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1回目の入院 (2009年5月)

2009年5月28日 (木)

浮腫の心配

5月27日(水)

今日まで3日間、プロジェクト申請の書類作成で午後11時まで。今日も帰宅12時。明日が締切なので、明日を超えれば少し楽になる。プロジェクトチームで励まし合っての作業だった。

退院直後からハードな仕事が続いたためか、疲労感が残っている。一番気になるのが左腕。センチネルリンパ生検で、右からは1個、左からは4個のリンパを取り出したが、術後の感覚が、左右でまるで違う。右腕は術前とほとんど何も変わらない。左腕は腋の下から二の腕の下部の感覚が鈍い。これはD医師から言われていた副作用だ。体温計を腋にはさもうとして、体温計の先端が腋の下に触れても感覚があまりない。また、左腕全体がなんとなく突っ張る感じがして、左手の動きがいま一つ悪い。特に、左手全体が熱く感じ、手首や指の曲げ伸ばしがスムーズではない。特に左手の人差し指だけ他の指に比べて幾分かむくんでいるように感じ、関節の曲げ伸ばしが痛い。さらに、左の腋の下の傷口が盛り上がってきて痛む。

退院前のレクチャーで、浮腫には極力気をつけるようにとは言われていたが、仕事に復帰してみると、何を、どのくらい気をつけたらよいのかわからない。かばんや重い本などはなるべく左手で持たないようにしているが、運転するときは左手でもハンドル操作をする。右手でかばんを持っているときは、建物に入るためにドアを左手で開けなければならない。

腕をいたわるのがこんなに難しいこととは思いもつかなかった。浮腫についてもう少しきちんと調べなければ…と思う。

2009年5月26日 (火)

退院、即、通常の生活

5月25日(月)

今日から勤務。朝から通常通りに出勤。プロジェクト関連で、午後6時から会議。終了10時10分。夜になって傷口が熱く感じられるようになり、頓服を飲む。さすがに体力が落ちている。会議の途中から、集中できる時間とボヤッとしている時間が交互に来る。会議に出ている人の中で、私の病気とこのたびの検査入院を知っているのは、女性の同僚1名のみ。一昨日退院したばかりで、今日の勤務はやはりきつかった。明日も同様の作業が続く。

さて、「帰りにお米を5キロとビールを1ケース買って来て」とは今朝の母の要請。

今回のセンチネルリンパ節生検で左右のリンパ節を取っているので、リンパ郭清とまでは行かないまでも、同様の注意が必要と退院前にレクチャーを受け、今後、予防注射のような注射も血圧測定も左右の腕で行ってはいけない(足でしなさい)と言われたばかり。重いものを持ったり、長時間のパソコンなど、浮腫につながることは極力避けるように、ということだった。

10時過ぎまでの会議でくたくたになっていたが、戦中世代の母はお米がなくなるととても不安がるので、どうしても買って帰りたかった。ほとんど自覚症状がないので、何でも持てる気はする。でもさすがに今日のお米とビールは、気軽に引き受けた自分が悪かった。今日は車で出勤したので、会議を終えた帰り道、深夜12時まで営業しているスーパーに寄り、いつも車に積んである折り畳み式のカートに載せて引っ張ってきた。やはり重い。こんな不注意なことをしていて浮腫が出たら、シャレにもならない。深く反省。

できないことは、できないと言い、自分のからだを大切にしなくては。いくらでも無理ができた数か月前までの私と今の私は違うのだということをきちんと自覚しなくては。

帰宅して熱を測ってみたら、平熱だったのでほっとした。D医師は38度になるようだったら連絡しなさい、と言っていたので、きっと大丈夫。患部に触れてみて多少熱を持っているように感じても、きっと徐々におさまってくるに違いない。でも、もっといたわってあげなければ。大切なからだなのだから。

2009年5月25日 (月)

何でも2倍…

5月24日(日)

