ノルバデックスのジェネリック)が効いている、と考えていいのですか?」と質問してみた。すると、D医師は、「効いているかどうか、現時点で判断はできません。」とのこと。

予防療法というのは、薬を使用してみて、再発しなければ効いていたかもしれないし、もしかしたら、薬を使用しなくても再発しなかったのかもしれない。そのようなものである。「ノルバデックスに感受性があるかどうかを調べる遺伝子検査があると聞いたのですが?」と言ってみると、「感受性があるかどうかと、その薬が効くかどうかは、別のことである。」と言われてしまった。感受性がある、ということで、使用して、それでも再発をする人もいるし、ノルバデックスに感受性がないから、ということで、使用しなかった結果再発した人が、使用していれば再発しなかったのかもしれない。それは、はっきり言ってわからないことなのだ、とのこと。

う~ん、難しい。薬を飲みながら、それが効いているかどうか、わからない、ということ。再発しなければ、薬が予防していた、とも考えられる、ということ。

今回、局所再発かもしれない、と考えた時、「タスオミン、効いてないんじゃないか?」という思いが心をかすめたので、このような質問をしてみたのだが、そんな単純なことではないらしい。

つくづく、がん治療は複雑だと思う。

2010年1月30日 (土)

胸のしこりの正体

乳腺外科主治医D医師の外来。

エコーで場所を確認しながら針を刺し、しこりの中身を吸い出して、その場で病理担当者に渡した主治医D医師は、電子カルテに打ち込みながら、

「引いたものが、粘液状ですから、良性だと思います。」 

「心配しなくてよいのでは?」 

…と自信満々だった。

少しだけ、気持ちが軽くなった。彼がこれほど自信を持って言ってくれるのだから、信用してよさそうだ。私も落ち着ける。

あとは、結果を待って、安心するだけ。ようやく、再建に心を向けることができるかなぁ。


2010年1月29日 (金)

私の胸のしこりは何だろう

このブログによく登場する整骨院を再び訪れた。先日施療を受けた時に、「このしこりは○○に似ている」と言われたのが思い出せなかったからだ。

ガングリオン」というそうだ。院長は「僕はここにあるんだよね」と言って、左手の親指の第1関節あたりにあるふくらみを見せてくれる。「触ってごらん」と言われて触ってみると、確かにこりこりとしたしこりである。関節に近いところにできやすいと聞き、私の胸のしこりは関節に近くはないが、骨の近く(上)だなぁと考える。「ガングリオン」であった場合には、注射器で吸い出すとゼリー状のものが出るので確定診断できるらしい。

「ガングリオン」について調べた形成外科の先生のホームページには、その他に「脂肪腫」や、「粉瘤」というものも紹介されており、良性の皮膚腫瘍にはずいぶんいろいろなものがあるのだと思う。

私の胸のしこりは何だろう。乳腺外科主治医D医師は「肉芽腫」かもしれない、と言っていた。丸みを帯びた硬いしっかりとしたしこりは、相変わらず左胸にあって、仕事をしていても気が散ってしまう。

最初に乳がんが発覚する前にも左胸にはしっかりしたしこりがあった。これには気づいていたのに、悪性かもしれないという疑いは持たなかった。今から考えると、何というのん気さだったろうと思う。明日、いよいよ、細胞診を受ける。結果が出るのは来週。気持ちをしっかりと持って、乗り切りたい。

きっと、大丈夫ですよね。

2010年1月28日 (木)

桜を待つ

病棟で知り合った女性の話である。

『桜が見られないのではないかと思うのよね。

だから、花屋に行って、桜の枝を買ったの。…つぼみのついたのをね。

今回、抗がん剤で入院しましたけど、病院に来る前にはつぼみがだいぶ膨らんでいたのよ。

だから、きっと、今頃はいくつかは花が咲き始めているのではないかと…。

この抗がん剤が終わって家に帰ったら、花がきっと見られるわね。』

…私は、「ぜったい、桜、見られますよ!だいじょうぶ!まちがいない!私の再建の胸も見てほしいし、ホルモン治療5年記念も一緒にお祝いしてほしいんです。」

彼女はとてもきれいな微笑みを私に返してくれた。彼女は、間違いなく、今年の桜も、来年の桜も、見られる。私はそう思っている。

『こんど、家まで遊びに来てね。

遠いけど、ぜひ来てね。』

こんなにすてきな女性に、こんな思いをさせる病気が心底憎い。

2010年1月27日 (水)

エキスパンダーの入った胸も温かい

局所再発の有無を調べる検査まであと2日。結果が出るのはその1週間後。いろいろ考えるのは結果が出てから、と決めている。今は、再建を楽しみに考えることにして。でも、たとえ再発しても、再建したい。なぜなら、胸がほしいから。

パートナーT氏が、キャミソールの下から両手を入れて、私の両胸を包んだ。
「おおっ!あったかいね!」と一言。
エキスパンダーは水風船のようなものだし、中に入っているのは水だとわかっているのだが、体温で温まっているので、乳頭乳輪がない以外は、本当の胸の手触りだ。弾力もある。皮膚感覚が少しずつ戻ってきているので、触られていることもわかる。

水風船でも、シリコンでも、お腹の脂肪でも、胸が膨らんでいるということはすてきだ。その気持ちがあるから、形成外科の先生方は頑張ってくれるのだ。

「胸はもう要らないものでしょう。なくてもいいでしょう。」と胸のついている人に言われたことがあるが、ぐっと来た。「はい、なくてもいいです」とは言えない。「あった方がいいです」としか言えない。だから、形成外科の先生方はいろいろな方法を工夫してくれるのだ。

エキスパンダーの入った胸も、私の大切な胸。少し膨らんだ、温かい胸。エキスパンダーで膨らんでいたとしても、私にとっては本当の胸なのだ。お腹の脂肪を胸に移植しても、そこにできるものは、本当の胸なのだ。

これは本当に不思議な感情。うまく説明できない。

哺乳動物としての機能を果たす以外に、胸にはたくさんの意味があって、動物としての機能がない胸でも、持ち主にとっては本物の胸なのだ…と、理屈っぽく考える。

もともとの胸、エキスパンダーの胸という2つを経験し、そして、お腹の脂肪の胸という3セット目の乳房を待っている。この新しい胸が、予定通り私のからだに来ますように。祈ります。

2010年1月26日 (火)

支え合って生きていきたい

不安な気持ちをパートナーT氏に聞いてもらった。彼は、静かに私の話を聞いて、きっと大丈夫と、太鼓判を押してくれた。彼も、乳腺外科主治医D医師とは何度も面会して、直接話をしており、D医師の見立てに信頼を持っている。

