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2009年11月

2009年11月30日 (月)

再建胸の皮膚感覚

全摘をして、さらに再建をして、胸部の皮膚感覚がどうなるのだろうということははじめからとても心配だった。

皮膚の下をすべてこそげとってしまうわけだから、当然神経が切れ、感覚がなくなる。しかし、時間がたつと、胸部の上下から少しずつ神経が伸びてきて、感覚が少しずつ戻ってくるようだ、ということを形成外科の主治医Y医師から聞いた。(←2009年5月12日のエントリー参照)

乳頭乳輪も取ってしまうわけだから、性的な感覚もなくなってしまうが、病気治療には代えられない。

全摘手術からほぼ半年。現在の状況は、左右乳房の中心部分はまだ残念ながら感覚がないが、上部、下部は少しずつ感覚が戻ってきている!特に、下の方はかなりわかる。上部はちょうど傷あとのあたりだが、そのあたりもかなりわかる。全摘直後の状況とはまったく違う。あのころは、触っても全くわからなかった。歯医者での麻酔のあとのほっぺたのような感じだった。それに比べると、今の状況は大きな進歩だと思う。

Y医師の話では、2月の再建手術のあと、また少し感覚がなくなるかもしれないが、それも時間の経過とともに戻ってくる、とのこと。その過程で不快な感じを持つ人が多いということも聞いた。

最近、胸の周りにかゆみを感じることがある。かゆいなぁ、と思って、それから、「!」 …かゆいということは、感覚があることだ、と、うれしくなる。パートナーT氏に触ってもらっても、だんだんわかるようになるのではないかと思うと、楽しみだ。

乳頭乳輪の再建もあるが、それは、本体(!)が首尾よく行ってからのこと。少しずつ、あせらずに取り組んでいきたい。

2009年11月29日 (日)

11月末の再建胸…エキスパンダー拡張中

11月28日時点での状況

ことばで説明してもなかなか難しいので、思い切って写真をアップすることにした。下の小さいサムネイル画像をクリックすると別ウィンドウで大きめの画像が開くので、ご参考まで。

向かって左側が、6月9日に2009_11_28エキスパンダー挿入後問題なく進んでいる右乳房。少し外側がとがっているように見えるのは、その下に水を注入する際のポートがあるため。本来はわきの下にあるはずだが、動いてしまった。形成外科医は気にしていなかった。エキスパンダー全体がやや下に下がってきている。傷あとは、外側はやや色がついているが、からだの中心に向かって、きれいになってきている。

向って右側が、感染してエキスパンダー再挿入を受けた、問題の左乳房。傷跡が赤くケロイド状になっている。からだの中心部に近い所に少し黒い点のようなものがあるが、これが、感染の源となった部分。右乳房に比べるとまだ皮膚が硬く、位置も上にある。

現時点で、左右それぞれに240ccずつの水が入っている。ちなみに、左のわきの下に1本見える傷はセンチネルリンパ生検の傷あと。5月の末だったのでもう半年も前になる。傷はずいぶんきれいになったが、腱が短くなってしまったので、腕は伸びきらない。

エキスパンダーが入っていることは常に意識する。からだの動作に従って体内で動くのがわかる。最も大変だと思うのが、①重いドアを引いて開けること、②壁のコンセントに電化製品のプラグを差し込むこと、③お風呂掃除(バスタブをこすること)、④硬いものを包丁で切ること。

まだ全然できないのが、電車やバスの吊革につかまること。電車やバスでは入口近くのつかまり棒を確保することが大事。

それでも、以前と比べるとずいぶん慣れてきた。エキスパンダーは弱いものではなく、横を向いて寝ても大丈夫だし(うつぶせはだめだが)、人とハグもできる。あと何回か水を足して、2月の再建手術に臨むことになる。

気持ちを強く持って、頑張ります。見よい写真ではありませんが、参考にして頂ければ、幸いです。

2009年11月28日 (土)

