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2009年12月

2009年12月31日 (木)

がんは私のからだの一部

3月にマンモグラフィを受けて以降、2009年のほとんどは乳がんと暮らしてきたと言っても過言ではない。病気を受け入れ、両胸をなくすことを納得し、適切な治療法を求め、痛みに耐えた。苦しいときも多かったが、時間と気持ちを惜しみなく私に向けてくれた家族とパートナーT氏のおかげで、この9か月間、ある程度の冷静さを保って行動することができたと思う。

病気を打ち明けた数少ない友人と職場の上司も理性的に対応してくれた。一部の友人は理解に苦しむ反応をしたが、それはこの病気をした人の多くが経験していることのようだ。

2009年はまさに「出会い」の年だった。

まずは、未知の病気との出会い。そして同じ病気で私以上に苦しみ、治療に取り組んでいる人たちとの出会い。さらに、医師、看護師、研修医などの医療従事者との出会い。

そして、日本中、世界中で「がん」という病気と闘っている人々と「つながっている」という気持ちとの出会い。 

両胸はとってしまったけれど、「がん」は私のからだの一部であり、これからもずっとそうありつづける。もう、後退りはできない。うれしいときも、つらいときも、私の人生が「がん」とともにあることを教えてくれた2009年だった。

出会いづくしの2009年が暮れ、これまた再建という未知の世界が待つ2010年が始まる。不安と期待の両方がある。

2009年、このブログにお越しくださりありがとうございました。アクセスのカウンターが上がるたび、どこにいらっしゃるかはわかりませんが、おそらくご自身も乳がんで、ネット検索の末にこのブログを見つけてくださった方々との「出会い」を感じております。

心からお礼申し上げます。

2009年12月30日 (水)

ホットフラッシュ治療と神経ブロック注射

乳がん治療のホルモン療法で最も良く見られる副作用のひとつがホットフラッシュだが、個人差はかなりあるようだ。

重いホットフラッシュをかかえている乳がん患者の女性と話をする機会があった。話している間に頻繁に額に汗が浮かび、小さなタオルを取り出して顔を拭いていた。

彼女が受けているのが神経ブロック注射だった。これは、首に注射をして、交感神経を一時的にブロックするとのこと。(日経メディカルオンライン2008年5月16日

「注射をした直後は本当に、汗が出なくなって、ホットフラッシュが治ったかと思うんですよ」と彼女。「でも、時間が経つとやはり、出てくるのです。」ホットフラッシュに悩むようになって3年とのことだが、まだまだ厳しい状況は続いているようだ。「それでも、昨年より、今年の方が楽だと思います」という言葉を聞き、私のホットフラッシュも時間が経てばだんだんと軽減されていくのかと期待を持った。

ホルモン治療は長期にわたるため、副作用への対応はとても大切なことだと思う。また、ホルモン治療に限らず、薬品の使用には副作用がかならず付いて回る。薬品を用いての治療の研究とともに、それに付随する副作用の研究もしっかりと行われることがとても大切だと思う。

2009年12月29日 (火)

乳がん治療とジェネリック医薬品

今回の乳がん治療において、私の病院は使える範囲でジェネリック医薬品を用いているようだ。ジェネリック医薬品についてはテレビのコマーシャルなどで知っていたが、医師がジェネリックを選択したおかげで、高額ながん治療の医薬品の部分だけでも、かなり助かっている。

外科治療の段階では痛み止めの「ロキソプロフェン」はロキソニンのジェネリック、お通じがよくないときの「マグミット」はマグラックスのジェネリックといった具合。

ホルモン治療が始まると、「タスオミン」というノルバデックスのジェネリックを1日1回、朝服用。乳がん治療について情報を集めている段階では「ノルバデックス」という名称を圧倒的に多く目にしていたので、少しとまどったのは否めない。しかし、乳腺外科主治医D医師に尋ねると、「働きはまったく同じもので、値段が安いので、長期間服用する患者にとって経済的に良いと考える」とのことだった。

ジェネリック医薬品とは異なるが、リュープリンの注射についても、1か月に1回の注射より、3か月に1回の方が通院回数も少なくてすみ、結果的に経済的になるだろう、とのことで3か月を選択しているとのこと。1か月の方が副作用が軽くて済む、ということはないそうだ。

がん治療は高額で、それが長く続く。私のホルモン治療も5年ならず、7年続くかもしれない。再発を抑えるためなら何年でも続けたい、というのが本音である。これだけの期間を考えると、ジェネリック医薬品で本当によかった。相当の差が出るはずだ。はじめからジェネリック医薬品を使ってくれた病院に感謝。

特に支障がなければ、ジェネリック医薬品を使っていない方も医師に聞いてみるのも良いのではないかと思う。

2009年12月28日 (月)

有茎腹直筋皮弁 (Pedicled TRAM Flap) で再建

有茎腹直筋皮弁 (pedicled TRAM Flap) で再建した女性と知り合った。遊離腹直筋皮弁 (Free TRAM Flap) とシリコンインプラントで再建した方は存じ上げているし、胸も見せて頂いたことがある。有茎腹直筋皮弁で再建した方とは初めて会った。

この方法のイメージ図はメイヨークリニックのホームページがわかりやすい。切り取った腹部の皮弁に腹直筋(と栄養血管)をつけたまま、お腹の皮膚の下をくぐらせ、胸から顔を出させるイメージである。

左側のみ乳がん(全摘)で再建したということだったが、バランスのとれた豊かな胸とすっきりしたウェストの持ち主だった。ぴったりとしたドレスを着た姿がとてもきれいだった。

一緒に食事したが、食べ方がとてもゆっくりだ。最初、胃が悪いのかと思ったが、再建のために胸に移動した腹直筋が胃を押している感じが取れず、いちどきにたくさん食べることができなくなったのだそうだ。

「筋肉が胃のあたりに集まってぼこぼこしている感じ」と彼女は形容していた。触らせてくれたが、みぞおちの辺りが固くなっている。かなり気になるらしい。再建して約1年ということだが、「まだ慣れないんですよ」と言っていた。この術式でよく言われる「腹筋の弱さ」については感じないと言っていた。それはいい話だと思った。

私たちは自分の病気をあまり表に出さないし、再建についてもどなたかネットワークして下さる方がいらっしゃらないと経験者と知り合いになることも難しい。有茎腹直筋皮弁は確立された技術だそうだが、それを使って再建した方から直接のお話が聞けて、とても勉強になった。

私が自分の病気について話しているのはこのブログだけなのだが、受ける予定の遊離腹直筋皮弁 (Free TRAM Flap) での再建手術については、ここから詳しく発信していきたいと思っている。

きっとうまく行くと信じているが、冷静な情報収集も続けて行くつもり。

手術まであと50日。

2009年12月27日 (日)

傷あとの痛みに慣れること

両側乳がん全摘の手術後、ずっと傷あとが痛む。もう半年である。胸が痛いということは何度も何度もこのブログに書いた。(←最近は1か月前のエントリー「傷あとが痛むとき」参照)

医師や看護師の中には「痛みの感じ方には個人差があり、あなたは痛みを感じやすいのだろう。」という人もいた。

そんなことを言われても痛いものは痛い。

でも、この傷あとの痛みには慣れることができる。

それがすごいと思う。本当につらかったときは処方されたロキソプロフェン(ロキソニンのジェネリック)を飲んでいたが、最近はほとんど飲んでいない。ときどき新しい痛みを感じることもあるが、日常生活は送れている。通勤して、仕事して、家事をして、入浴して、眠っている。ホットフラッシュのせいで、眠りの質はあまり良いとは言えないが…。(←カテゴリー「ホルモン治療とその副作用」参照)

痛いなりにからだも動く。最近は、青信号が点滅しているときに少しなら小走りくらいできるようになった。

ありがたいのは、これが術後の傷の痛みであり、がんの痛みではないということだ。それを忘れずにいたい。もっと時間が経って、もっと慣れて行けたらいい。あと2か月もしないうちに今度はお腹を切って再建手術をするわけだが、その傷あともきっと最初は痛いだろう。でも時間とともに慣れていくはずだ。

前向きに考えて治療・再建に取り組みたい。

2009年12月26日 (土)

全摘か?温存か?