不安な気持ちを持ってしまうことはしかたないけど、でも、結果が出たらそれを受け入れる強さがほしいね、と話し合った。でも、なかなか難しいね。じたばたしてしまうね。

一筋縄で行かないことがあっても、一緒にもうひと頑張りしてみましょうか。

「再発しても、転移しても、一緒にいてくれる?」と聞いてみた。

微笑んで、「どっちかが死ぬまで、一緒にいましょう」と言ってくれた。

「でも、私の方が長生きしなくちゃいけないんだよね?」

「まぁ、それが理想だけど、僕が看取ってあげてもいいよ。」

「私が看取ってあげてもいいのよ。でも、体の大きさが違うから、私、体力つけないと介護できないね…。」

「大丈夫、その頃にはやせてしまってるだろうから…。」

微笑みながらそんなことを言い合い、胸の中が温かいもので満たされた。交際するようになってから発覚した私の病気。こんなに自然に受け止めてくれるT氏に感謝の気持ちでいっぱいだ。…彼自身もまた、サバイバーを目指している。

心も、体も、支え合って、生きていきたい。心から、そう思っている。

2010年1月25日 (月)

再建前最後の形成外科外来

再建前の最後の形成外科主治医Y医師の外来の朝、左胸のしこりに気づき、外来診療での話題はしこりのことだけになってしまった。入院に関連する質問をいくつか用意し、プリントアウトまでして持っていたのだが、左胸のしこりのことで頭がいっぱいになってしまい、何の質問もできなかった。

待ち合いに戻った途端に、「あ、質問!」と思いだしたのだが、「今回の入院では、お腹を大きく切るので、パジャマよりネグリジェの方がいいですか」などという質問は、左胸にしこりができてしまった、という事実の前にはほとんど意味がないように思えた。

前回の外来のときには、「次回は最後の水注入だね」と言われていたので、「はい、ベッドに横になってください」と言われるかなと思っていたのだが、しこりの対応の話が終わっても、その気配がないので、「先生、今日はもう、お水は入れませんか?」と聞くと、「うん、もういいんじゃないかな」とのこと。「だって、今、左右とも280ccでしょ。お腹から280ずつは取れないよ」ということなのだ。私は左右だから、お腹の脂肪を左右に使わなければならない。納得して、「わかりました…前回、先生が今日が最後の水注入とおっしゃっていたものですから」と言うと、「確かに、そう言いましたね。でも…」と否定的。最後の水注入がなくなったことと、しこり発覚に関係がなければいいのだが…。いろいろと想像してしまう。

現在、私の胸は、280cc入ったところで、トップが83センチくらい、アンダーが70センチ。この大きさには再建できない、ということ。小さめのかわいいお胸になるかも。

本当に、再建手術が受けられるといいなぁ。祈るような気持ち。

2010年1月24日 (日)

ハイヒールでお見舞い?

ハイヒールが好きだ。あのコツコツ、カツカツ、というリズミカルな音が好き。姿が見えなくても元気な女性を想像する。高すぎず、低すぎず、コンサバな形のハイヒールをはき、きりっとスーツを着ている女性はすてきだ。

だから、入院中、ハイヒールで病棟にお見舞いに来ている人を見かけると、意味もなく嫉妬した。病棟は静かだ。あのコツコツ、という音が大きく響く。ベッド周りにカーテンをかけていると、病室に入ってくる人の姿は見えないが、ハイヒールの音はよく聞こえる。そしてはいている人の強い生命力を感じさせる。

いろいろと想像する。仕事帰りのお見舞いか?お見舞いしたあとでお出かけか?…そして、悲しくなる。そんなことで悲しくなったって、何の意味もないとわかっているのに。

だから、今、私は、お見舞いに病棟に行くときはなるべく音のしない靴をはいていく。仕事の帰りでどうしても音の出る靴をはいてきてしまったときは、なるべく音が出ないようにそっと歩く。小さなことなのだが、そうすることで、私も病棟の一員だと思えるような気がする。

来月、その病棟にお世話になる予定。乳がん告知以降、4度目の入院。しかし今度は再建のため。来週の細胞診検査をクリアして、思っていたよりはるかに早く直面してしまった再発の心配を振り払いたい。

予定通りに入院し、廊下の足音に耳を澄まし、ハイヒールの主に嫉妬し、早く外に出たいと望む日々を過ごしたい。今回の入院への思いは、とても複雑だ。

2010年1月23日 (土)

再発の不安を抱えながら職場に出る

問題のしこりは、昨日より大きくなっているような気がする。きっと「気がする」だけなのだろうとは思うが、昨日より、大きく感じる。つるつると動き、表面がなめらか。押すと痛む。

昨夜は、ひとりでお酒を飲んだ。温かい液体がからだを落ちていくと、胸の痛みがすこし和らぐ感じがする。夜は、職場の同僚が、再発を告げる文書を書類で回してきた夢を2回、続けて見た。

朝起きて、職場に出る。昨日と同じ電車に乗り、窓から風景をながめる。テレビのコマーシャルで切り取られたような風景だと思う。あ…この感じは記憶がある。うつになったとき…そして、昨年4月に乳がん告知を受けたとき…自分がこの風景の一員でなくなったかのような感じ。外の世界から見ているような感じ。(←エントリ「乳がんになる前にうつだった」参照)

先生は「良性だと思いますよ」とはっきり言っていたんだから、心配することはない。そう自分に言い聞かせながら仕事に出る。そこでは、私の心配や不安など存在しないかのように仕事が流れている。私に声をかける人も、同じミーティングに入る人も、昨日の私と今日の私が違っていることに気づかない。

効率は確かに悪いが、なんとか仕事をする。気が散る。つい、からだのことを考えてしまう。初発より、再発の方がショックが大きいと聞いたことがあるが、私にはまだ早い。いつかはあるかもしれないと思っているけれど、自分だけが逃れられるとは思っていないけれど、まだ、早い。仕事の合間にネットで検索する。2年後の再発、4年後の再発、10年後の再発など、たくさんの体験談がネットにあふれている。でも読むのがこわい。

がんはこわい。どこまでも追ってくる。「追ってくるのだ」と思う気持ちも追ってくる。二重に疲弊する。自分をコントロールする方法を見つけないと…。

2010年1月22日 (金)

局所再発…?

両側乳がん全摘手術後は胸部の疼痛が常にあったが、このところ、それとは少し違う痛みを左胸に感じていた。

今日は形成外科主治医Y医師の外来。アポは夕方だったので、朝から職場に出ていたが、どうも胸が痛い。何となく胸を触ってみると、しこりが指に触れた。術後初めてのことである。左側にがんがあったところの近く。とても小さい。つるつると動く。あまりにも突然のことで、自分のことながら、驚くばかり。

病院に着いて、Y医師の外来アポを待つ間に、乳腺外来に行き、乳腺外科主治医D医師の診療を予約した。アポがないので、今日の最後になります、と言われたが、そんなことはかまわない。

まず、形成外科主治医Y医師の外来だったが、私が「ぐりぐりができちゃいました…」と言うと、入院前検査をパソコン画面から予約していたY医師が、こちらを向き、「ちょっと見せてくれる?」といって、触診。しばらく丁寧に触診していたが、まず、乳腺外科主治医D医師の診断を得て、それから再建手術を予定通りに行うかどうか決めましょう、ということになった。再建のときにしこりを取って病理に出すこともできるし、その結果もし悪性だったら、再建後に治療することもできるよ、と言ってくれた。診療の最後に、「大丈夫ですよね…?」と聞くと、「大丈夫だよ!」と言って一呼吸おいてから、「大丈夫だと思いたい!」とY医師。私の気持ちそのまま。