乳がんになる前にうつだった

2009年4月に両側乳がんの宣告を受けた。

それから約2年前の2007年3月、私は職場で突然いじめを受け始めた。同年11月、1週間仕事を休んだ。朝起きて出られない。1日寝込んでいた。これを1週間続けた時、私は変だ、と思った。もともととても明るい性格で(と思っている)、自分が心療内科に行くことを想像したこともなかったが、ネットで自宅から近い心療内科を探し、そのホームページを見て、クリニックの概要を知り、自分から受診しに行った。それから2008年11月までの1年間、最初は坑うつ剤と精神安定剤、のちに症状が安定してからは精神安定剤のみを服用していた。

日本労働弁護団にも電話した。

仕事はほとんど休まず、頑張った。時間が経つにつれて、いじめはだんだんおさまって行った。私を守ってくれる上司や同僚が増えていき、いじめられていた部署から異動させてもらい、職場の中に「いじめられる方に落ち度があったから、いじめられているのだ」ではなくて、「彼女に落ち度はない、いじめた方が悪い」という雰囲気ができてきた。

2週間ごとの受診と薬の服用を1年近く続け、減薬も首尾よく進み、薬がなくなり、受診だけとなった2008年11月に、デートに行きたくて、クリニックの予約をキャンセルした。そのとき、そろそろ大丈夫かな、と思った。それ以降、一度もクリニックへは行っていない。薬も飲んでいない。

「乳がんの発症」と「いじめ・うつ」に直接関係はないのだろうが、まったく無関係でもないと思う。いじめられていた1年間、私の免疫力はおそらく大きく下がっていただろうと思うから。

今は、乳がんであることにへこまず、ホルモン治療の副作用にへこまず、職場でいじめの張本人(とその取り巻き合計5名程度)にはなるべく会わないようにし、楽しいことを考えて、免疫力を保つことを考えて、基礎体力をつけていきたいと思っている。心と体の両方の基礎体力を。

いじめられている人、負けないで。免疫力を下げないで。がんばって。そして、いい心療内科医とめぐりあって。私は、幸運なことに、受診した先生との相性がとても良かった。40分も泣きながら話す私の言葉をじっくりと聞いてくれ、読み物を薦めてくれ、音楽を薦めてくれ、呼吸の仕方を教えてくれ、仕事の心配をしてくれた。

この1年間の心療内科での経験が、今の「乳がんと折り合っていく暮らし」にヒントを与えてくれていることは間違いないだろう。もう少し、落ち着いたら、お土産話をたくさん持って、この心療内科医を訪ねたいと思っている。きっと、びっくりするだろうなぁ。

2009年11月27日 (金)

職場の乳がん検診

今の職場に来て7年目。今年から、女子のマンモグラフィーが職場の健康診断に入った(希望者のみ)。11月が私の職場では健康診断の季節。女子が集まるとどこかでマンモの話題となる。

「痛いよね~」、「すごいよね~」、「でもあれでも見つからないのがあるらしいですよね~、エコーしないとだめらしいですよ」、「あれれっ、マンモの受診票、健康診断の受診票に同封されてましたっけ?」

いいなぁ。この人たちにはおっぱいついてるんだよね。はさんだら痛いって。でも、日本では女性の20人に1人が乳がんにかかるんだから。うちの職場では、確率としては○人が乳がんになってもおかしくないわけだ。でも、お互いに「私、乳がんです」って言っている人、聞かないなぁ。私だって言ってない。

私が言わないのは、言った後の周囲のリアクションが怖いから。直属の上司や人事課や、もっとも近い同僚には言ってあるが、それ以外の人には言う必要はないと思っている、一緒に仕事をしていく上で。とりあえず、今のところは。

言ってしまいたいと思うことは時々ある。とくに、つらい時に。でも、今は言わない。

「私昨年のマンモでひっかかって~経過観察中なんだよね~」、「大変だね~」

なんだか、現実味のない会話をしている女子が多い。なるべく会話に巻き込まれないように、その場から立ち去る方法を考える。おかしいな、こそこそする必要なんて全然ないのに、と思いつつ。

2009年11月26日 (木)

エキスパンダーに水を入れて胸を大きくする

11月25日時点でのこと。

これまでにエキスパンダーに入れた水の履歴(水の量は累積)。

6月29日全摘手術後退院時:右200cc、左0cc

9月9日左エキスパンダー再挿入手術退院時:右200cc、左160cc

9月14日右200cc、左180cc(20cc注入)