私は両側乳がん患者。両方の乳房が同時にがんを抱え始めたのかどうかはわからない。でも、右乳房は、乳腺外科主治医D医師が「ずいぶん長いことかかったはず」という大きさだった。直径6センチとも7センチとも。乳頭から体の上部寄りの上半分はほとんどがんだったとも。しかし、これが、非浸潤のステージ0であった。それでもこの大きさでは温存はできない。D医師も、セカンドオピニオンを求めた大病院の医師も、同じことを言った。

問題は左乳房だった。左は、乳頭から体の上部寄り、体の内側寄り、2センチ弱。浸潤。大きさから言って、ステージ1と2のちょうど境目くらい。D医師が言いたかったことを簡単にまとめると次のようになるだろう。

(1) 左乳房のがんは温存が可能な大きさである。

(2) しかし、右乳房もがんであり、その大きさは全摘以外にないと思われる。

(3) 両側ということを考えると、私は、ややがんができやすい体質なのかもしれない。

(4) 左乳房を部分切除した場合には術後の放射線治療が必要である。(注:術前化学療法の提案はD医師からはなかった。)

(5) 職業をもった人間として、(a) 左のみ部分切除して放射線治療(または、それにプラスして抗がん剤治療)をするのか、あるいは、(b) 両側全摘手術を行うことで放射線治療を回避して、社会復帰を早めるのか、これは私が判断すべき。

上記(5)に関連して、D医師から、形成外科では、再建という形でサポートすることができるし、再建を行っても再発の発見などに影響が出ることはまずない、ということを言われた。

右はもうあきらめていたが、左をどうするかは本当に悩んだ。(←カテゴリー「乳がんと診断されるまでの経緯」参照)

しかし、今は左も全摘して良かったと思っている。新聞や雑誌では、日本中の病院の乳がん手術における「温存率」が示され、「温存が良い方法で、全摘は最後の手段」という考えをどうしても持ってしまいがちだった。しかし、積極的に全摘を選んで良かった。まず、術後の放射線治療が回避されたので、回復が早かった。(病理の結果、現時点では抗がん剤治療を行う理由がないと言われ、こちらのダメージも避けることができた。)さらに、再建手術が受けられる。以前と同じ乳房に戻るわけではないが、胸に2つのふくらみを取り戻すことができる。このことで、自分への自信とこれからのがん治療への積極性の両方をも取り戻すことができるような気がする。

治療方針は主治医と患者がよく話し合って合意の上で決めていくべきだと思うし、全摘と温存のどちらが良いと一概に言えるものでは決してない。ひとりひとりの病気の状況を基礎に、患者の生き方や考え方を反映した形で納得した結論が出せるのが一番望ましいと思う。

2009年12月25日 (金)

ホットフラッシュの熱で残業

クリスマス・イブ。

暖房の切れたオフィスで仕事をする。小さな携帯用の電気ストーブを足元に置く。昨年末もこんな感じだった、と思いだす。でも、昨年の今頃は病気とは無縁の暮らしをしていた。

オーバーを羽織る。熱いコーヒーをすする。片づけなければならないことはまだまだある。

「あ、そうだ、あれを忘れていた。どうしよう!」と大事な仕事をまたひとつ思い出す。そのとたんに、からだの内側からじわじわと熱が湧いてくる。ホットフラッシュだ。私のホットフラッシュは心の動きにも微妙に関係していて、困ったり、怒ったり、決まりが悪くなったり、あわてたり、といったネガティブな心の動きに呼び起されて始まることがある。

今日は忘れていた仕事を思い出すたびにじわじわと熱が出てきて、冷たい手先まで暖かくなってしまった。不快なはずのホットフラッシュ熱が、小さな電気ストーブの補佐役を果たしてくれた。

病気にはかかってしまったけど、こうして仕事ができて幸せだ。ホットフラッシュも寒いオフィスでは使える。なんだか、ひとりで笑ってしまったクリスマス・イブ。パソコンでこっそりとホリデイ・ミュージックを聞きながら、早いところ、仕事をすませよう。

メリー・クリスマス

2009年12月24日 (木)

サプリメントと乳がん

いま、サプリメントはごく当たり前のように摂取している人が多いが、これは、本当に慎重にすべきことだと思う。

私は乳がん発覚前の6か月前からしばらく、「プエラリア」というサプリメントを飲んでいた。サプリメントに詳しい友人が、「女性のアンチエイジングに良いよ」と言って勧めてくれ、ネット通販で購入した。ちょうど50歳になった頃で、アンチエイジングという言葉に大きな魅力を感じていた。

これは、マメ科の植物で、イソフラボンを多く含むらしい。大豆由来ではない。茶色の粉の入ったカプセルを1日1回、寝る前に飲んだ。

初めてこれを飲んだ翌朝、左胸に「ぷりっ」としたしこりがあるのを感じた。『からだの中で寝ていた何かが目を覚ました』ような感触だった。そのときにすぐに変だと思って受診すれば、乳がん発見が半年早まっただろうと思う。

しかし、私は若い頃から乳腺が腫れたりして、胸にしこりを感じることがよくあった。十代のころからそうだった。(二十代のころからあったしこりは、いつの間にか消え、乳がん発覚時のマンモグラフィやエコーではまったく見えなくなっていた。)そのため、6か月前に感じた「ぷりっ」としたしこりが、まさか乳がんだろうとは、考えもしなかった。うかつだった。変だなぁとは思いつつも、まさか、これががんだとは思いもしなかった。

いま考えてみると、成長を始めていた乳がんはあのとき私が摂取したサプリメントをきっかけとして、ぷりぷりと太っていったのか。

両側乳がんの告知を受け、全摘手術への準備があわただしく進む中で、「そういえば、イソフラボンを多く含むというサプリメントを摂っていた…」と思い出した。「現代人はサプリメントを摂るべきだ」くらいに思い、ビタミン、ミネラルを始め、何種類かのサプリメントをいつも摂っていた。「からだに良い」と思ったからだ。サプリメントへの心のハードルが低かったので、プエラリアという未知のサプリメントも、「自然なものだから…」くらいの気軽さで摂取してしまったのかと思う。

術後ずいぶん経ってから乳腺外科主治医のD医師にこのことを打ち明けた。彼はほとんど反応しなかった。科学的には、私がプエラリアを摂取していたことと、乳がんの発症とのあいだに明確な因果関係を見いだすことは難しいのだろう。

でも、私には苦々しい気持ちとともに思い出す、あの胸の感触がある。

サプリメントは気を付けて使うべきだと思う。医師の指導のもとでない限り、できるなら使うべきではないとも思う。私たちはサプリメントを軽く考えすぎているのでは。

プエラリアと乳がんリスクについては、種々の情報がネットなどでも入手できる。乳がんにもホルモン受容性のあるものとないものとある。たしかにプエラリアのサプリメントを摂ったからと言って必ず乳がんになるわけでもないだろう。

しかし、一部の人に悪影響があるサプリメントを摂取する必要は全くないのではないかと思う。私を反面教師にしてほしい。

からだに悪い影響がないとわかっているものだけを、ほどほどに。

・・・私からのお願いです。

2009年12月23日 (水)

ホットフラッシュとアロマセラピー

更年期のホットフラッシュに精油(エッセンシャルオイル)がよい、というのはあちこちに書かれている。ただ、ホルモン治療中のホットフラッシュの問題点は、それが人工的に作り出された更年期によるものだということ。女性の加齢の過程のなかで不可避に出てきたものとは異なるということ。出たがっているホルモンを強く抑えているために出現している症状だということだ。

乳腺外科D医師の外来で、ホットフラッシュがつらい、と訴えたとき、この症状を治すには、からだにホルモンを与えてやるしかない、と言われた。そのときは、ホルモンを抑える治療をしているときに、なんてキツイことを言うのだろうと思ったが、つまり、そういうことなのだ。

アロマセラピーで用いられる精油の中には「通経」など、女性のホルモンバランスに影響を与える作用があると言われるものがたくさんある。女性ホルモンを出すことを促そうとする働きのある製油があるとすると、これを使うことはホルモンを抑える乳がん治療とは拮抗することになる。

そこで、私は、精油の中でも「ホルモンバランスを整える」とか、「更年期障害に効き目がある」と言われているものは避けて、もう少し一般的なものを用いている。

更年期障害に勧められている精油を使っても何の問題もないのかもしれない。しかし、私はアロマセラピーの科学的な効能には深い信頼を持っているので、「ホルモンバランスを整える」と言われると、本当にその精油には卵巣に働きかける成分があるのではないかと思う。

もうずいぶん前のことだが、生物学部で学んでいた親戚の子供が、「部屋のバイ菌チェック!」とか言って、私の部屋にかんてんを流したペトリ皿を置き、どのような菌が私の部屋に浮遊しているか調べようとしたことがあった。あとで、とても不思議そうに「ぜんぜんバイ菌がいなかった」と言っていた。そのとき、ちょうど私は部屋でラベンダー精油をアロマポットでたいていたのだった。それ以来、私は精油の効き目に強い信頼感を持っている。したがって、「更年期にアロマセラピー」と聞くと、これは、きっと気のせいでない、実効があるのだろうと思う。しかし、私のホットフラッシュは一般的な更年期が原因のものとは異なるので、ためらいがある。