不安な気持ちのまま、X線(胸と腰)、心電図、肺活量、尿、血液、という、一連の手術前検査を受け、乳腺外科の前で待っていると、ようやく乳腺外科D医師の外来に呼ばれた。

「いきなり来たのでどうしたかと思ってましたよ」と言われ、「しこりができちゃいました」と訴えると、乳腺外科D医師は形成外科Y医師の電子カルテを閲覧している。パソコン画面上には、私の目にもはっきりと「xxx肉腫の可能性があるが、再発も否定できない?」と書いてある。D医師は私の方に向き直り、触診をして、「うーん、エコーで見てみましょうか。」ベッドに横になり、エコーをかけると、小さなかたまりがはっきりと映る。

ベッドに横たわったまま、今後どうするか、D医師と話し合う。彼は、まず、細胞診をして、このしこりの性格をつかみ、そのあと、再建手術ができるようなら、再建手術のときに形成外科Y医師にそのしこりを取ってもらい、病理に回す、という2段構えの診断を提案してくれた。それは、私が思っていた通りの提案だったので、そのようにお願いした。

服を着て、D医師の前に座り、私は、「先生、どう思われますか?」と聞いてみた。彼の見立ては、以下の通り。

(1)このしこりの場所は、全摘手術の範囲内。だから、全摘手術のときに存在していたら間違いなく取り除いていた。…ということは、このしこりは全摘手術のときにはなく、術後にできたものと思われる。その意味では、「おかしい。」

(2)しかし、このしこりは、良性の肉芽腫ではないかと思われる。その理由は以下のとおり:
      ・きちんと治療している(リュープリン&タスオミン)。
      ・局所再発としては早すぎる(術後7か月)。

(3)細胞診をすれば、このしこりの診断がつく。だから、まず細胞診をして、良性であれば、再建手術は予定通りに行い、その際に、しこりを取ってもらい、病理検査で確認する。細胞診で悪性であれば、再建手術については、そのときに形成外科Y医師と相談する。

結局、1月末に細胞診、2月はじめに結果を聞く。それで、12日の形成外科入院までに方針決定、ということになった。

       **********************************************

「きょくしょさいはつ」という言葉がこんなに早く聞こえてくるとは思ってもいなかった。しこりに気づいてから両医師の診察を受けるまでの数時間、不安感が募り、どんどん気持ちが沈んで行った。どうして、どうして?どうしてこんなに早くこんな気持ちにならなくてはならないの?

でも乳腺外科D医師は「良性の肉芽種ではないかと思いますよ」と言った。4月に初めて彼の外来を受診したときから、彼の最初の所見があとで訂正されたことはない。彼の最初の見立ては、いつも、正しい。

だから、今回も、彼は正しい。このしこりは局所再発ではない。私は再建手術を受けられる。そう、信じている。

2010年1月21日 (木)

健康診断を受けたくない

職場の健康診断を受けたくない。私の職場は11月末が健康診断。これをすっぽかすと手紙が来て、もう1度チャンスが与えられる。昨年はこの健康診断で貧血がわかり、それをきっかけに婦人科受診→マンモグラフィ受診となり、乳がん発見につながった。

大切な年1回の健康診断だが、今回はすっぽかしてしまった。まずX線検査がいやだ。エキスパンダーが入っているので、必ず写ってしまう。昨年9月のエキスパンダー再挿入手術前のX線検査で、胸の写真を撮った技師から「すみません、右側に何か写ってるんですけど、何か入ってますか?」と聞かれてしまった。「はい、入ってます」と言うとそれ以上は詮索されなかったが、がんの専門病院でのX線検査でさえもこのようなことを聞かれてしまうのでは、ごく一般の健康診断専門の診療所のようなところでは何を言われるかわからない。

「乳がんで、両側を全摘したのですが、そのあと乳房再建という形成手術を受けることになっておりまして、現在は、胸の皮膚を伸ばすために、エキスパンダーという、水風船のようなものを両胸に入れておりまして、その水を注入するポートが写っていると思われます。」…なんて、そんなこと、健康診断専門の診療所のX線技師に説明したくもない。

それから医師の内科検診がいやだ。胸を開いて聴診器をあてられると考えただけでいやだ。

血液検査も血圧検査もいやだ。私は両側乳がんなので、基本的に両腕とも使えない。健康診断を受ける人がたくさんいる待ち合いの一角に設けられているようなテーブルで「すみません、足でお願いします」とは言いたくない。

昨年の健康診断をさぼった人に、「昨年の健康診断欠席者は、今年の○月△日~○月△日に、再度受診してください」という手紙がそろそろ送られてくる頃だ。それもすっぽかす覚悟はできている。少なくとも今年はまだだめ。

私たちのような病気を持つ女性が心配なく健康診断を受けられるようなところが必要だと思う。男女一緒の流れ作業のような診療所ではなくて、もう少し人に優しいところが。

2010年1月20日 (水)

エキスパンダー挿入と自動車の運転

両側乳がん全摘手術後、退院する前に看護師から、体が弱っている場合は無理せずに自動車で通勤する方がよいかもしれませんね、とアドバイスを受けていた。シートベルトが胸に当たるのが心配なら、タオルを当てたりした方がよいでしょう、とも言われていた。

退院後しばらくの間は整骨院院長の指導に従い、荷物を減らして、ゆっくりでも自分の足で歩くということを心がけていたが、1か月経ったときに、久しぶりに車を運転してみた。

「思ったより、何でもない!」というのが今でも覚えているそのときの感想。車をバックさせるときに後ろを見ながらハンドル操作をするのが一番大変だった。胸が引っ張られて少し痛んだ。ただ、それ以外の、前を見ての運転にはほとんど支障がなかった。赤信号を待っているとき片手でシートベルトを引っ張り、胸にあたらないように伸ばしていた記憶があるが、運転を始めてしまえば、両手でハンドルを握っていた。

それより、トランクの扉の開閉のときに腕が上がらず大変だった。それは今でも多少感じているが、ずいぶんと慣れた。車で移動するのは荷物があるときなのだが、その荷物の上げ降ろしが一番大変。誰かに手伝ってもらった方がいい。あとは、薄着になる夏は、からだとベルトの間にはさむタオルを1枚車に常備しておくとよいかもしれない。私はもうひとつ、荷物が増えた時のために、カート(折りたたみ式で、ゴムバンドで固定する形のもの)をいつもトランクに入れている。

あまり心配せず、できることから始め、できないことは手伝ってもらい、少しずつ平常の生活に戻っていければいい。エキスパンダーが入っていても、自動車の運転に支障はない。追突されないように、スピードと車間距離に気をつけて。

運転のように、生活の一部になっていることができるようになると、自信も戻ってくる。ゆっくり、静かに、社会復帰。

2010年1月19日 (火)