10月3日右200cc、左200cc(20cc注入)

10月15日右220cc(20cc注入)、左220cc(20cc注入)

11月12日右240cc(20cc注入)、左240cc(20cc注入)

10月3日に左右が同じ量となった。でも右は同時再建なので、皮膚も柔らかく、よく伸びている。水を入れるポートがずいぶん前に移動してしまっている。左ははじめのうちは皮膚が固く、赤みが強かった。最近だいぶ伸びてきているが、まだ右とはかなり違う。毎日入浴して、きちんとバスタブにつかって胸の周りを触り、皮膚が少しでも伸びるように軽くさするようにしている。これをするとしないとではずいぶんと違うらしい。それまで、毎日シャワーを浴びてはいたがバスタブにつかることがあまりなかったので、努力して寝る前にお風呂に入るようにしている。

9月14日の形成外科での外来で許可を得てから、通販で購入したノンワイヤーのブラジャーをしている。エキスパンダーが脇に流れてしまうのを止める意味もある。ブラをして、それから、カップ付きのキャミソール(左の「お買いもの」で紹介しているtotokaの製品を愛用)を身につけると、立派な胸が出来上がる。外から見ると人工の胸だとはわからないと思う。服を買いに行っても、試着もできる。(下着のショッピングはまだできないが。)現在の段階で、たぶん、Bカップ強くらいの大きさではないかと思う。11月25日現在、左右にそれぞれ240cc入っていることになる。料理用のカップで量ると1.5カップ弱。

全摘の傷あとは大きい。特に、左はすでに同じところを3回切っているので(全摘、エキスパンダー取り出し、エキスパンダー再挿入)、縫い目が赤くケロイド状になっている。右は1回しか切っていないので比較にならないくらいきれい。ケロイド状のところは、形成外科で整えることができるらしい。

2009年11月25日 (水)

傷あとが痛むとき

11月24日のこと。

基本的に、いつも胸が痛い。6月に退院した頃は、涙を流しながら眠ったこともあるくらい。鎮痛剤を飲み、睡眠導入剤を飲んで寝た。

有刺鉄線に脇腹がひっかかったみたい。胸のなかに木箱が入っているみたい。胸のなかに鳥かごが入っているみたい。ほそびきの縄で締めあげられているみたい。…いろいろと形容しては医師や看護師に訴えたりしていた。でも、これは、いくら形容してみても、周囲の人にはわかってもらえない痛みだと思う。

両側全摘のため傷も長く、私の場合、左右の乳頭(があったところ)の上部をほぼ一直線に横切っているので、いろいろなところが引っ張られている感じがする。そんな痛みも、不思議なもので、痛いなりに、それを意識の外に追いやることができるようになってきた。ふっと気づくといつも痛い。でも、何かを考えたり、ショッピングしているときなど、しばらく忘れていられるようになってきた。その、忘れていられる時間が少しずつ長くなってきたような気がする。

人間て、本当にたいしたものだと思っていた。

この1週間ほど、今までと違う痛みが出てきた。左右の乳房(があったところ)の中央、みぞおちのあたりが痛む。鏡に映してみると、左の傷痕の先端部に近い。ぐっと押されるような痛み。最初は気のせいかと思っていたが、気のせいではない。仕事をしながら無意識に触ってしまう。

乳がんの手術では、表面の皮膚はかなり薄くなる。皮膚の裏面をどのくらい薄く削るかは、乳腺外科のそれぞれの病院の考えがあるらしい。再建をする形成外科の立場からは少しでも皮膚が厚く残っていれば仕事がしやすいらしいが、薄くまで削ったほうががんの取り残しが少なくなるという意識が乳腺外科にはあるらしいとも聞いた。当然、神経は切れてしまっているが、これが、徐々に乳房(があったところ)の上や下から伸びてきて、だんだん感覚が戻ると言われていた。それは、実際にその通りで、はじめのうちは触られても全く無感覚だった胸が、かゆみを感じたり、触ったときになんとなくわかるようになってきていた。形成外科の主治医からは、神経が伸びるときに、非常に不快な経験をする人が多くいるようだよ、と言われていた。この痛みもそういった前向きな出来事の過程にあるのなら、なんの文句もない。