センチネルリンパ節生検は、保険診療ではない。前のエントリーで書いたように、日本乳癌学会などが保険診療にすべく、運動を進めており、その基礎データを提供する試験に参加する、という形で私も今回の手術を受けた。ただし、高度先進医療として認められているため、実費は支払わなければならない。

手術の前夜にD医師から説明され、また、それよりかなり前にこの試験について書かれたパンフレットも渡されて読んでいた。そこには、6万円強の金額が記されており、私も今回の入院ではそのつもりで臨んでいた。

しかし、昨日退院の際に、提示された金額は予定より6万円多かった。2泊3日の入院、手術、その手術が6万円強の保険外診療に当たる、ということで約10万円を予定していたのだが、それより多い約16万円を請求された。

???の気持ちで会計窓口に並んだ私が、まだ頭をひねっているときに、妹がいたずらっぽい眼をして私に言った。「お姉さん、何でも2倍ね。」 そのときわかった。私は両側乳がんである。何でも2倍支払わなければならない。パンフレットに書いてあった6万円強の金額は片方の乳房あたり、の金額であったのだ。私の場合、ちょうどその2倍の金額が、「保険外医療」の欄に記されていた。

アメリカのデパートなどでよくある、「1個買えば2個目は半額」のような制度が、こういった医療にもあるといいのにね、と妹と半分冗談で言いながら、病院の一角にあるATMにお金をおろしに走った。給料日の直後でよかった。

そう言えば、MRIのときも右側と左側が別々に請求された。両側乳がんは比較的珍しいものと聞いているが、あまり心地よいものではない。どんな意味においても。本当に。

2009年5月23日 (土)

センチネルリンパ節生検入院 (4)

5月23日(土)

お昼ごろ、無事に退院してきた。昨日は…。

午後1時30分 リンゲル液と「ボーっとなる薬」の両方を点滴しながら、手術室に入る。両側乳がんのため、左右の腋の下が検査の対象。そのため、点滴も腕を使えない。通常はがんになっていない方の腕を使うそうだが、私は両方ががんなので。左足の甲から。とても居心地が悪い。

ストレッチャーから手術室の台に移り、腕を腕台に固定される。広い範囲で消毒され、体全体が青いシートで覆われる。顔の上部に棒が渡されていて、これがシートを浮かせて、息ができるようになっている。シートには、比較的大きな穴が開いていて、周囲がステッカーのようになっており、裏紙をはがして、患部(腋の下)にあて、固定するようになっている。

D医師が青い手術着、キャップ、透明なゴーグルのような眼を保護するもの、マスク、といっていで立ちでやってきて、「これから始めます」と挨拶してくれる。医師3名、補助の看護師2名。D医師が切り始めるときに「お願いします」と大きな声をかけ、それに全員が応えた。

手術はまず右側から。切るところを決めるとその周囲に局所麻酔を注射する。「センチネルをオンにしてください」と医師が言うと、看護師が機械をオンにする。医師が太い鉛筆のような操作部を患部に近づけると、ちょうど「ガイガー・カウンター」のように、ピーピーという音がして、遠ざかると音が弱まる。それを目当てに切って行くらしい。何分かかっているのか、局所麻酔であまり痛みはなく、さらに「ボーっとする点滴」で眠くなっているので、はっきりとしない。しかし、電気メス(らしい)が、麻酔の効いている部分から効いていない部分に移動するととたんに激痛が走る。痛いときはすぐに言うようにと言われていたので、「痛いです!」というと、追加の麻酔がすぐに注射される。「○○3ミリです」、と薬剤の名前を読み上げる看護師の声が聞こえる。右側だけで追加の麻酔は3回お願いしたと思う。右はなかなかリンパ節が見つからないらしい。しかし、ようやく見つけたらしいD医師の声が聞こえた。リンパ節捜索を終えて血液や体液を吸い出しているらしい音、さらにパチンパチンという音をたてながら縫っている音などがはっきりと聞こえる。「右側が終わりましたよ」とD医師が声をかけてくれるので、「見つかりましたか」と聞くと、「1個取れました」とのこと。