医師の無神経

抗がん剤治療のために入院していた病院の売店で、主治医に偶然会った友人の話である。

お菓子をながめていた彼女に、
「あなた、まだ食べられるの?」
「はい、食欲もあるし、病院食もちゃんと食べています。」
「このあと食べられなくなっても、栄養のある飲み物とか、豆乳とかあるから、心配しなくていいよ。」

彼女はそこで二の句が継げなくなったそうだ。「やはり、これから自分は食べられなくなるのか」と思って。

主治医はその前日彼女に「あと6か月かな」と言ったばかりだった。余命告知をした翌日にそのようなことを言って、それで、彼は彼女を励ましたつもりなのだろうか。

彼にとっては母親のような年齢の患者。もし、本当の母であってもそう言うのだろうか。そう言って励ますのだろうか。

口の中が苦くなるような、情けない気持ち。医師の無神経。

2010年1月18日 (月)

友人の奥さまの乳がん(2)

学生時代からの付き合いをしている友人(男性)から、先日、奥さまががんだとうかがった。これは、一昨日のエントリ「友人の奥さまの乳がん(1)」の友人とは別の人である。

この数日間の間に、以前からよく知っている男友達の2人から奥さまのがんのことについて話を聞くことになり、あらためて、がんにかかる人の数の多さに驚いた。

「でも、妻からは僕側の親戚と友人関係には絶対言わないでって釘を刺されているので、ここまで。」と、友人はそれ以上は口を開かなかった。がんの種類も教えてくれなかった。

がんの人が本当に多い。知り合いになって励ましあったり、慰めあったりすることができると心強いことが多いはずだ。でも、なかなか知り合いになれない。なぜか。隠しているからだ。なぜ隠すのか。恥ずかしいことではないのに。

そう言いながら、わが身を振り返れば、私も隠しているのだ。本当に親しい友人と家族以外は知らない。親戚にも言っていない。もっとオープンになれればいいのに。もっと率直になれればいいのに、と思いながら、黙っている。そんな私のような人がきっとたくさんいるはずだ。

病気の人同士でもっと連帯したい。でも、この病気をよく知らない人のイベントには乗せられたくない。なんだか、「地下活動」でも必要になりそうな雰囲気だ。本当に、どこか、変だと思う。

2010年1月17日 (日)

手術後の皮膚の癒着を防ぐリハビリ

このブログに何度も登場している整骨院の院長から、今日も貴重なアドバイスを頂いてきた。

手術の際に縫合を行うと、皮膚(そのうち真皮の部分)と筋肉を合わせて縫うことになる。これが術後気をつけないと癒着を起こす。癒着すると引きつれや痛みを引き起こす。だから、術後、真皮と筋肉がうまく離れるように、リハビリをすることが大切だとのこと。

整骨院での施術とは別に、自分でできるリハビリは、お風呂にはいり、皮膚を温め、やさしくさするようにして皮膚と筋肉が癒着しないように動かしてあげる、ということ。これは乳がん全摘手術の直後から言われて、私もシャワー中心の生活をお風呂に切り替え、できる範囲で実行してきた。今日の施療のときに久しぶりに胸を見せると、傷あとの部分を指で動かし、「これだけ動くのは予想以上にいいね」と喜んでくれた。再建手術のときも同じ部分を切るのだが、また、同様のリハビリで乗り越えたい。

また、皮弁を取る腹部も、真横に大きく切開するわけだが、ここも同様に真皮と筋肉の癒着が起こらないように、リハビリしていくことが大切だと言われた。それが、痛みや引きつれ感を防ぐことになるようだ。

皮膚は本当に大切な器官だというのが院長の持論。彼のアドバイスに従って、術後の生活を送り、なるべく早く社会復帰できるように頑張りたい。

それより、もう、早く手術日が来ないか、首が長くなってきた。あと入院まで4週間足らず。早く新しい胸と対面したい。

2010年1月16日 (土)

友人の奥さまの乳がん(1)

何年か前の友人同士の飲み会で、隣に座った友人が、「妻が乳がんなんだよね」と言った。そのとき私は乳がんがどのような病気であるか知識も少なく、どのように返答してよいかわからず、彼が話すままに聞いていた。もともと無口な友人であるから、多くは語らなかったが、ビジネスの最前線で働いていた奥さまが仕事をやめ、療養に専念しているということだった。それ以後、彼と同じ飲み会に出席する機会は何度かあったが、奥さまの調子がどうなのか、なかなか聞けずにいた。

昨日、久しぶりの飲み会。思い切って聞いてみた。そうすると、「うん、ちょうど3年たったところ。少しほっとしているところなんだ」との答え。「でも、治療は5年続くんだよね」と言うので、ホルモン療法なの?と聞くと、そうだとのこと。私と同様なのだな、と思いながら、「仕事は?」と聞いてみると、単発のものを時々入れて、体調に合わせて仕事しているとのことだった。

穏やかに暮らしていらっしゃる様子を聞いて、ほっとし、また、力づけられた。それにしても、しっかりと守ってくれるご主人がいて、彼女は幸せだ。病気の発覚で仕事をやめ、今は体調に合わせて少しずつ仕事を入れ、夫婦で絵を描く趣味を共有し、穏やかに過ごしている。考えてみれば私も、職を失うことなく、働きながらがん治療に取り組むことができている。金銭的な余裕はないが、仕事ができていることは本当にありがたい。

からだと、心と、お財布と、すべてに無理をかけてがんと闘っている人たちがたくさんいる。がんになって思うことは、この病気が本当にメンタル的にも、金銭的にも、人を攻め続けるということ。恵まれた環境で最大限の治療を受けられる人が少数いる一方で、治療環境に恵まれない人がとても多い。しろうとの考えなのだろうが、こんなに難しくて、これだけの人数が罹患している病気なら、もっと組織的な取り組みができないのかと思う。がんという病気は、社会の不条理さを際立たせる気がする。

2010年1月15日 (金)

エキスパンダーの入った胸の皮膚を伸ばす

親しくして頂いている整骨院の院長から、再建に向けて、2つのことを言い渡されている。ひとつは「よく歩くこと。」もうひとつは「毎日お風呂に入ること。」

よく歩くことで血行が良くなり、からだがほぐれることにつながる。もちろん、体力をつけることにもつながる。退院直後には「毎日5000歩を目安に歩きなさい」と言われ、歩数計を購入した。本当によく歩いた。そのおかげで、今では「コンフォートシューズ」でなく、「6センチのパンプス」をはいて仕事に行けるまでになった。

「毎日お風呂に入ること」は、特にエキスパンダーの入れなおしをした左胸の皮膚を伸ばすために重要だと言われた。バスタブにゆっくりつかって、手のひらで無理のない程度に皮膚をのばすようにさすってあげなさい、と言われた。「これをするとしないとでは、皮膚の伸び方が全然違うと思うよ」と。

エキスパンダーの再挿入手術から3か月。確かに左の胸の皮膚も右側ほどではないが、柔らかくなってきた。来週、入院前最後の形成外科外来で、締めくくりの水注入がある。そして、いよいよ2月15日には、柔らかくなった胸の皮膚の下に、お腹の脂肪を移植して、私の新しい胸ができあがるはず。