アロマセラピーやサプリメントなどは、もともと体のなかにないものを、特別に体に入れる場合が多いので、細心の注意が必要だと思う。アロマセラピーでは精油を直接飲用するわけではないが、成分は鼻を通して体内に取り入れられる。

そう考えると、イソフラボン配合を謳っている化粧品はどうなのだろう?また、ある化粧品メーカーには女性ホルモンに似た働きをすると言われる植物プエラリアを配合した高級ラインがある。

以前、D医師の外来で、「イソフラボンのサプリメントは1日に何ミリグラムまで」、という、有意差が出ると思われる摂取量を聞いた記憶があるが、乳がんになった今、私にはもうイソフラボンのサプリを飲む気持ちはないので、よく聞かずに流してしまった。

人間の体は本当によくできていると思うが、また、本当にデリケートでもある。「からだにいいもの」とは何なのか、迷うことは多い。からだに触れるもの、からだの中に入れるものは、よく考えてから使おうと思う。そして、なにごとも、ほどほどに。

2009年12月22日 (火)

乳がんになってからの食生活

もともと美味しいもの好き、お酒好き。甘いものも好き。あまり運動はしない。膝があまり良くないので、スポーツクラブで水中ウォーキングをするくらい。そんなこんなで40代後半はかなり太め。

それが、なぜか、乳がん全摘手術で入院している間に痩せて、退院したときには4キロ近く減っていた。病院食だけをきちんと頂き、間食しないように気をつけたからかもしれない。1か月お酒を飲まなかったし。病院食は決して飛び上るほどおいしいものではなかったが、「減塩」「素材の旨み」「バランス」など、健康的な食事の基礎をたたき込まれた感じがした。また、希望を出して、「牛肉禁」「乳製品禁」としてもらった。

6月末に退院した後も基本的に肉食はせず、塩分と脂っこいものを避け、あんなに好きだった乳製品をぱったりとやめ、現在に至る。食事の基本は米食(13穀などの混ぜ物をすることも多い)、魚介類、大量の野菜、きのこ類、大豆製品。塩分にとにかく気をつけ、だしの旨みを利用する。それでも物足りなく感じるときには、食卓でごま、酢、こしょう、柑橘類の汁などの調味料を加え、味にめりはりをつける。汁物は基本的に汁は残す。減塩醤油もずいぶん美味しいものがあるのがうれしい。ほんとうに「ぽたっ」としか使わないのだが美味しいので、ストレスにならない。

お酒は病気になる前よりも量は格段に減ったが、からだと相談しながらあまり我慢せず飲んでいる。何せ、6月末に退院する日に形成外科Y医師に「退院したら乾杯していいですか?」と聞いてしまった。「ああ、いいですよ!」とY医師。その日の夜に妹とシャンパンで乾杯したのは言うまでもない。

体重は退院後も10月頃まで少しずつ減って行き、そのあとは「下げ止まった」感があり、現在は身長158センチ、体重51キロ前後。これ以上は減らなさそうな感じである。体脂肪25%。服のサイズは11号から9号へ。特にパンツがぶかぶかになり、ベルトで押さえて着用。もともとスカートよりパンツ派だったのだが、すっかり買い換えるわけにもいかず、中に厚手のセーターを入れ込んだりして工夫している。靴もゆるくなった。

8月10日からホルモン療法が始まったが、ホルモン療法の副作用のひとつに「体重増加」があげられており、自分も太ってくるのではないかと心配だった。乳がん患者は太らない方がよい、というのは、看護師さんからも言われていたことだ。がん細胞に栄養を与えて成長させる必要はない。不安に思ってはいたのだが、退院後の食生活を続ける中で、体重増加はない。

楽しみは時々の外食。パートナーT氏とでかける時も、T氏は気を使って魚介中心の食事に誘ってくれる。でも彼が食べる肉を一切れつまんだり、チーズを口に入れてみたり、たまに少しだけ普段と違うものを食べてみる。それが楽しい。もともと「禁忌」ではないわけだから。先日は同僚とイタリアンに行き、久しぶりにティラミスを口にした。美味しかった。

もともと、からだに良いものをそこそこ、バランスよく食べなさい、というのが、医師や看護師のアドバイスで、肉をやめろ、とか、乳製品をやめろ、とか言われているわけではない。でも、病院食を参考にした退院後の食生活に全く不満はないし、ストレスもたまっていない。

乳房再建にあたっては、術後の体重管理が大切なのではないかと思っている。大きく太ったり痩せたりすると腹部脂肪を使っている再建乳房に直接影響が出るからだ。その意味では、控え目な食生活を続け、現在の体重を保って行きたいと思っている。

それでも、疲れると職場でチョコレートやクッキーは食べるし、仕事が長引くと、引き出しに常備してある「ソイジョイ」をかじったりする。あまり自分に厳しくし過ぎず、ほどほどの食生活を続けるのがいいのかな、と思う。

2009年12月21日 (月)

出会い

人生は悪くない。今日は本当に、本当、にそう思った。

同じ病院で治療を受けている同年代の女性と知り合いになった。彼女は、私より早くがん告知、手術。再建。

再建の話もうかがうことができ、さらに、病気を持ちながら仕事をする精神的なきつさ、不安感など、お互いに感じていることがとても似ていることを発見して、落ち着いた気持ちになることもできた。

同年代の彼女の姿に、本当に、私も頑張ろう、と、気持ちを新たにした。

彼女、カッコ良かった、本当に。

生きたい。ずっと生きていきたい。

人生は捨てたものではない。そう、強く、思った。

それにしても、なぜ、神さまは私たちを病気にするのだろう?

2009年12月20日 (日)

病気と闘えるありがたさ

病気と闘う道のりが長く感じる。いつまで続くのかと考える。この病気には「治った」という表現があてはまりにくい。だから、ひょっとするとこの病気と闘うことはずっとずっと続くのかもしれないと思う。いや、ずっとずっと闘い続けることができることが、有り難いことなのだと思う。

「ホルモン治療は最低5年。でも、5年のホルモン治療を終えたあとすぐに再発するケースが少なくないのです。」とD医師。「だから、このごろは、7年は続けた方がよいという研究結果があります。」

何年でもいいです。何年でも薬を続けます。続けなさいと言われている、ということは、それだけの期間、病気と闘える、と判断されていることだから。ホットフラッシュがあっても、目がかすんでも、指がこわばって動きにくくなっても、そんなこと、構いません。

今日、何か月かぶりに映画を見に行った。一人で。エンドロールが終わっても誰も言葉を発しようとしないくらい重い映画だった。監督は…?監督は?と思ってパンフレットを見ると、監督は83歳だ。そのときに、この監督のこの映画を今、生きて映画館に足を運んで見ることができた、そのことを本当に、ありがたく、思った。

この監督が次の映画の指揮を執るとき、そのときも、私は映画館に足を運びたい。

2時間余りの映画の最後でホットフラッシュが来た。暑かった。ひとりで発熱していた。汗だく。満員の館内で、おそらく左右の人は気付いただろう。

「暑苦しくてすみません。汗臭いですか?本当にすみません、外はこんなに寒いのに。たまたま隣に座ったみなさんにご迷惑をかけてすみません。でも、ホットフラッシュは、私が生きている証なのです。」

病気と闘えるありがたさを噛み締めながら、久しぶりの映画館をあとにした。

2009年12月19日 (土)

病院に戻りたいときがある

からだが重い。胸が痛い。目がかすんでよく見えない。手がこわばる。仕事が思うように進まない。周囲の人はみなはつらつとして仕事を進めているように見える。気持が果てしなく沈む。

そんなとき、病院に戻りたくなる。

私の病気をよく知っていてくれて、つらさをわかっていてくれて、私をそのままで受け止めてくれる人たちが病院にはいる。

5月、6月、9月と、告知以来3回の入院で、医師・看護師をはじめとする病院スタッフの温かさにありがたく甘えさせていただき、ケアをしていただいた。若い研修医の皆さんにもまた、お世話になり、優しく接して頂いた。病室をご一緒したお仲間にも親切にしていただき、今でも交流がある。