左に移っても、全くおなじプロセス。私は右から左に移る頃が最も意識がもうろうとしていたようだ。左は比較的すぐに見つかったらしく、「あった」とか、「それだ」などという声が聞こえる。前日のD医師の説明では、リンパ節は小さく、脂肪に包まれており、また、そこには神経も走っているため、取り出す作業には細心の注意が必要だ。左は1回のみ麻酔の追加をお願いし、あまり痛みを感じずに終わった。「いくつありましたか」と尋ねると、「センチネルの機械で音が出た3個、それに、そのすぐ近くにあった、音のしない1個を取りました」とのことだった。

手術室には終始クラシック音楽が流れていたが、どこかで、イージーリスニングのようになり、記憶が正しければ、「スパイ大作戦のテーマ」が何度も繰り返してかかり、賑やかだった。当然音量は絞ってあったが。なんだかユーモラスな感じがした。

傷口にはテープが2重に貼られ、医師、看護師の皆さんが消毒液をふき取ってくれ、ストレッチャーに載せられて、手術室の入り口で、病棟の看護師が迎えに来てくれるのを待つ。意識がはっきりしていないのだが、手術の補助をしてくれた看護師に聞くと、手術室に入って2時間。手術そのものは1時間半かかったとのことだった。病棟の看護師が来て、その後ろに妹の姿も見え、白衣に着替えたD医師が自らストレッチャーを押してくださり、病室に戻る。

とても喉が渇いていたので、「水を飲んでもいいですか」と看護師に聞くと、「どうぞどうぞ。飲食自由ですよ。それが局所麻酔のいいところですから」とのこと。ベッドに起き上がって水を飲み、向いのベッドの方に頂いた不二家のプリンを食べる。でも、このときは、水もプリンもあまり味がしなかった。

疲労感と、「ボーっとする薬」の余波で、すぐにも眠ってしまいそうだったが、妹と少し話をしたりして過ごす。ベッドから最初に立ち上がる時には、必ず看護師を呼ぶように、と言われていたので、最初のトイレには一緒に来て頂いた。少し床が浮くような感じがしたが、大丈夫。

妹が帰ったあと、D医師が来てくれて、次回の外来のアポを決める。おそるおそる、「先生の見立てはいかがでしたか?」と聞いてみると、「右側の1個は、まず大丈夫だと思います。左側も、触ってみた感じでは、これはいかん、という感じはしませんでした。本当にがん化しているリンパ節は硬くなっているのですぐにわかりますから」とのこと。ただ、「がん細胞は2ミリ以下の場合は、触ってもわからないので、きちんと顕微鏡で見ない限りは何とも言えません」とも言われた。左は浸潤がんなのだから、転移していても少しもおかしくはない。

次回の外来のアポは2週間後。このリンパ節の検査に1週間から10日かかるので、D医師の外来の日を考えると、2週間後の6月4日(木)しかない。この日に、リンパ節転移の有無がはっきりする。そして、なんと、翌日5日(金)には入院、そして次の週の9日(火)に手術、ということになりそうだ。私は、転移していても、術前の化学療法ではなく、すぐに全摘という希望を伝えてある。

夜は37.3度まで体温が上がり、一度だけ頓服を飲んだが、それ以上は上がらず、痛みを感じることもあまりなく、ぐっすり眠れた。あれだけ切って、あんなに中を探ったのに、これしか熱が出ないなんて…。今朝は平熱。朝食を頂き、手術の介助に入ってくださった若い医師の回診を受け、退院することができた。

少しずつ物事が進んでいく。自分の未来、自分の時間を手に入れるための、大切なステップだ。前向きに取り組んで行こう。

2009年5月22日 (金)

センチネルリンパ節生検入院 (3)

5月22日(金)