整骨院に行くたびに「ちゃんとお風呂入ってる?」と聞いてくれる院長先生。手術後のリハビリも彼と一緒だと心強い。乳がん手術後の女性患者は何人も担当してきたが、乳がん→摘出手術→リハビリ→再建手術→リハビリ、というフルコースをたどる患者は私が初めてらしい。「どんなふうに回復して行くか、僕も興味あります」と言ってくれた。再建後のリハビリも彼にいろいろ指導してもらいながら、頑張って行くつもり。

たくさんの人に支えられて、私に新しい胸がやってくる。
あと、もう少しで。

2010年1月14日 (木)

友人のお母さまの乳がん

私の病気を知らない同年代の知人(女性)と話していた。いつの間にかお互いの母親の話となっていったが、彼女のお母さまが一昨年、79歳のときに乳がんで右側の乳房を全摘したということだった。手術する体力があってよかったね、と話していたら、「それが、2年経って、肺に影が出て、精密検査なんですよ」と言う。

聞いてみると、お母さまの乳がんの状況は私の左側の乳がんととてもよく似ていた。大きさも、ステージも。リンパ節転移はないということで、リンパ郭清をせずに済み、放射線治療もせずに済んだ、ということも。私の状況と似ている。お母さまは明らかに閉経後だから、治療の仕方は異なるのだろうが。大きな違いはお母さまは左側のみ、私は両側全摘ということか。

2年経って、肺に影が出た、ということを聞き、何とも言えない気持ちになった。もっと詳しく聞きたいと思ったが、相手の親の病気について根掘り葉掘り聞けるような親しい間柄ではないし、ましてや、自分の病気のことも相手に伝えてはいない。詳しく聞きたい気持ちをぐっと抑えて、「お大事になさってくださいね」と言うことしかできなかった。

いつも考えている。私の乳がんは全摘手術とホルモン療法で静かになってくれるのだろうか。左側は浸潤だったのだから、どこかに飛んでいるということを覚悟はしておかなければならない。それをホルモン療法でしっかり抑えきることができるのだろうか。

この不安な気持ち。今不安に思っていても仕方がない、今はそうならないと信じて治療に取り組むしかない、とわかっていても、繰り返し繰り返し心に忍び込んでくる、この不安な気持ち。

2010年1月13日 (水)

寒い日には胸が痛い

両側乳がん全摘手術のあと、初めての冬を過ごしている。とにかくからだを暖かくしようと心がけているが、それでも、寒さは身に沁みる。寒さを感じると、胸が左右に引っ張られるように痛み、さらにつっかい棒でもされているかのように横腹が痛む。胸の中に木の箱が入ってギュッと押さえ込まれているように痛む。手がこわばり、しびれるように感じる。からだがどうしても前かがみになり、引っ張られて背中も痛む。この痛みについて、何度このブログに書いただろうか。

それでも呼吸することもできるし、食事をとることもできる。パソコンを打つこともできる。

そう考えると、この痛みは生活には直接の影響を及ぼしてはいないのだろう。でも、ふっと考え、情けなくて笑ってしまうほど、痛いときは痛い。

寒波が日本中を覆っている。カイロを入れて、厚地のタイツをはいて、大事なからだをいたわろう。

乳房再建のための入院まであとちょうど1か月。再建してもこの痛みは変わらないのだろうか。お腹を切るから、寒い時期はこたえるのだろうなぁ。いろいろ考えながら、今夜もお風呂に湯をはる。ゆっくりとお風呂につかることも、乳がん手術後の大切な仕事になった。

2010年1月12日 (火)

病気に見えないこと

趣味でギターを習っている。まだまだ初心者だが、「定年後の趣味の先取り」などと言って、楽しんで週1回のレッスンを受けてきた。そのレッスンも、病気の告知を受けて、昨年5月からお休みしている。

ギターがかかえられなくなった。退院直後は怖くてかかえられず、現在は、エキスパンダーのポートがギターの背面に当たって痛むし、コードをおさえる左腕の伸びが悪く、すぐに疲れる。

今日は、通っているギター教室の新年会。先生の顔が見たくて2次会から参加した。8か月ぶりにお会いした先生は、「元気そうだね、よかった、よかった」と、私がやせたのにも気づかない様子。2次会に参加していた10人ほどのお弟子さんたちも、何も気づかない。「なぜ休んでるの?いつ復帰するの?」と言われて言葉につまる。

病気に見えないのは本当にありがたいことだ。でも、とても複雑な気持ち。今はまだギターが弾けないのだ。いつになったら弾けるようになるのかもよくわからない。その気持ちを訴えることもできない。誰にも言っていないから。

これで、よかったのかなぁ。

2010年1月11日 (月)

ホルモン療法と視力低下

私は強度の近眼。同年代の友人と比べて、近くのものが見えにくくなるのは遅く、老眼なんてまだまだ、と思っていた。近視が強い人ほど老眼になるのは遅いのよ、などと本当か嘘かわからないようなことを言っていた。

ところが、今回の病気をきっかけとして急激に視力の低下を感じている。近くの小さい字がよく見えず、携帯メールの画面を少し離さないと焦点が合わないので、電車の中では、誰かにメールをのぞかれているような気がする。それに、目の疲労を強く感じ、一日の中で目がよく見えたり見えなかったり、しょぼしょぼしたりはっきりしたり、安定しない。目が腫れてまぶたが下がって来ることもある。

もう7,8年お世話になっている眼科を受診した。まず、入念な視力検査を受け、それから受診。先生に「病気をして、ホルモン治療…ホルモンを止める方の…をしているのですが、最近とても視力の衰えを感じるのです」と言ってみた。その眼科クリニックは、後の待ち合いソファの人たちに話がつつぬけになる構造なので、何の病気か聞かれたらいやだなあ、と思っていたのだが、先生は「ああそう」と、驚きもせず、詮索もせず、視力検査の結果を見ながら、「ホルモン治療をすると、目が良くなったり、悪くなったりするんだよね、でも、あなたの場合、前回からそんなに悪くなってないよ。とりあえず点眼薬で様子を見ましょう」と励ましてくれた。「それより、白内障が出ているね」とドキッとすることを言われたが、これは、「加齢によるもの」と言われ、ホルモン治療と直接の関係はなさそうだ。

ヒアルロン酸の入った点眼薬と、ピントを調整する働きのある、疲れ目用の点眼薬が処方され、コンタクトを入れたままで良いから、一日のうちに何度か点眼しなさい、と指導された。

「ホルモン治療をすると、目が良くなったり、悪くなったりする」というのは初耳だった。視力が安定しないということだろうか。先生のところへもホルモン治療の副作用を訴える患者がたくさん訪れているのだろうか。

処方された目薬を上手に使い、生活スタイルも見直して、「加齢」プラス「酷使」に加え、「薬の副作用」にも耐えてくれている目を、なるべく痛めないようにいたわりながら生活する方法を考えていかなければならない。

2010年1月10日 (日)

乳がん手術後の腋の下の手入れ

両側乳がん全摘手術前にセンチネルリンパ生検を受けた。局所麻酔のもとで、両方の腋の下にメスを入れ、リンパ節をいくつか取り出し、これを病理検査で確認して、リンパ節郭清が必要か(リンパ節転移があるかどうか)を調べるものだ。この検査により、療法の脇の下に3,4センチの傷ができた。