私にとって、病院は、何も心配しなくていい、隠れ家のような場所になった。復帰した職場では、病気を隠して頑張らなければならない。「痩せましたね」とか「顔色が悪いですね」などと言われても、返答に困る。同僚と一緒にいても、私にだけ秘密があるような気持ちになってしまう。隔離されているような気持ちになることがある。

そんなとき、「あぁ、看護師さんたちに会いたい」と思ってしまう。わがままだとわかっている。でも、どうしようもなく、つらいとき、私を守ってくれる砦のように、病院が私を呼んでいると感じる。あそこには秘密がない。闘病という絆でみなが結ばれている(それを意識しようとしまいと)。

そういう気持ちを持って思い出せる場所がある私は幸せだと思う。そんな風に思わせてくれる先生たち、看護師さん、栄養士さん、検査技師さん、お掃除のおばさん、大勢の皆さんたちに、心からの感謝。

あしたは、元気になろう。

(その繰り返し。)

(繰り返しでもいい。)

2009年12月18日 (金)

医療費(3) 2009年6月~12月

ブログをお休みしていた時期が長く、医療費のまとめがずいぶんと滞っていた。

医療費(1)では2009年4月、医療費(2)では、2009年5月の出費をまとめた。

ここでは、6月以降のまとめをしたい。

◎2009年6月
第13回 6月4日(乳腺外科K医師、センチネルリンパ生検の結果説明)210円
第14回 6月29日(6月5日~29日入院、両側乳がん全摘手術、エキスパンダー手術、再手術など) 173,569円

◎2009年7月
第15回 7月14日(形成外科Y医師、傷あとの心配) 210円
第16回 7月23日(乳腺外科K医師、全摘手術後の病理結果説明、形成外科Y医師、傷あとのチェック)210円

◎2009年8月
第17回 8月10日(乳腺外科K医師、ホルモン治療説明、リュープリン注射第1回、形成外科Y医師、傷あとのチェック)28,280円、タスオミン院外処方3,070円
第18回 8月25日(入院前検査、レントゲン、肺活量など)2,780円

◎2009年9月
第19回 9月9日(9月2日~9日入院、エキスパンダー再挿入手術)100,320円
第20回 14日(乳腺外科K医師、ホルモン治療の経過チェック、形成外科Y医師、エキスパンダー水注入)430円
第21回 9月18日(形成外科Y医師、傷あとの処置)410円

◎2009年10月
第22回 10月2日(形成外科Y医師、傷あとのチェック、エキスパンダー水注入)230円
第23回 10月15日(乳腺外科K医師、ホルモン治療の経過チェック、形成外科Y医師、傷あとのチェック、エキスパンダー水注入)1,510円、タスオミン院外処方2,550円

◎2009年11月
第24回 11月12日(乳腺外科外来、ホルモン治療リュープリン注射第2回、形成外科Y医師、傷あとのチェック、エキスパンダー水注入)26,770円、タスオミン院外処方7,200円

◎2009年12月
第25回(形成外科Y医師、傷あとのチェック、エキスパンダー水注入)240円

以上、6月~12月で合計347,989円。4~5月が258,810円。総計は606,799円となった。なお、この中には、薬品代(ホルモン治療の院外処方のタスオミン)、保険外のセカンドオピニオン(42,000円)とセンチネルリンパ生検(133,700円)も含まれている。差額ベッド(個室など)は利用していない。4月からの9か月で単純に割り算すると1か月平均67,422円となる。(3割負担の支払い分)

来年2月の再建手術は自家組織を使用するため、健康保険が適用になる。とてもありがたい。

2009年12月17日 (木)

形成外科のホームページで乳房再建を見る

再建手術を少しでも具体的に理解できるように、日本の病院の形成外科のホームページにも工夫されたものがある。いくつか紹介したい。著名な先生がいらっしゃる病院やクリニックのホームページが必ずしも乳房再建について詳しく説明しているとは限らない。患者に情報を多く発信することの重要性を考えると、病院もこの媒体をもっと活用して啓蒙に努めてもらいたいと思う。

(1)癌研有明病院

病院が再建に取り組む姿勢を明確に出しているところが好感が持てる。文章とイラストで丁寧に説明されている。ここはDIEP flap による乳房再建を基本としているようだ。

(2)順天堂大学附属順天堂病院

各種の術式のCGによる解説画像がある。遊離皮弁の動画では、皮弁を腋の下の血管につなぐ形式が紹介されている。(私はろっ骨の下から取ると説明されている。これは、どのような血管が確保されるか、によって異なるらしい。ろっ骨の下から確保できた場合には、皮弁側の血管の長さが十分に確保され、可動域が広がるが、腋の下に持って行くと、やや自由度が低くなる、とのY医師の説明があった。)

(3)矢永クリニック

個人のクリニックではあるが、インプラントを使った再建の写真が多く掲載され、インプラント再建を考えている人には参考になることが多いと思う。

2009年12月16日 (水)

再建手術…聞けそうで聞けなかった質問

重要:以下の質問は、私がY医師に尋ね、答えを得た(と思っている)もの。聞き違いや聞きもらし、また、誤解しているところもあるかもしれないので、必ずご自分で専門家に確認して判断してください。

(1)私は両側再建なのですが、どのような順番で切るのですか?

まず、お腹を切り、移植する皮弁を確保。ただし、血管はつないだままにしておく。血管から離れている状況をなるべく短時間にするため。まず一方の皮弁を切り取り、胸の手術の傷あとを開き(移植のために新しい傷を作ることはない)、移植する。そのあとで、もう一方の皮弁を切り取り、移植する。一方が終了してからもう一方に移る、という形。

(2)皮弁はどのような形で胸に入れるのですか。

切り取った皮弁は胸に入れたときに自然な丸みがでるように、端を折ったりして、形を整える。私の場合には、胸の皮膚をエキスパンダーで伸ばしているため、皮膚は移植しない。皮弁の皮膚を、中央部を長細い葉のような形を残してはがし、エキスパンダーで伸ばした皮膚のポケットの中に入れる。(はがした皮膚はもったいないが、捨てる。)皮弁に残した皮膚が少し見えるようにして縫合する。これは、この皮膚の色で、静脈血栓や動脈血栓を監視することができるから。動脈が詰まるとこの皮膚が白っぽくなり、静脈が詰まると青紫色になる。皮弁を縫いとめるときは、周り中を縫いつけるのではなく、何か所かをきちんと止める。それが、血流が確保されれば時間とともに生着する。

(3)乳房はあおむけになると横に流れますが、寝たままで手術するのですか。

形を確認するために術中にからだを起こして確認する医師もいるが、Y医師は麻酔医の負担が増えることもあり、行っていない。その代り、術前のマーキングを厳密に行う。

(4)自家組織での再建はあとで縮むことがあると聞いたのですが。

Y医師の経験では、時間とともに縮むということは基本的にない。しかし、術後に何らかの事情で痩せてしまった場合、胸についているのは腹部の脂肪であるから、胸も痩せる。また、太ってしまった場合、お腹周りが太るように、胸も大きくなる。両側であっても、両方が同じように大きくなるかどうかはわからない。

(5)脂肪をとった腹部(ドナー側)のおへそが左右にずれることがあると聞いたのですが。

おへその部分も含めて皮弁を採取する。傷は左右は腰骨から腰骨まで、かなり長い。そのため、おへその部分を含めて皮膚がかなり失われる。皮膚をつなぎ合わせるときに、おへそに重なる部分の皮膚に穴をあけて、おへそが顔を出すようにする。この際、まっすぐ前におへその穴があくように努力しているが、これがほんの少し左右にずれることがある。

(6)脂肪をとったあとのお腹はぺったんこになるのですか。

術後はお腹が平たくなるので、喜ばれることが多いが、そのあとでまたお腹周りの脂肪は増えてくる。

以上、以前から聞きたかったことをY医師にぶつけてみた。笑わずに丁寧に答えてくれたので、感謝、感謝。スッキリ、スッキリ。

2009年12月15日 (火)

Free TRAM flap 手術と DIEP flap 手術の違いについて(私見)

遊離横行腹直筋皮弁(Free TRAM flap)を用いた乳房再建手術と、深下腹壁穿通枝動脈皮弁(DIEP flap)を用いた乳房再建手術について、書籍や各種医療機関のホームページで学んだこと、先日Y医師から聞いたことなどをもとにして、自分なりに理解したことを書いておこうと思う。

重要: ただし、これは、私見であり、私はまったくの素人です。参考にして頂ければ光栄ですが、間違っていることがあるかもしれませんし、偏った見方をしている部分があるかもしれません。必ず各自で専門家に確認した上で、ご自分の判断をしてください。

(1)「皮弁 (flap)」とは何か?