それにしても、痛い。今日は、打ち合わせ中に上司から「具合が悪いのですか」と聞かれてしまった。同僚からも同じように聞かれた。痛いと思っている様子が周囲にわかってしまうのか。

痛みは体だけでなく気持ちも疲弊させる。この痛みにも慣れるときが来るのか。できればなるべく早く来てほしい。再建したらこういう痛みもやわらぐのだろうか。再建が終わっても痛みは続くのだろうか。

2009年11月24日 (火)

エキスパンダー再挿入手術

6月9日に左右乳房全摘手術を受け、「同時再建」として、まず、胸の皮膚を伸ばすための、エキスパンダー挿入手術を同時に受けた。

その結果、左側のエキスパンダーに感染が起こり、6月19日に再手術でエキスパンダーを取り出してしまった。左胸が平坦で、右胸に200ccの水が入ったエキスパンダーが入った状態で、退院した。

左胸の皮下に感染のポケットのようなものがあり、ここから膿が少しずつ出続けた。9月3日に再挿入手術を行うという日程が決まってからもこの化膿が続き、入院当日(手術前日)の2日、患部の切開と皮膚の除去が行われた。

9月3日の再挿入手術は、左側のみ、「2期再建」となる。すべてを主治医に任せて、滞りなく終了した。ドレインの量がしっかり減るまで慎重に経過観察をしていただき、1週間後の9日に退院した。

退院前日、左のエキスパンダーに水を足す処置を受けた。左の皮膚は固くなっていて、ようやくエキスパンダーで内側からぷっくりと持ち上げられているという感じ。そこに水が入ってエキスパンダーが膨らむと、とても苦しくなる。ベッドで処置を受けているときは平気だが、立ち上がると痛みが感じられる。

それでも、胸が膨らんで、幸福感を感じた。処置を終えて、形成外科の診察室から病棟に戻る間に、ぽろぽろと涙が出てきてしまった。

再建をすることの心へのポジティブな影響はとても大きい。形成外科では、胸を作ってくれる、だけでなく、これからのがん治療への前向きな心構えも作ってくれるような気がする。

こうやって、全摘後の再建への再スタートを、9月にようやく切ることができた。

2009年11月23日 (月)

ホットフラッシュと体温上昇

ホットフラッシュというものについて、知識としては知っていたが、自分に起こってみると、予想以上に不快である。何の前触れもなく、かあっとからだの内側から熱が出てくる感じ。じわじわと汗もかく。昼間も仕事中などに急にからだが熱を持つ。睡眠中は、約2時間おきに暑さのあまりに目をさます。肘の内側に流れるような汗をかいていることが多い。これを2,3回繰り返して朝が来る。疲れがとれないと感じることもある。

からだが熱くなるのは気のせいなのか、本当に体温が上がるのか、知りたくて、ある日、熱くなると同時に体温計で体温をはかってみた。私は平熱が36.5度なのだが、ホットフラッシュが出ているときには37.0度~37.3度になっていることがわかった。本当に熱が出ているのだった。

乳腺外科の外来で主治医に何かこれをやわらげる方法はないか、と聞いたが、慣れていくしかない、ということだった。

漢方薬などを服用している方もいらっしゃるようだが、現在のところ、服用している薬以外のものを飲みたいとは思っていない。主治医の言うとおり、前向きな気持ちで慣れていくしかないのだろう。

2009年11月22日 (日)

リュープリンの注射は痛くない

リュープリンの注射は飛び上るほどに痛い、と書いていらっしゃる方がたくさんおられるが、痛みはきっと人それぞれであろう。

私は1回目はおへその左側くらい、2回目は右側のお尻、ショーツの縫い目にかからないあたり。

3か月分の薬がしこりとなって貯留され、それが3か月間、徐々に溶けだす、というイメージ。注射そのものの痛みは他の注射とほとんど何も変わらないと感じた。ただ、しこりになった部分が、注射後の2,3日、とてもかゆく感じた。かゆいからと言ってかきむしると薬が早く拡散してしまうのでは、と我慢したが、4,5日すると、かゆみもいつの間にか忘れてしまった。