さらに、両側乳がん全摘手術のときにそのセンチネル生検の傷の近くから横にかなり長い傷ができ、ひきつれが強く出た。腋の下の傷周辺も凹凸がかなりでき、また、腋の下の腱が短くなった感じで、脇の下のくぼみの中央を腱がはっきりと走っている。これもまたかなりおおきな凹凸を作っている。このため、脇の下の手入れがとても難しくなった。

退院時、看護師からは2つ言われた。
(1)しばらく制汗剤は使わないこと。皮膚の表面が傷あとやひきつれでデコボコが大きくなっているので、制汗剤を使ったあとそれをきれいに洗い流すことがむずかしくなる。そうすると、制汗剤の成分が肌に残って、好ましくない、とのこと。しばらくは汗が出たらタオルで拭く、などの対応をしなさい、と言われた。
(2)カミソリを使ったむだ毛の処理はしないこと。カミソリは小さな傷を皮膚表面に残すので、術後の肌には好ましくない。ハサミで短く切るなどの対応をしなさい、と言われた。

この2点を守って清潔を保つのは本当に大変だった。私は退院が6月末。夏を迎えて自分の汗のにおいがとても気になった。いろいろ工夫しながら半年。現在、お勧めなのは次の2点だ。

(1)術後2か月間くらいは看護師の指示に従って、制汗剤は何もつけず、アルコール分を含んだ使い捨てのティッシュを持ち歩いて気になるときに拭いていた。汗のにおいは本当に気になったが、家族に「におったら教えてね」と頼んで、自分はなるべくこまめに汗を拭くようにしていた。6か月後の現在、制汗剤は、「ビフレディ」を使っている。病気になる前はスティック状の塗り込むものを使っていたが、この粉状のものは、成分がシンプルで、いまのところかぶれなどもない。白い粉なので、黒い服や下着につかないようにするのが難しい。

(2)カミソリはすっかりやめた。最初は先端の丸い小さなハサミ(鼻毛切りなどとして売っている)を使っていたが、腋の下がでこぼこしてしまっているので、本当に大変。鏡に映せるほど腕も上がらない。右腋の下の手入れをするのに、左手ではハサミが使えない。ふと思いついて使ってみたのが、女性用の眉シェーバー。これが、よかった。刃が肌につくかつかないかの感じで、女性用のT字カミソリに比べると、やはり根元から剃ることはできないが、あるていど満足する短さにはできる。私は、洗面台に手鏡を水平に置き、上からかがむようにして腋の下を映し、もう一方の手でこのシェーバーを持って剃る。かなり大変な作業だが、慣れた。

術後のからだの手入れはそれぞれ皆さんが工夫していると思うが、工夫したあとの大切なことは「気にしないこと」かな、と思う。多少汗臭くても、多少むだ毛が伸びていても、心配ない。私は手術してデコボコの腋の下になったのに、昨年夏はノースリーブをよく着た。開き直りの気持ちかも。

不思議なものです。

2010年1月 9日 (土)

胸を流れる汗がわかった

年が明けて初めて買い物に出かけた。屋外と屋内の温度差が激しく、おまけにホットフラッシュが時折やってくるので、体温管理は至難の業。

気に入ったセーターがあった。「試着できますよ」と若い店員の声。9月に左胸にエキスパンダーを入れて左右がある程度揃ってからは、試着への怖さがだんだん減って行ったが、かぶって着るものは、両手を上げたときにエキスパンダーがクリッ、クリッと動くような感じがして、なかなか大変。

それでも、その白いセーターが着てみたくて、試着をお願いする。胸の形がはっきり出るセーターを試着してみよう、なんて、私もずいぶん進歩したものだ、と思いながら試着室にはいる。

そのとき、「あれっ?」久しぶりの感覚。胸の谷間を汗がつるっと流れているのがはっきりわかった。最初は「店の中が暑いから汗かいてしまった、セーターの試着まずいかな」と思っていたのだが、そのうちに、「あら、私、胸に汗が流れているんがわかったんだ!」と、思いがけずうれしい気持ちに。

帰宅して、さっそく指で胸に触れ、どの位置にどのくらい感覚が戻っているかを確認した。以前は触っていることさえわからなかった胸だが、今はどこを触ってもわかる。胸の外側ほど感覚がはっきりしている。中央はまだ鈍い。

毎日少しずつの進歩がうれしい。再建手術を受けたら、またしばらくは感覚が後退する。それはわかっている。でも、また戻るよ、きっと。

ゆっくり、ゆっくり、進んで行こう。

2010年1月 8日 (金)

吊り革につかまれた!

通勤でいちばん困るのが、電車やバスの入口近くのつかまり棒が空いていないこと。吊り革につかまれないので両足を踏ん張って立っているしかない。車両の中で転びそうになったこともある。

吊り革の位置まで腕を上げることは可能なのだが、つかまっている状態でもし急ブレーキがかかったら?車両が大揺れしたら?エキスパンダーはどうなるのだろう?それが不安で吊り革を利用することができなかった。

今朝もまた、頼りない位置にしか居場所を確保できず、両足を踏ん張っているしかないか…などと考えていたが、目の前にぶら下がる吊り革を見て、ちょっとつかまってみるか…という気持ちになった。

おそるおそるリングを握る。体を少しだけ預けてみる。エキスパンダーが少し体内で上向きになるような感触がある。そのまましばらく動かずにいた。なんとかなる!

もちろん、急ブレーキや大きな揺れに備えて気を張っていなければならないが、急ブレーキが来たからといっていきなりエキスパンダーが体内で大移動してしまったり、大きな痛みが来たり、ということはなさそうだ。

私は右利きで、切除したリンパの数も右の方が少ない。ダメージは右の方が少ない。そうなると、吊り革につかまるのも右手の方がいいのかな。でもそうなると、カバンを左手に持たなければならない。ぐずぐずと考えている間に次の駅に来ていた。何人かの人たちが降りたあとで、つかまり棒が空いた。吊り革はそこまでにして、さっさとつかまり棒に移動する。

たった一駅ではあったが、半年振りに吊り革につかまれた。これも大きな進歩だ。そんなに恐れないで、少しずつチャレンジしていくことが大事らしい。

何となくうれしい、朝の通勤だった。明日も、少しだけ、つかまってみよう。

2010年1月 7日 (木)

エキスパンダーの違和感とうまく折り合う

6月の両側乳がん全摘手術時に、再建手術の準備としてエキスパンダーを両胸に挿入した。右は問題なかったが、左が感染してしまい、取り出し。9月に再度挿入して、事なきを得た。

エキスパンダーには、未経験の方にはことばで説明するのが難しい違和感がある。また、エキスパンダーが入った状況で自分がどのくらい腕を使ってもいいのか、何を持っていいのか、判断が難しいところがある。私は両側ともリンパ郭清はせずに済んでいるのだが(センチネルリンパ生検により、右1個、左4個のリンパ節を切除している)、形成外科主治医Y医師からは、「床に置いてある重いものをぐっと持ち上げるような動作はしないこと」と言われていた。