遊離腹直筋皮弁による乳房再建で使用する「皮弁 (flap)」とは、下腹部の皮膚、脂肪、そしてこれらに栄養を運ぶ穿通枝とよばれる下腹壁動脈からなるひと固まりの「肉片」くらいに思ってよいのでは。この穿通枝という細い血管は枝分かれしていて、これをきちんと確保して、移植した先で皮膚や脂肪に血流が確保されるようにしなければならない。このため、穿通枝が付きぬけている腹直筋を一緒に切り取り、移植するのが、従来の方法。この腹直筋をどのくらい切り取るかにより、遊離腹直筋皮弁は4つのタイプに分けられる。

(2)MS-0 から MS-3 までの4タイプがある

穿通枝という動脈をつけた腹直筋を全幅で切り取るのが、MS-0というタイプで、MS-1、MS-2の順に切り取る腹直筋の範囲が少なくなり、全く腹直筋を切り取らないMS-3が、いわゆるDIEP flap である。したがって、Free TRAM flap と、DIEP flap は別の手術式ではなくて、連続性のあるものの異なるタイプ、と考えた方がよい。(このあたりが、なかなかわかりにくい。)MSとは、musle-sparing (筋肉温存)の意味。

(3)MS-2(タイプ2の Free TRAM flap)の目的

MS-2のFree TRAM flapでは、可能な限り多くの穿通枝を皮弁に含めるために、内側の穿通枝と外側の穿通枝の間の筋体のみを皮弁に含める。(1本の動脈が枝分かれして、穿通枝と言われる細い動脈になり、これが内側と外側に分かれている。これを両方確保するため。)

(4)MS-3 (DIEF flap) の目的

MS-3タイプは、筋体をまったく皮弁に含めない。そのためには、メスを使って腹直筋から穿通枝をはく離する。

(5)MS-2の皮弁とMS-3の皮弁を写真で見る

MS-2は、脂肪のかたまりの上に少し濃い赤の細い筋肉が細長くついていて、その中から血管が出ている。血管はだいたい10センチくらいの長さに切られている。切ったあとの体側の血管は結紮(結んで閉じる)する。これに対し、MS-3は、脂肪のかたまりの上に直接血管がついている。これは、そこにあった筋肉をはがしたからである。血管は同様にだいたい10センチくらい。目で見る限り、この2つの皮弁はとてもよく似ている。素人目には、説明されないとわからない。

(6)MS-2(タイプ2の Free TRAM flap)とMS-3 (DIEP flap) の比較

MS-2 (タイプ2の Free TRAM flap) は小範囲とはいえ腹直筋を切り取り、縫合する。これに対し、MS-3 (DIEP flap) は筋肉をはがしてあるので、腹直筋の機能が温存される。(腹壁機能測定をした結果、DIEP flap の方がTRAM flap より有意に優れていた、という論文あり。また、術後の運動機能測定でも、DIEP flap の方がTRAM flap より有意に優れていた、という論文あり。) ←このTRAM flapがどのタイプのTRAM flapを指しているのかは不明。

MS-2は皮弁血行が確実であり、実際に穿通枝とともに採取する筋体も少量であるため、腹直筋の犠牲も少ない(皮弁採取後の腹部膨隆という合併症について、MS-2とDIEP flapの比較で差がない、という論文あり。)

MS-2の方が、MS-3より、多くの穿通枝を含めることが可能であるため、血流の量は多い。そのため、合併症の率はMS-3の方が高い。(皮弁部分壊死や脂肪壊死は、DIEP flap の方がFree TRAM flapより多かった、という論文あり。)

MS-3は腹直筋の運動機能を温存するために肋間神経もはく離温存する必要があり、MS-2より手術が長時間になる。

(7)私の判断

先端的なDIEP flap を行う大病院は増えてきており、また、欧米では「ゴールデン・スタンダード」となっているようだ。しかし、まだ国内では広く普及しているとは言えない。私の主治医も「乳房再建においてすでに確立した手段」である、Free TRAM flap を行っている。このことについて、私なりに調べて、また主治医に尋ねた結果、次のような判断に至った。

Y医師は皮弁血行を確保するためにFree TRAM flap (タイプ2)を選び、切り取る筋体が非常に少ないためその後の運動機能には問題がないと考えており、私もそれを十分に納得した。そのため、私にはDIEP flap を行っている医師を他の病院に求める選択肢はなくなった。

以上、とりあえず、この2つの術式の比較検討と私の結論。私としては、スッキリ、スッキリ。

2009年12月14日 (月)

再建も医療だとわかってほしい

職場の同僚には私の病気のことを知らないが多い。でも、一番近しく仕事をしている女性にはほとんどのことを隠さずに伝えている。その彼女に、次の入院が少し遅れて2月15日手術となった、と言った。

「何日入院?2週間?2週間?」「たぶん入院は2週間くらいだと思うけど、そのあとも回復にはだいぶ時間がかかると思うんだよね。」「……今回は、再建だったっけ。お腹の脂肪を胸に移すんだよね?」「そう、けっこうな大手術らしいんだよね。」「……おなかぺったんこになっていいね。」

彼女の口調には、「この忙しい時に、再建?あなたの仕事、また私がかぶるの?」というニュアンスが含まれていた。私が神経過敏だったのかもしれない。でも、そのように、確かに、聞こえた。

2週間で退院してもすぐに元通りに動けるとは思えない。でも、それを私に言わせない強さが彼女の口調にあった。そのあといくつかの言葉をかわしたが、彼女が私の入院計画に不満を持っているのは明らかに思えた。

再建手術も医療でしょう?「再建は乳がんを受け入れ、治療を乗り切るための精神的支えであり、長期的にはQOLの改善につながる。」と、Y医師は言っていた。でも、理解してもらうのはむずかしいのかもしれない。

むずかしい、再建の説明は。口には出さなくても、余計なこと、と思っている人が多いのだ。失くした胸が戻ってくること、あるいは、戻ってくるかもしれないと思うこと、がどんなに心の支えになってくれるか。これは、胸を失った人にしかわからないの?

今、乳がんでない人に、こういう気持ちをわかってもらうことは、できないのだろうか。今日は、かなり、傷ついた。

がん治療しながら再建を望む気持ち。持っていていいですよね。

形成外科の専門誌で乳房再建を見る

形成外科の医師が購読する、いわば、プロ向けのジャーナルで、乳房再建の写真が満載のものを見つけた。下の写真は最近の号のものだが、表紙は変わらない。

Pepars  PEPARS (ペパーズ)No. 10, 2006年7月

 「乳房再建のコツ‐整容的観点から‐」

 全日本病院出版会

 ISBN4-88117-459-2   (2857円+税)

私が詳しく知りたいと思っていた「遊離TRAM flapによる乳房再建術」と「DIEP flapを用いた乳房再建術」も、論文として発表されており、カラー写真が多く使われている。自分の体がこのように切られるのか、と目が釘付けになる。イラストではどうしてもつかめない実感が、生々しさを持って迫ってくる。どちらかというと目にさわやかな写真ではないので、心臓が弱い方にはお勧めできないが、私はきちんと知っておきたいので、気を強く持って、写真1枚1枚も丁寧に見ている。発刊が約3年前ではあるが、基本は変わっていないと思ってよいのではないだろうか。

「人工乳房による乳房再建」から「乳頭・乳輪再建」まで、乳房再建を網羅した12本の論文が掲載されており、詳しい目次は、全日本病院出版会のホームページで見ることができる。アマゾンでは品切れだったので、医学書専門の高陽堂書店というところから購入した。

手術の仕方をよく知ってから再建に臨みたい方にはお勧めの1冊である。

2009年12月13日 (日)

再建手術日決定!