リュープリンが痛いのは、針の痛みというより、値段の高さでは?3割負担で2万6000円余。がん治療には本当にお金がかかる。

2009年11月21日 (土)

ホルモン治療の概要

病理検査の結果が7月23日に出た。私のがんの概要は、

右:非浸潤がんステージ0だが広範囲のため全摘以外方法はなかった

左:浸潤がんステージI~II、大きさ約2センチ、硬癌、温存も可能な大きさではあったが、自分の判断で全摘、左右ともに再建を目指す。

HER2は-、ホルモン感受性はエストロゲン、プロゲステロンともに+

リンパ郭清なし。

両側全摘出後の放射線治療なし、抗がん剤治療の必要は今のところなし、ということで、8月10日からホルモン治療が始まった。

3か月に1回のリュープリン注射&毎日朝1回のタスオミン(ノルバデックスのジェネリック)

治療開始後1回だけ生理があり、その後ぴったりと止まった。それと同時に副作用が出てきた。

おもな副作用らしきもの:

ホットフラッシュ(約2時間おきに体がかっと熱くなり、発汗、特に睡眠中にひどく、2時間ごとに目が覚める)

視力低下(更年期障害と思えば理解できるが、急激に近くが見えなくなってきた、目がひどくしょぼしょぼする、まぶたが重くなる)

これらは、ホルモン治療をなさっている方々のブログにも紹介されていると同じ副作用。自分だけまぬがれる、というわけにはいかないらしい。ホットフラッシュは、慣れていくしかない。清潔を保ち、吸汗性のある下着を着るくらいしか、対応できない。視力低下は非常にきつい。目がかすむ、しょぼしょぼする、夕方になると目がずーんと重くなる。かすみ目によい、という目薬を購入したが、あまり効き目はない。温かくなるアイマスクも使ってみている。

ホルモン治療はまず5年続く。乳腺外科の主治医によると、最近の研究では再発を防ぐためにはもう少し長期間(たとえば7年)つづけた方がよい、という説もあるそうだ。

放射線と抗がん剤による治療が行われないため、再建は予定通りに進めることとなった。とはいえ、左はエキスパンダー取り出しのため、二期再建となった。

2009年11月20日 (金)

あれから4か月

11月20日(金)

前回更新から4か月。

ブログをやめようと思っていた。ブログのコメント欄などでとても心無い書き込みをされている方々をたくさんお見かけしたこと。また、私などよりよほど大変な思いをされながらがんばっていらっしゃる方のブログがたくさんあること。

そんなことを思うと、私がブログをしてどうなるのだ?と。私のような人間が綴るものより、もっと情報がたくさんあり、共感を持って読まれているブログがたくさんあること。それを考えると、自分のブログにあまり価値を感じなくなってしまっていた。

思い返して見ると、

6月9日(火)両側乳がん全摘出手術および、一次再建エキスパンダー挿入

6月19日(金)左胸エキスパンダー感染により緊急手術・エキスパンダー取り出し

6月29日(月)退院・自宅療養開始                         

7月13日(月)職場復帰                                    

7月23日(木)全摘手術時の病理結果判明                     

8月10日(月)ホルモン治療開始                          

9月2日(水)再入院                                 

9月3日(木)左胸エキスパンダー再挿入手術

このあと、2010年2月4日(木)に自家組織による再建手術を行うこととなった。それを考えると、とりあえず、再建を考えている方々にも読んで頂けるのかもしれないと思い、いつまで続くかわからないが、また更新してみることとした。

7月13日(月)に復帰以後、フルタイムの仕事を続けている。体力はそれなりに維持している(…と思う)。食事は非常に粗食となった。肉と乳製品はほぼ100%やめた。体重は大きく減った。入院時と比べると約6キロ減。入院より少し前の最も太っていた頃と比べると約8キロ減。

仕事がつらくなると、病院が思い出される。私は職場の人にほとんど病気を言っていないので、職場復帰と同時に100%を要求される環境に戻ってしまった。

とても、大変です。

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