半年たって(左は約4か月)、今はかなり重いものも持てるようになってきた。何より、「持っても大丈夫か、やめておいた方がいいか」というようなことを、移動距離の長さなどを考えて判断できるようになってきたのが大きい。

仕事での移動が長いときには、カバンの中身は極力少なくする。愛用していたシステム手帳もしばらくの間は何枚かをルーズリーフからはずしてクリアファイルに入れて持ち歩いていた。化粧ポーチに入れるものも必要最小限のみにし、財布は軽い巾着型のものにした。家では布団の上げ下ろしができなくなったので、ベッドを使うようになった。かぼちゃを包丁で切ることはできないが、筋目をつけて割る方法を見つけた。包丁が使いにくいときは切れるものなら料理ハサミで切ってしまう。

そんな工夫を重ねながら半年。エキスパンダーの違和感はまだまだあり、時には痛みを伴うこともある。しかし、今日は空のリュックを背負って一人でスーパーに行き、大根、人参、ブロッコリーなどの野菜を詰め込み、袋詰めの台を上手に使って自分で背負い(最初は結構これが怖かったが)、さらにレジ袋にはきのこや海苔などの軽いものを入れて持ち、歩いて帰ってくることができた。退院したばかりのときには、そのスーパーに歩いて行くだけで大変だったのに。

エキスパンダーは体内で動くことがあるが、恐れることはない。大丈夫。動いても破れたりしない。あくびをしても、コンセントに電化製品のプラグを差し込んでも動くが、怖がらなくて大丈夫。横向きにも寝られる(うつぶせは禁止)。動くと言ってもあちこち移動するのではなく、微妙に前後に出たり入ったり、という感じだ。

私の場合、右は全摘手術と同時にエキスパンダーを挿入したので皮膚が柔らかく、体の動きにつれて、やや下がってしまった。それにともない、水を注入するポート、本来は腋の下の体の前寄りにあるべきものが、5センチ近く下がった。でも形成外科主治医Y医師は、「動いちゃったね」くらいで、それほど気にしていない様子。また、左は感染がおさまってからの再挿入だったので最初は皮膚が硬く、最近ようやく柔らかさを感じるようになってきた。そのせいか、ポート位置は動いていない。(←エントリ「11月末の再建胸…エキスパンダー拡張中」に写真を載せてある。ご参考まで。)

再建手術の後は、エキスパンダーに代わって、自家組織となる乳房にどのように慣れていくかが課題。からだはまた半年前のような状況に戻るのだろうと思う。でも、必ずまた回復する。一度経験しているから、工夫のしかたもわかる。そう思って、再建手術を楽しみに待っている。

2010年1月 6日 (水)

担当看護師との再会

両側乳がん全摘手術及びエキスパンダー感染再手術のために2009年6月に25日間入院した。そのときお向かいのベッドにいた女性と今でも連絡を取り合っている。当時放射線治療を受けていた彼女は、現在、抗がん剤治療に取り組んでいる。今回、治療のため2泊3日の予定で入院している彼女をお見舞いに、久しぶりに病棟を訪れた。

自分が入院していた病棟に誰かを見舞いに行くのは不思議な感覚。そこに自分がいるような気がしてくる。

夕食後の静かなひととき、ベッドまわりにカーテンを引いて、周囲の患者さんになるべく迷惑をかけないようにひそひそと話をする私たちの横を、聞きなれた声の看護師が通り過ぎた。そのとたんに懐かしい気持ちでいっぱいになった。あのときの担当看護師さんだ!他の患者さんとの話をすませ、私たちのいるベッドのカーテンを開け、「検温が済みましたか?」と声をかけたとたん、「あれ~!」と彼女の方から気づいてくれた。

6月末に退院して以来、半年ぶりの再会。両手を取り合って、「元気そうですね!よかった、よかった!」と喜んでくれた。私は思わず涙が出てしまった。エキスパンダー感染による再手術で、彼女はショックで泣き続ける私のベッドに腰かけてずっと手を握っていてくれた。何十分もそうしていてくれた。おろおろもせず、静かに、ほとんど何も言わず、ただ、ずっと手を握っていてくれた。(←エントリ「看護師のプロフェッショナリズム」参照)

あの時、彼女にどんなに救われたか。

私はセーターを脱いで、今の胸を見せた。彼女はそっと両方の胸にさわって「よく膨らんでいるじゃないですか!よかったですね!これでY先生にきれいに再建してもらってください!」と喜んでくれた。「また病棟に来たら顔見せて下さいね」と明るく言って、次の病室へ去って行った彼女。

私の半分くらいの年齢かな。それよりは上かな。でも若い。それなのにこんなにもプロフェッショナル。白衣の天使。私のヒロイン。大げさでなく、そう思う。

入院中の友人とゆっくり話すことができ、さらに担当看護師とも再会でき、「病院」に癒され、満たされて帰宅の途についた。

2010年1月 5日 (火)

20,000のアクセスを頂いて…

2010年1月4日(月)

アクセスカウンターが20,000を超えました。
読んでくださっているみなさま、本当にありがとうございます。

この病気の厳しさと、私などよりずっと大変な状況で頑張っている方がたくさんいらっしゃることに気づき、私などのブログに意味はないと思いはじめ、途中でくじけてしまいました。結局、4か月ほど留守をしてしまいましたが、ずっと書かずにいた間にも1日5人、10人と訪れて下さる方があり、そのことに気づいて励まされました。やはり、「両側全摘で再建」という自分の状況がある程度はっきりするまでは頑張ってみようと思い直し、11月に再開しました。

4月の開始時から乳がんと乳房再建に関することに集中しているため、きれいな写真もなく、変化に乏しいブログです。それでも、不思議なことに、再開後は、毎日何かしらこの病気について気づくこと、書きたいことがあります。それを読んで頂けることが幸せです。

つたないブログですが、再建の結果はきちんとご報告したいと思っています。入院まであと40日足らず。体調を整え、仕事もきちんと続け、(たまには落ち込んでも)なるべく明るく過ごしていきたいと思います。

時々、ここへ戻ってきてくださいませ。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

追伸:食生活は一応、もとに戻った感じです。おそるおそる体重計に乗ってみたら、ほとんど増えておらず、ほっとしました。でも、体脂肪は2%も増えていました。大きめな胸ができるかもしれません。(でもこのくらいにしておきたいです。)

2010年1月 4日 (月)

年末年始の大失敗

両側乳がん全摘手術後、自制した食事をしてきた。「太らないように」と看護師から言われていることもあるが、入院中に3食お世話になった病院食(間食は一切しなかった)に、食生活見直しのきっかけを頂いたこともあった。つい10日ほど前には偉そうに自分の食生活について書いてしまった。(←エントリ「乳がんになってからの食生活」参照)