2010年2月4日に予定していた再建手術が、病棟の都合で遅れることになった。12月10日(木)の外来では、診察室に入り、こんにちはを言う前に、Y医師から「このたびはすみませんでしたねぇ」と一言。2月4日を目指して仕事などの調整を進めていたことをよく理解してくれていて、病院の都合で遅れることを申し訳ないと言ってくれた。

あまり日をおかずに取り組みたいという希望を話し、お互いに手帳をよく見ながら相談した結果、2月15日(月)にあらためて手術日を設定した。術前の検査があるため、12日(金)に入院。13日(土)は外泊してよろしいとのこと。14日(日)夕方に病院に戻り、15日(月)朝からの手術に臨むことになる。

「僕はその日はあなたの手術しか入れてないから」と言うので、「何時間くらいかかりますか?」と聞くと、「6時間くらいかなぁ。」「10時間くらいかかるとも聞いたことがあるのですが?」と聞いてみると「そのくらいかかる可能性もあります」とのこと。なにせ両側であるから、大変そうだ。私は眠っているだけだが、Y医師にとっては大変な仕事量になるのだろう。

年内の外来はこれで終わり、次回は、1月半ばに入院前最後の外来。エキスパンダーに水を足して、手術前にもうひとふんばり、胸の皮膚に伸びてもらおう。このたびの外来で40ccずつ入り、現在は左右とも280ccとなっている。かなり突っ張った感じはあるが、あと少しと思えば耐えられる。

「いよいよだね」とY医師。「わくわくどきどきです」と私。最後にこの半年間お世話になったことへのお礼の気持ちを伝え、「よいお年をお迎えください」と言って、診察室を出た。

入院まであとぴったり9週間。体調に気をつけて過ごして行こう。インフルエンザにかからないように。風邪をひかないように。

あと9週間だ。お腹に大きな傷は残るけれど、あと9週間で、血の通った、暖かい、柔らかい乳房がやってくる。カウントダウンカレンダーでも作りたいほどの気持ちだ。「もういくつ寝るとお正月?」私のお正月は2月15日にやってくる。今年はおおきなお年玉が2つもらえそうだ。子供のように、心が躍る。

2009年12月12日 (土)

形成外科で尋ねたいこと

相性もあるが、何となく話が続きにくい医師がいると思う。信頼しているがゆえに、いろいろ質問し過ぎるのも失礼かと思うときもある。でも、この病気になってわかったのは、本当に一人一人状況が異なり、治療は「お仕着せ」でなく「あつらえ」であり、また患者自身が選択を迫られることも少なくないということだ。それだけに、医師は患者に必要な情報をきちんと提供することが大切だし、患者もまた、自分で情報を集める努力をすることが必要だと思う。

私の形成外科主治医Y医師は、それほど言葉の多い人ではないが、こちらからの質問には丁寧にいくらでも答えてくれる。そして必ず「もう質問はないですか」と聞いてくれる。録音機を持参してやりとりを記録するのも全くいやがらない。それだけに、知りたいことをきちんとメモにして準備し、聞きもらしのないようにしたい。

12月10日、1か月ぶりの外来受診。わからないところをはっきりさせたくて、事前にかなり詳しくネットを調べ、何冊か本も新たに購入した。質問事項をメモにして、それを見ながら質問した。

Y医師は明快に説明してくれ、たまっていたモヤモヤをすっかりきれいにすることができた。再建手術への恐怖感もかなり薄れ、Y医師への信頼感も200%アップした。

私が知りたかったのは、主に以下の2点。

(1)Free TRAM flap (遊離横行腹直筋皮弁) とDIEP flap (深下腹壁動脈穿通枝皮弁) の違い
(2)Free TRAM flap (遊離横行腹直筋皮弁) の具体的な手術の手順

(1)については、この2つの術式のコンセプトには大きな違いがなさそうだと思っていたが、自分が受ける術式がどのようなものなのかをきちんと確認しておきたかった。色々な病院のホームページでも、書籍でも、この二つがどのくらい劇的に異なるのか、あるいは、一方が他方より明らかに優れた術式なのか、そのあたりが、どうしてもはっきりしなかった。それがわかった。

(2)については、アメリカの医療機関のホームページにアップされているビデオなどを見ても、よくわからないところが多かった。私は両側なので、一方を手術している間、もう一方はどうなっているのだろうか、とか、単純だけれども聞いておきたいことがいろいろあった。それが、かなりイメージできるようになった。

以上の2点については順次、ここに書き込んで、忘れないようにしておきたい。

2009年12月11日 (金)

ホットフラッシュには羽毛ふとんが良いのでは…?

ホルモン治療を始めて1か月たったころから、ホットフラッシュに悩み始めた。私の場合、特に睡眠中がひどく、約2時間おきに暑くて目が覚める。たいていの場合、両腕の肘の内側に流れるように汗をかいている。また、首筋やみぞおちなども汗だらけである。そのたびに起き上がり、手元に置いたタオルでふき、トイレに行って、寝なおす。これを2,3回繰り返して朝が来る状況だった。寝た気がしない朝もある。

治療が始まってから、タオルケット、厚地のふっくらしたアクリル毛布、そしてごく薄い掛けふとんを使っていた。眠りにつくときにはこれで問題ないのだが、途中でホットフラッシュで目が覚め、不快になる。

ある日、寒くなってきたので、毛布と掛けふとんの代わりに、羽毛ふとんを使ってみた。それ以降、かなり調子がいい。もちろんホットフラッシュになり、汗もかくのだが、不快感が少なく、ふとんを蹴とばさずに眠っている。昨夜は途中で目覚めたが、そのまま寝付くことができ、4時間ほど連続して眠ることができた。そうなると、日中も調子が良い気がする。

「日本羽毛製品協同組合」のホームページによると、羽毛は吸湿性・放湿性に富むため、人体から出る汗を吸収し発散を繰り返し、他のふとんに比べ蒸れを感じず、さわやかだと書いてあった。なるほど、「さわやかな暖かさ」は、冬のホットフラッシュ対策としては、良いものかもしれない。

羽毛ふとんの本当の良さを知るためには、タオルケットも使わず、羽毛ふとん1枚だけで眠ること、と、以前、友人に言われたことがあるが、ホットフラッシュで汗をかくので、洗濯しやすいタオルケットは必要だ。使っている羽毛ふとんは何年か前にケーブルテレビのショッピングチャンネルで購入した、ごく普通の品物。薄手のふとんと厚手のふとんの2枚組で、スナップで着脱でき、薄手→厚手→2枚重ね、と、暖かさの調節がきき、真夏以外は重宝している。

調子が悪いとどうしても薬に頼りたくなってしまうが、毎日の工夫で少しでもホットフラッシュの不快感を軽減したい。羽毛のありがたさを実感している今日この頃である。

2009年12月10日 (木)

ネットで見られる再建写真・ビデオの一例

まったく未知の領域である乳房再建について、いろいろな方のブログで、写真が紹介されているのは、これから再建に取り組もうという私たちにとって、心強いかぎりだ。

それとは別に、病院、医師、医療団体などの専門家のホームページで乳房再建の写真やビデオが公開されているのは、患者のブログとは異なった意味で、大変にありがたい。

日本の医療機関のホームページにもいろいろと写真が載っているが、今まで乳房再建の本場アメリカのホームページを検索したことが一度もないことに気づき、勇気を出して検索してみた。美しい裸の女性が胸だけを隠している写真をトップページに載せた大病院の形成外科のホームページなどを見ると強い違和感を感じるが、それをがまんしてあちこちクリックしてみると、いろいろな写真やビデオを見ることができる。

英語を読まなくても、写真やビデオを見るだけで、もっともイメージしにくい再建のプロセスがなんとなくわかる気がした。

○アメリカの国立医学図書館と国立衛生研究所が共同で運営しているサイト Mediline Plus 『メディラインプラス』の『乳房再建 (Breast Reconstruction)』ページ。Pictures and photographs (図と写真)という見出しの下に、ビデオや再建の写真が掲載されている。とくに、ビデオは1時間番組が何本か掲載されている。手術の動画も出てくる。

○アメリカの非営利団体メイヨークリニックのサイト Mayo Clinic.com 『メイヨークリニックドットコム』の『皮弁手術による乳房再建 (Breast reconstruction with flap surgery)』ページ。有茎皮弁と遊離皮弁が図で説明されている。

○アメリカのNBCとiVillegeによるサイト Your Total Health 『ユアトータルヘルス』の『Breast Reconstruction(乳房再建)』ページ。短時間であっさりした内容だが、コンピュータグラフィックスを用いての説明がわかりやすい。

上記のような、医療機関が使っている英語には専門語が多い。アルク社のサイト『スペースアルク』が役に立った。トップページに「英辞郎」というオンライン辞書があり、無料であり、かつ、医療英語を含め非常に多くの語の意味と用例が出ている。

2009年12月 9日 (水)

両側乳がん全摘手術後6か月

12月9日(水)

2009年6月9日(火)に両側乳がんの全摘手術を受けて、ちょうど6か月が経った。

3月末に地元の自治体の無料マンモグラフィー検診で疑わしいとされ、紹介された病院の初診が4月13日(月)。D医師との出会い。私にとっては、この日が「告知」の日だった。5月末のセンチネルリンパ生検入院を経て、6月9日(火)に両側乳がんの全摘手術を受けた。