午後1時20分手術室へ。3時30分終了。実質の手術時間は1時間半とのこと。

局所麻酔、RI法で、無事に右1個、左4個のリンパ節が取れたとのこと。

詳しくは日をあらためて。さすがに疲れた。今は微熱があり、まだ少し頭がボーッとしている。それでも、局所麻酔のため、病室に戻ってすぐに、水を飲み、お向かいのベッドの方に頂いたプリンが食べられた。

左わきの下に鈍痛があり、頓服を服用。これ以以上傷が痛まずに朝が迎えられるとありがたい。

2009年5月21日 (木)

センチネルリンパ節生検入院 (2)

5月21日 (木)

午前10時に予定通り入院。午前中に、検査薬の注射。午後写真撮影。

以下D医師の説明。

1.がんがリンパ節に転移するとき、やみくもに転移するのではなく、センチネルリンパ節というリンパ節を最初に通り、そこから広がると考えられる。そのため、センチネルリンパ節を体内に捜し当て、それを取って検査をして、がん細胞が発見されなければ、それ以降のリンパ節にも転移している可能性が否定され、リンパ節郭清をしなくてすむ。

2.センチネルリンパ節は人によりさまざまな大きさで、米粒の半分ほどの大きさから指先ほどの大きさまである。また、リンパ節は脂肪に包まれているため、これを探すのは「宝探し」に似ている。的確に捜し当てるために、2種類の方法がある。

3.RI (ラジオアイソトープ法) 乳房に放射性同位元素の入った検査薬を注射すると、これがリンパ節に移動する。最初にたどり着いたところがセンチネルリンパ節で、これを写真(エックス線?)に撮り、場所を特定して、体にマーカーで印をつけておき、手術のときの目安とする。手術の際にはラジオアイソトープに反応して音を出す機械で場所を確認し、わきの下を2センチほど切開してそこから探ってセンチネルリンパ節を取り出す。

4.色素を用いる法。青い色素をRI法と同様に乳房に注射し、青く染まったリンパ節を捜し出して取り出す。

今日、私は前者のRI法のみを受けた。乳首の周り、4か所に注射器で放射性同位元素を注射。両側で8か所だ!刺すときはあまり感じないが、薬を注入するときは少し痛い。午後から骨シンチと同じ機械で写真。真上と斜め上から。合計20分ほど。

夜になってからD医師が病棟に来てくれ、小さな会議室で画像を見ながら丁寧な説明を受けた。私は左右にはっきりと丸いものが写っている。「これだけはっきり写っていると、見つからないことはまずないと思います」とのこと。万が一見つからなかったときに、術中の判断で色素を用いる方法をとるかもしれないが、色素は量が多く注射が痛むので、どうしても必要なときのみとする。

明日は両側局所麻酔で、もしストレスが大きいようなら少しボーッとする薬を点滴するそうだ。両側のセンチネルリンパ節生検は全身麻酔が多いそうで「両側で局所麻酔は、僕、初めてなんですよ」と、D医師、突然の爆弾発言。でも、私なら大丈夫と考えてくれたらしい。期待に応えたい。

センチネルリンパ節生検は、現在、乳癌学会などが保険診療とすべく運動をしており、その基礎データを取るという試験に私も参加するという形になる。少し前に高度先進医療となったため、検査は実費負担となる。副作用などについても細かく説明を受け、承諾書にサインして提出した。説明された副作用については、日をあらためて記載したい。

なお。今日持ってきて本当によかったと思ったものを2つ。「クロックス」のサンダルと、「トリンプ」のおやすみブラ。特に、ブラは、肌触りが良く、軽く、胸を適度に支えてくれるので、パジャマで病院内を検査に回るときに胸が気にならない。入院グッズをそろえたときに、ふと気付いて買っておいて本当によかった。

さて、明日は頑張って来よう。

センチネルリンパ節生検入院 (1)

5月21日(木)