体重もあるところまで下がって安定し、良い調子だと思っていたのだが、この年末年始は自制心はどこかに置き忘れ、暴飲暴食をしてしまった。3が日が過ぎて、今日はお屠蘇気分はすっかり抜けたが、年末年始の数日間、自分でもおかしいと思うくらい食べすぎた。まるで何かのスイッチが入ってしまったかのような勢いだった。遊びに来ていた妹が「ストレス解消をしているように見えた」と言っていたが、もしかすると、自分ではためていないと思っていたストレスが実はたまっていたのかもしれない。朝のお雑煮から始まってほぼ一日中台所に立ち、冷蔵庫の中を見渡しながらありとあらゆるものを作った。退院後食べなくなった赤身の肉や乳製品はもともとほとんど冷蔵庫に入っていないので、普段から食べている食材を、スパイスなどを工夫していろいろに調理した。

1月2日などは、午後4時には夕食の準備ができて、むりやり母と妹を食卓につかせ、それから延々と料理を出し続け、夜遅くなってから足りなくなったご飯を炊き始めるありさまだった。わずか2日前の出来事なのだが、あの時の私はどこかがおかしかったと思う。お酒もたくさん飲んでしまった。

体調を崩したのは言うまでもない。胃腸もおかしくなったし、熱も出てしまった。一番まずかったのは、あんなに気をつけていた塩分コントロールが全くできなかったこと。リンパ節を4つ取っている左腕は浮腫みが出て、朝起きたときに手が握れなかった。

退院して半年、本当に注意してきたのに、ここに来て頭の回路がどこかでプチッと切れてしまったのだろうか。自己嫌悪でホットフラッシュも普段より頻繁に起きるような気がする。

自戒の気持ちを込めて、昨夜の夕食には、ごくうす味のとろろ汁を作り、柚子豆腐、少しの刺身、そしてゆで野菜と1膳のご飯をよく噛んで食べた。乳房再建のための入院まであと40日。しっかりと今までの食生活に戻して、体調を整えておかなければ。

それにしても、年末年始というのは、恐ろしい時期ですね。

2010年1月 3日 (日)

お守りをもらう

1か月前にある友人に病気を打ち明けた。(←エントリー「一人の友人に打ち明けた」参照)

その友人から速達が届いた。開けてみると、立派な桐箱に入った紫色の「病気平癒御守」とカードが。

「200%大丈夫としっかりお願いをして、お守りを買ってきました」とのメッセージ。思いがけない贈り物に、目頭が熱くなった。

お守りが病気を治すのではない。お守りに込められた人の気持ちが、病気を治したいという心の強さを生み出すのではないだろうか。この病気になってお守りをもらったのは初めてだったのだが、素直にうれしい気持ちになった。彼女の優しさがお守りを通して伝わってきた。

それにしてもピンクリボンをもらったときの気持ちとどうしてこんなに違うのだろう。ピンクリボンは自分で身につけようと思って自分から求めるものであって、人にプレゼントするものではないような気がする。人目につくところに持って、意識を高めるのがピンクリボンの役目なら、人目につかないところでひっそりと励ましてくれるのがお守りなのかな。ピンクリボンは今の私にはまだまだ重荷だ。お守りの無言の優しさがうれしい。

お正月早々に乳がんの化学療法のために入院する友人がいる。彼女のために、初詣に訪れた神社でお守りを買っていこう。私の気持ちを込めて渡そう。

2010年1月 2日 (土)

電車で見かけたピンクリボン

電車に乗り、出入口近くのつかまり棒を運良く見つけることができた。術後半年。まだ、吊り革につかまることは怖くてできない。

先日もつかまり棒につかまって、混んでいる車内をなんとなく見ていたら、黒いバッグに付けられたピンクリボンが目に入った。「どんな人だろう?」車内が混雑しているので、その女性の黒いコートとバッグは見えるのだが、肩から上は人に遮られて見えない。

しばらくしてその女性の前の座席が空き、彼女は腰掛け、遮るものがなくなった。似た雰囲気の女性と二人連れ。姉妹に違いない。すっきりしたストレートヘアの、知的な感じの女性だった。

でも、顔色が悪い。表情も固い。疲れているようだ。膝の上の黒いバッグのポケットからピンクリボンのキーホルダーが下がっている。

私は乳がんが発覚した直後に友人からピンクリボンのキーホルダーをプレゼントされ、傷ついた。それを使うことで繰り返し自分に病気を思い出させることになると感じ、引き出しの奥深くにしまい込んだ。その気持ちは今も変わらない。

だから、彼女のピンクリボンは私にとってはとても特別なことに見えた。不特定多数の人に自分の病気を明らかにすることで自分が強くなれるのだろうか。それとも、彼女は病気ではないけれどピンクリボンキャンペーンに関心があって身につけているのだろうか。あるいは、まったく何の関心もないけれど、たまたま使っているだけかも…。それにしても、彼女の顔色の悪さが気になる…。

そんなことをぼんやり考えているうちに私の降車駅が来た。いずれにしても無理しないでくださいね…、と心の中で言って、電車を降りた。

電車で見かけた雄弁なピンクリボンひとつ。いろいろなことを考えてしまった。

2010年1月 1日 (金)

初詣で涙ぽろぽろ

あけましておめでとうございます。

病気が発覚した2009年が終わり、新しい年が来た。今年は乳房再建という大きなプロジェクトがある。なんとか無事に、予定通り進むことを祈るばかり。

今年も、いつもと同じように、深夜近くに、自宅近くの神社に初詣に行って来た。今年は一人で。病気になってから、この神社によくお参りに来るようになっていた。1か月に1回は来ているだろう。以前のぼんやりした私からは考えられないこと。

私は特定の宗教を信仰しているわけではないが、神聖であるとされている場所で手を合わせるのは自分の気持ちの整理にいい。特に病気になってからはそれを強く感じる。

今日は、紅白歌合戦が終わる直前に家を出て、神社の参道に並んだ。すでに多くの人々が行列をなしていた。行列の末尾に並び、2009年のことを思い出していると、なぜかしら、次から次へと涙が出てきた。本当に辛かったよ。本当に苦しかったね。私、がんばったよね。涙が途切れなく流れる。カッコ悪い、恥ずかしい、と思いながら、マフラーで涙をぬぐい、参拝の順番を待つ。

普段お参りするときにはこんなに賑やかな神社ではない。でも、今日は神社までもが晴れやかだ。ぼろぼろ、ぼろぼろ、泣きながらお参りを済ませ、破魔矢を買い求め、おみくじを引き、甘酒の振る舞いにあずかり、神社を出た。

新年を回って30分ころ、パートナーT氏から電話。忙しい彼は、今日も出張先から。この1年の激動を思い起こして、何度も言葉に詰まりながら、感謝の気持ちを伝えた。彼がいなかったら、本当に私は今頃つぶれていたかもしれない。それを彼に伝えるのに、また、涙、涙。

涙の年越しとなった。それが、また、幸せだ。

2010年になりました。私は、治療と再建に真面目に、精一杯、取り組んで行きたいと思っています。つたないブログですが、できる限り更新して行くつもりです。ご訪問くださったみなさま、ありがとうございます。時々ここへ戻ってきてくださいませ。どうぞよろしくお願い申し上げます。

よい1年でありますよう。

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