朝の手術前の緊張感。あのときの気持ちをはっきりと思い出して、胸がいっぱいになる。

告知からは早や8か月。手術から半年。ありがたいことに、職場復帰もでき、入院前と仕事量は大きく変わっていない。

右は非浸潤(ステージ0、6センチ)だったため、大きながんではあったが、転移の心配はないと言われた。左は浸潤(ステージ1と2の境界、2センチ)であったが、センチネルリンパ生検と全摘後の病理検査、ともに、リンパ管への侵入は認めない、という所見だった。温存でなく全摘を選択したため、放射線治療はなく、また、現時点で抗がん剤治療の必要を認めない、ということで、抗がん剤も使っていない。ホルモン受容性がポジティブであったため、現在はホルモン治療のみを行っている。再発リスクを下げるため、これが5年から7年続くと言われている。

ホットフラッシュ、目のかすみ、手のこわばり、だるさ、などいろいろな副作用ははっきりと出ているが、同じ病気でもっともっと苦しい思いをし、つらい治療に取り組んでいる方々がたくさんいらっしゃる。ホルモン治療しながら再建に取り組める、という自分の状況をありがたく思い、感謝の気持ちを強く持って頑張って行きたい。

明日から7か月に入る。落ち込まないように、また、頑張って行こう。

私を気遣い、朝も夕も変わらず優しくしてくれる母と妹に、ありがとう。ぶれない治療方針で冷静にしかし熱心にかかわってくれる乳腺外科D医師に、ありがとう。ときにくじけそうになる私の気持ちを気遣いながら治療を提案してくれる形成外科Y医師に、ありがとう。そして、強く暖かく私を包み、支え続けてくれているパートナーT氏に、ありがとう。みなさんのおかげで今、私はくじけずに病気に向かっていくことができています。みなさんのおかげです。心から、強く、そう思っています。

そして、このようにつたないブログを読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます。がん治療と、再建に、まじめに取り組んでいきます。今後も、ときどきこのブログにいらしていただければ、ありがたく存じます。

2009年12月 8日 (火)

自家組織手術のリスク

自家組織の手術で最も恐ろしいのが、つないだ血管が詰まることだ。これは何度もY医師から言われている。

腹部の脂肪を、血管(静脈と動脈)とともに取り出し、これを胸部の静脈と動脈につなぐ。私の場合、胸部の血管を出すために、ろっ骨の間の軟骨を少し切り取るとY医師は言っていた。

この血管吻合手術で、血管がつまるのは、ほとんど術後24時間以内だそうだ。Y医師は、先月の外来で、「夜に血管がつまったら、医師がかけつけてすぐに緊急手術ができる。でも、朝につまったら、その日の手術室はすでに他の手術でいっぱいになっているので、対応が大変だ」とも言っていた。

Y医師によると、私がお世話になっている形成外科での乳房再建は、シリコンインプラントと自家組織が約半数ずつで、シリコンの方がやや多い。自家組織の場合ほとんどが腹部で、術後に問題が起きたのは、約5%。

「血管が詰まらないことが大切なんですよね」と言った時に、Y医師は「詰まらないようにしますよ」と明るい顔で言っていた。それはもちろんその通りなのだが、これだけのリスクをかかえていくのだということはきちんと意識しなければならない。

以前、全摘手術前にY医師に話を聞いた時、放射線治療をせずエキスパンダーを入れた場合の、感染率は3%と言われた(放射線治療後だと、感染率は若干上がるらしい)。とても低い確率ではあるが、私はその3%に入ってしまい、感染してエキスパンダーを取り出した。その上さらに再建手術で不都合が起きる5%の確率に私がひっかかかるのは、3%×5%=0.15%かな。エキスパンダーと自家組織手術の両方で不具合が起きるのは1000人に1.5人?あまり論理的でない気がするが、数字の上からは、とても少ないことは確か。

信じるしかない。うまくいくだろう。きっとうまくいく。

2009年12月 7日 (月)

再建時期と方法を決める

来年2月に再建手術を受けると決まっているのに、内心ではまだ時期と方法についてぐずぐずと迷っていた。自分の判断が良いものかという自信が持てていなかった。

・再建手術の時期について。

2月4日手術の予定が、病院のリニューアル工事のため10日以上遅れることがつい先日わかった。回復の時間を考えると、仕事を休むことのできるぎりぎりの時期のような感じがする。さらに、パートナーT氏が、仕事で2月半ばから月末にかけて、昼も夜もないほどに忙しくなることがわかった。おそらく病院の面会時間に来てくれることもほとんどできないだろう。…心細いことばかりである。

新年度が始まる4月以降は仕事を休めないので、いっそ手術を1年以上延期して、来年度末(2011年2月)まで待とうかとも考えた。エキスパンダーを1年半入れておくことになるが、Y医師によると、エキスパンダーは2年くらいは問題なく入れておくことができるそうだ。

それにしても、再来年2月まで再建を待つのは…時間がかかりすぎる。やはり、予定はあまり変更せずに行こうと今日決めた。

・手術の方法について。

Y医師は、筋肉をつけた腹部の脂肪をお腹をくぐらせて胸に移植する pedicled TRAM flap(有茎腹直筋皮弁)でなく、腹直筋の切開は最小限にして血管を切り離し、脂肪とともに胸に移植し、胸の血管とつなぎ合わせる free TRAM flap(遊離横行腹直筋皮弁)で手術しましょう、と提案してくれている。フルタイムの仕事を持ち、さらに立ちっぱなしで仕事することも多い私の状況を考え、腹直筋をなるべく傷つけないことを提案してくれているのだと思う。

最近よく話題になる Free DIEP flap(遊離深下腹壁動脈穿通枝皮弁)は筋肉を完全に残すものらしいが、これは、Y医師は行っていないようだ。

これに対し、親しい友人でもある整骨院院長は、腹部を大きく横に切ることに心配をしてくれている。彼は術後のリハビリを考えると、胸がきれいになったとしても、お腹の皮膚が十分に伸びないなどのデメリットが出てくるのではないかと心配してくれている。シリコンの方がQOLには良いのではないかと…。先日いろいろ彼に言われて、かなりへこんでしまった。調べてみると、お腹の自由度や力にあまり問題は出ないようだが、これは、今週のY医師との外来できちんと聞いてみたいと思っている。

自家組織でない選択はもちろんある(シリコンインプラント)が、このようにいくつかの選択がある中で、自分の意志で、妥協せずに決めて、後悔しないようにしたいと考えた。今日はパートナーT氏と長時間話した。私は彼にも喜んでもらえる再建をしたいと思っているが、彼に聞くと、私が満足する再建が彼にとってもうれしいと言う。やはり、自分の希望に最も近いと考えられる遊離皮弁にチャレンジしてみようと思う。

難しい決断だが、来年2月、遊離皮弁、これで行こうと思う。ここに書きつけて、気持ちを前向きに固めたい。

2009年12月 6日 (日)

自分のブログを読んで泣く

両側乳がん全摘手術から、もうすぐ6か月。

はじめの2か月はブログを書いていたが、7月末から11月末までの4か月、ブログはもうやめようと思い、書かずにいた。それが、思い直して書き始めて2週間余り。

ブログを書くことで病気への意識が高まり、忘れていたことを思い出すことがよくある。先日は、手術前のブログをなんとなく読み返し、あのころの揺れ動く気持ちをはっきりと思いだして、涙があふれてしまった。

人間は忘れる動物だから、生きていける。すべてを昨日のことのように覚えていたら、打ちのめされてしまう、とどこかで読んだ。あのときの気持ちを少しずつ忘れているからこそ、前向きにがん治療に、再建に、取り組んでいけるのだろう。

この半年、いろいろなことを通り抜けてきたと思う。今、私は多少弱ったからだと、大きな胸の傷をかかえながら、毎日薬を飲み、副作用に少しへこたれながらも、ふんばって生きている。この半年という短い間に乗り越えてきたことの大きさを思うと、ここは、少し自分をほめてやってもいいかな、と考える。私よりもっと苦しい思いをしていらっしゃる同病の方のふんばりを考えると、私もあやかって、がんばりたい。

2009年12月 5日 (土)

再建手術延期…

夜10時を過ぎたころ、自宅に、形成外科主治医Y医師から電話がかかってきた。

2月4日(木)に予定されている再建手術を遅らせることは可能か、ということだった。理由は、①ちょうど2月の第1週に病棟のリニューアル作業があり、ばたばたしていること、②Y医師がその週末に1泊での出張となり、術後の経過を1日だけ見ることができなくなる、ということだった。