昨夜は、仕事の後、「壮行会」をしてくれたT氏と美味しく飲み歩き、遅くなって帰宅した。今日から入院だというのに、のん気なものだ。そのくらいの方がおおらかでよろしい、と自分にOKを出す。

今日入院で明日が手術となる。局所麻酔なので、何か覚えていられたら、ここに書き残せるのではないかと楽しみにしている。

携帯からの更新をしたことがないので不安はあるが、うまくいけば、入院中も更新したいと思う。

それでは、行ってきます。

2009年5月20日 (水)

1回目の入院まであと2日

5月19日(火)

21日(木)の午前10時に入院窓口に行くことになっている。あと2日弱となった。仕事の帰り道に、洗面器だの、割れない湯呑だの、箸箱だの、石鹸箱だの、K病院の「入院案内」で指定されている入院グッズをいくつか買い求めた。パジャマは今月初めのデパートのバーゲンで、すでに3組買ってある。

いつもは出張に持っていくスーツケースを引っ張り出して、パジャマやガウンを詰めた。心が浮き立たない旅支度である。それでも、本入院の前に2泊3日の検査入院があって、よかったと思う。病院の様子を知ることができそうだ。一度に大きなことが起きると、病院初心者の私はパニックしてしまうかもしれない。そういえば、今日はアマゾンから iPod が届いた。入院の必需品として妹が購入をすすめてくれたものだ。iPod も初めての購入。さっそくパソコンと同期してみる。夜眠れないときに役立つかな。

それにしても…、それにしても…。こんなに元気なのに。重いものも持てるのに。ほとんど何の自覚症状もないのに。体重もちっとも減らないし、食欲もあるのに。お酒も美味しく飲めるのに。このままでも行けそうな感じがするのに。

私の胸にはしこりがある。それも両方にある。わかっていても、今の健康状態とのギャップが大きすぎる。

2009年5月16日 (土)

入院日程

5月16日(土)

K病院から電話があり、第1回目の入院の日程が確定した。5月21日(木)入院、22日(金)手術(センチネルリンパ生検)、23日(土)退院。

手術は局所麻酔で行い、私は両側乳がんなので、左右の腋の下が対象となる。両方で1時間くらい、と言われている。

当日はリンパ節を取り出すのみ。細胞検査の結果は約1週間~10日後に出るそうだ。その結果を見て、リンパ節転移があれば、腋下リンパ節郭清を行い、抗がん剤の使用が検討される (←「意志確認」の項参照)。ちなみに、1週間~10日かかるということは、明らかに、K病院では、「術中迅速病理診断」は行っていないようだ (←『生きるための乳がん』リリー・ショックニー著、三一書房、p.62)。

「ただ…」と一昨日のD医師。「本入院の予約も取っておかなければいけないので、一応、6月8日に始まる週か、15日に始まる週のどちらかに入院・手術となり、入院期間は術後の様子によって2,3週間と考えておいてください。」

つまり、D医師はリンパ節転移がなく、予定通り全摘手術を行うことを前提に話している。

全摘手術の入院に2,3週間という時間差があるのは、乳がん手術後に形成外科の再建手術(今回はエキスパンダー挿入)があり、術後体内に残されるドレーン(体液や血液を排出するための排液管)の状況により、退院の時期が左右されるためだそうだ。ドレーンが早く抜ければ退院は早まる。アメリカでは、このドレーンを体内に残したまま退院させるそうだが、日本では抜いてから退院させる (←『生きるための乳がん』 p.136)。

リンパ節転移がないことを祈りたい。D医師は最初に下した判断を後になって覆したことがない。初診に紹介状と一緒に持参したマンモグラフィの写真と触診のみに基づいて彼が下した判断は、その後の数々の検査で裏打ちされ、現在も全く変わっていない。がんでないことを願っていた小さな希望は裏切られたが、そのぶれのない判断力のおかげで、私は信頼感を持って彼に治療を委ねることができる。その意味でも、「転移はないと思う」という彼の判断がここでも正しかったと確認されることを心から願う。