ばたばたしている病棟で、Y医師のいないところで、血管が詰まったりしたら、とんでもないことになるので、一も二もなく、手術延期に同意した。

形成外科の手術日は月曜日と木曜日。いつになれば、病棟のばたばたがおさまるのか。1週間延期すると、2月11日(木)は祝日だから、手術はできない。2週間延期すると2月18日(木)。

「順調にいって、何も起きなくて、10日で退院できます」と言われたが、前回の入院(9月)のときは最初に言われた日数より3日延びた。今回も2週間は覚悟しておいた方がよさそうだ。そうすると退院が3月にずれ込む可能性が出てきた。

「12月10日の外来のときに、2月15日(月)か18日(木)のどちらかに決めてきてください。僕は両方空けておきますから。」とのこと。

2月はじめがもっとも仕事が休みやすいと考えて手術日を調整したのだが、新年度準備の忙しい時期にずれこんでいきそうな気配だ。なかなかすんなり行かないものだ。上司とまた相談しなおさなくては。何か言われないだろうか。不安の虫が活動を始める。背中が丸くなる。頭が下を向く。悪循環。

でも体が大事。私が安心して手術を受けられるように考えて電話してきてくれるY医師に感謝。いつも午前8時には病院に来ている先生。まだ病院にいらしたのだなぁ、と思うと、なおさら、感謝。

2009年12月 4日 (金)

どんな再建を望むのか

乳がんになって初めて「乳房再建」を知った。それまでそういう言葉があることも知らなかった。周囲に乳がんをわずらった人はいたが、失った乳房をどうするのかを語り合うほど親しくはなかった。親戚には誰もいなかった。そもそも父方を見回しても、母方を見回しても、がん患者はほぼ皆無である。

そんな中で「流れ弾に当たった」かのように乳がんにかかった。自宅に近いからという理由で通い始めた病院が、乳腺外科と形成外科の連携が良く、一期再建を基本とする乳房再建について、患者に積極的に情報提供していた。「再建」を私に切り出したのは、乳腺外科の主治医D医師だった。告知から全摘手術までの短期間に、失った乳房を形成する医学についてインターネットや書籍を手当たり次第調べた。

私はとても幸運だったと思う。乳腺外科の主治医D医師が院内紹介してくれた形成外科のY医師は、失われた胸を形成することにより、それ以降のがん治療に積極的に取り組む気持ちを支援するという立場をとっていた。

現在は、がんの治療を受けながら、再建にむけて準備をしている。エキスパンダーで胸の皮膚を伸ばし、そのあとにシリコンインプラントでも、自家組織でも入れることができるように準備している。

この、シリコンにするか、自家組織にするか、という選択が非常に難しい。一方が他方より絶対的に良いということではなく、患者のライフスタイルや考え方により、選択が変わってくる。シリコンはからだにとっては異種なものだが、全摘時の傷あとから挿入することができ、からだの不要な部分に傷をつけることはない。自家組織による再建は、基本的にはからだの他の部分(腹部など)を大きく切って、そこから脂肪を取り出し、胸に移植する方法だ。これには、誠にいろいろな方法があり、一言では言い尽くせない。再建を望んでいる私にもよくわからないことだらけだ。

再建をされた方のブログもたくさんあるが、自分が同様にうまくいくという保証もない。私はすでにエキスパンダー挿入の段階で一度躓いている。シリコンインプラントにしても、自家組織にしても、メリットとデメリットをよく把握して、からだへの負担(たとえば、自家組織再建での腹部の大きな傷)と、QOLと、胸の見栄えと、自分の気持ち(満足感)とを比べ合わせて決めて行かなければならない。また、そのための情報をきちんと集めなければならない。

私は右乳房は全摘以外の選択肢はなかったが、左乳房は希望すれば温存も可能な状況だった。しかし、温存して放射線治療をする選択肢より、全摘して左右をそろえて再建することを選択した。それが乳がん治療での最初の大きな決断だった。

今度は再建の仕方について大きな選択をすることが必要になっている。形成外科のY医師との間では、すでにかなり前から「腹部からの自家組織(遊離皮弁)で」という話になっており、自分でもある程度納得してはいる。しかし、本当にこれでよいのか、シリコンの方がからだに負担がかからないのではないか、という不安感に定期的に苛まれる。胸の方は、自分の脂肪で作るので柔らかく自然な胸ができるらしい。しかし、お腹を横に長く切って、大丈夫なのだろうか、胸がきれいになっても、お腹がつらくなってしまったら、仕事に差し支えるのではないだろうか、という不安も出てくる。そもそも、本当にきれいな胸になるのか、という疑問さえ浮かんでくる。

こればかりは、個体差があるので、「私は大丈夫だったからあなたも大丈夫」と言ったシンプルな話にはならないと思う。

再建手術まであとちょうど2か月。気持ちはまだまだ揺れている。

2009年12月 3日 (木)

毎日新聞が「センチネルリンパ生検」を紹介

12月2日(水)付毎日新聞朝刊で、センチネルリンパ生検の紹介がされている。

私が5月にこれを受けたときにはまだ治験段階で、私たちがデータを提供することで、認可への基礎作りがなされるのだと説明され、「実験に参加する」という同意書のようなものに何枚もサインした。これが、9月に『安全性と有効性が確認され、正式に使用できるようになった』というもの。自分が乳がんになって半年の間に、ものごとは確実に動いている。(←2009年5月21日のエントリー参照)

乳がんが疑われる患者の初診を行い、告知し、治療計画を患者一人一人のために立て、検査し、手術し、治療し、その間に、こうしてがん患者のための有効な検査手段や治療手段のデータ収集、検証を行う。論文を書き、発表する。医師の努力に素直に頭が下がる。私がお世話になった乳腺外科医師の方々、研修医の若者たち、みな、病院に住み込んでいるのかと思うほど、いつも、病院にいた。

私はセンチネルリンパ生検で右1個、左4個のリンパ節を取り出し、病理の結果、リンパ節郭清は不要と判断された。おかげで、今でも注意はしているが、問題となるようなリンパ浮腫は起きていない。先進医療として、保険外の料金を払ったが、その価値はあった。これが保険医療となれば、その恩恵はさらに広がる。(←2009年5月24日のエントリー参照)

センチネルリンパ生検が保険医療として受けられるときが早く来ることを強く願う。そして、医師、看護師、検査技師の方々が元気で、意欲を失わず、がん治療に立ち向かい続けていけるような環境が整うことも強く願っている。

2009年12月 2日 (水)

体がついていかないとき

病気のせいにはしたくない。でも、体がついていかないことが多くなってきた。

病気をかかえながら職場復帰している方々は、みな同じような思いをされているのだろう。

仕事を怠けているように見えるのでは。人に仕事を押しつけて自分が楽をしようとしているように見えるのでは。

自意識過剰だ。自分がいやになる。

心と体が折れそうになる。だんだん内向きになっていく。

胸が痛くて背中を丸める。頭が下がる。視線が下向きになる。気持ちが沈む。悪循環。胸を張って、上を向けば、気持ちも上向くのか。

胸を張ると、胸が痛む。痛くても、がんばって胸を張りたい。明日は少し、やわらぐかも。

2009年12月 1日 (火)

一人の友人に打ち明けた

今日は同年代の女友達に病気を打ち明けた。仕事を通して知り合った人で、いつか話そうと思っていたが、なかなか機会がなかった。

とても驚いていた。「姉さん(彼女は私をこう呼ぶ)、やせたとは思っていたけど、年齢的なものなのかと思っていたよ。疲れているのかとは思っていたけど、病気だったんだね。仕事もよく頑張って続けているね。もう少し、自分を甘やかしなさいね。」と優しい言葉をかけてくれた。

さらに、彼女には、中学校時代からの仲良し女4人組の友人がいたが、そのうち、がんになっていないのは彼女だけだと教えてくれた。その4人組のうち、ひとり(私も一度だけご一緒したことがある)は、すい臓がんで昨年亡くなっている。また、それ以外にも乳がんの知り合いも2人いて、その2人とも30歳そこそこで発症したが、術後10数年経って、今でも元気にしていると、励ましてくれた。

「本当にがんの人が多いね。」と一緒にためいきをついた。「私、ちょっと動揺した…。」と言いながら、車で家の前まで送ってくれ、またゆっくり会おうと約束して別れた。

言ってよかった。この2週間ほど、気持ちの浮き沈みが大きく、心がささくれ立つような感じがすることもあったが、今日は彼女と話すことで少し楽になった。病気のことが心から離れることがない。仕方がないとは思うが、もう少し楽な気持ちを持てるように工夫しないと、まいってしまいそうだ。

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